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魔法使いの弟子(原題:掃除女の影) ロード・ダンセイニ著

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新しい時代に入ったからなのか、かつての時代の記録のような本に出会った。

魔法使いの弟子(原題:掃除女の影) ロード・ダンセイニ著

何気なく読み始めた本だったが、最後の最後、この物語の悪役の「魔法使い」のその後を読んだ時、「これは現代の私たちの前の時代の始まり方を教えてくれる歴史書のようだ」と思った。

私たちは今、今までの自分の見方の限界を感じ「目に見えない世界」というものに深く意識を向けるようになってきた。
それは自分自身の「影」を見つめるところから始まると思っているんだけど、この物語は、今とは逆に「目に見えない世界」を3次元から締め出していくことを選択する人の心の歴史を「ファンタジー」という名を借りて、ひそやかに伝えているように思う。

意識の覚醒を迎える前の自分が読んだなら、これは単によくあるファンタジー。
悪い魔法使いと騎士道精神に溢れる若い青年の駆け引きの物語として読んだと思う。
でも、今の自分が読むと、この物語はもう一つの読み方が出来て、ちょっと切ない。
そして実は著者の意図もこのもう一つの読み方の方にあるのではとも空想してしまう。

物語の舞台の中世の始めくらいなのかと想像するスペインの田舎の風景は、染み入るように美しい。
だからなのか。
物語に出てくる人々は、徹底的に見えないものを恐がるし、それを知ろうとすることは「罪」だと思う。

見えない世界を締め出すと、目の前にある自然や、人が持つ若さや、時間の流れが、一日の陽の光や物質が作り出すその影が、
3次元でしか見ることが出来ないもの、触ることが出来ないものの、はかなさも含めた美しさが、本当に際立って、だから人々は、その感動を絶対に手放したくないと思ったのかもしれない。
見えないものを知ることは、せっかく降り立ったこの美しい「3次元」という世界を「なくしてしまう」とか「別のものにしてしまう」とか、そんな恐れがあったのかもしれない。

だから人々は「見えるもの」を選ぶ。
「触れられるもの」を選ぶ。
本当は、どちらもその世界に共存できるのに、どちらかを選ぼうとするのだ。
そうしないと、どちらかを失うと思うから。
そういう人々の意識が、知らせないことを「よし」とする力を「救済」としてうけいれ、その時代に入っていったのかもしれないと思った。

反対に人々が恐れる「魔法」を操る老人は、見えないものの価値が何より大切だと思っていて、決してこれが人間に理解できないと知っていながらも、いつか理解してくれる人間に会えるかもしれないと、長く長く生きている。
でもやっぱり、この人も「見えない世界」に価値が置けても「3次元」の世界には価値を置かない歪さを持つ。
とても孤独で、独善的で、ちょっとずるくて、物語の悪役としての魔法使いだったが、私にはせつなく感じ、その悪役が担う「やさしさ」も感じてしまった。
彼は最後、人間たちからその存在を否定され行き場をなくしたたくさんの目に見えない存在を引き連れ、3次元から消えていく。

人間が締め出したものたちは、本当はなんだったのだろうか。
もしかしたら、しばし人間が成長するまで時間を待つと決めた「天使」たちだったのではとも思ってしまう。

人間が「魔」と決め付けた存在たちやその知識は、産業革命辺りから「科学」や「物理」としてまずは復活し、今「スピリチュアル」として少しづつ人間の側に戻ってきている。「目に見えない世界」を知っても、恐くないし、この世界もなくなったりはしない。
私たちはいつもいつもおびえていたのだな。「取られてしまう!」って。
今やっと私たちはいろんな存在との「共存」を理解できるところまできているのだと思う。
実行するのはこれからだけど。

ケルトの伝統文化をバックに持った作者だから書けるのかもしれない宇宙観や限定された世界「現実」の歪さ。
日照時間の少ない国の人だから、スペインの光の美しさをより強く感じ表現できるのかもしれない。
とにかく、この時代に、こんな物語を書けるっていうのは、いつの時代にもその世界にリンクしている人がいるんだな~とつくづく感心したのでした。
ちょっと圧倒された本でした。

訳者が、あの妖怪好きでも有名な「荒俣 宏」さん。
素敵な訳でした^^

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by atelierkei-0520 | 2019-02-28 22:10 | ◇つぶやき

3次元で生きること

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今日は20年前に母に買ってもらって、ここ何年もの間タンスの肥やしになっていたコートのお直しを引き取りに、デパートに入っているお直しサービスの店に行った。
ちょっと雰囲気が今とそぐわなくなった長めのコートのすそをカットしてもらい、その取り除いた布でマフラーも作ってもらった。
コートとおそろいのマフラー。こういう洋服のリフォームは初めてで、ちょっと心配だったけど、すっごくいい感じの出来上がりでものすごく嬉しかった。

最近思うのは、「3次元」で生きるってことの醍醐味は、「手間をかけること」なのかもしれないと思う。
リフォーム売り場の担当のおばちゃんと一瞬で意気投合して、やり取りをしながら、採寸してもらって、お願いして、出来上がりをワクワクしてまって、引き取りに行って、またおばちゃんと出来上がりの素敵さを共有して、次のお直しをお願いして。
捨てて買い直せば一瞬で終わる話でもあるのに、時間をかけて、もともとそのコートが持っていた思い出にまた新しい思い出がプラスされる。
そんな時間は、ほんとうに「豊かだな~」と思う。

この前は四捨五入したら20年お世話になっていることになる彫金の師匠から「あんた、使うんやったらあげるわ」とポンと腕時計をもらった。
見るとなかなか有名な時計に似せたもの(^^;)だったのだが、まず電池は止まっているし、腕周りはずるずるに大きいし、その時計の特徴であるネジのところについている天然石は割れて取れていた。
そういえば時計は触ったことないな~ということで、自分で何とかしてみることにした。
まず、割れた天然石をきれいに取り除き、家にあったやす~い小さなサファイアをネジのくぼみにあう大きさに削り直して接着剤で入れなおした。
そして今度はメガネ屋でメガネを買うと付いてくる小さなマイナスドライバーを、時計の金属でできたバンド部分を取り外すためのネジ部分にあう形に更に小さく加工し直して、ずるずるだったバンドの長さも調節。
そして最後は同じドライバーをまた更に小さく加工し直して背面を開け電池を取り替えた。
時計屋さんに出せばすむことなんだけど、全部自分でやってみると、もらったときは「つけるかな、この時計。。」と思っていたものが、すごくすごくいとおしい時計になっていた。

「昔に戻りたい」なんてこれっぽっちも思わない。
今のテクノロジーがこれほど人間を解放してくれたことはないと思う。
でもだからこそ、いまだからこそ、「丁寧に手間をかける」ってことが可能な時代に入ったのだと思う。
仕方ないから手間をかけるのではなくて、
手間をかけたいからかける。

それって、最高の贅沢のような気がする。
思ったことがすぐ叶う世界は、実は当たり前で、この3次元を抜ければいつでも戻れる世界。
でも思ったことを手間をかけながら形にしていける世界、その工程全てを楽しめる世界は、この3次元だけだと思うのです。
実はすごく楽しいかもしれない「3次元」
もっと楽しみたいな~と思うのでした。


by atelierkei-0520 | 2018-11-08 22:19 | ◇つぶやき

夏休み中のつぶやき:マスターすること

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ただ今、自分をマスターする訓練中です。私的にはスピに目覚めたころに比べると、かなり目が覚めてきたなと思っているのですが、新しい波動領域で安定して存在するための訓練として、ハイヤーセルフからの課題と向き合っています。
それは「自分であること」「自分自身であること」
自然体で軽やかで、それでい外が揺れても内は揺らがず、何が起こっても起こっていることは問題ではなく、自分自身を信じて今ここにいること。
これからの立ち位置の基本になるものです。
こういうことは、何度も何度も同じ課題がやってきて、その都度、今の自分の波動状態、立ち位置から、その課題にどうアプローチしていくかがクリアのための鍵となります。

久々にスマホのブックマークを整理していたら、こんな記事を見つけました↓
そう、これです。私は今これを自分の芯の部分で実感しようとしています。
人は何事も経験しないと左脳が納得しません。
でも、一度実感することができたら、左脳が強力な見方となり、力強く前に進みます。
何事も一足飛びはなく、地味に確実に一歩一歩。例えそれがスピリチュアルであっても、一歩一歩なのだと思っています。

夏休みもあと少しです。っていうか、もう夏じゃないけど。
終わったらまたいろいろ報告できたらと思います。

by atelierkei-0520 | 2018-09-17 15:40 | ◇つぶやき

3次元の終了を告げる映画「美女と野獣」実写版の話

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今日は先日見に行ったディズニー映画「美女と野獣」実写版の話。
もしこれから見に行かれる予定の方で、先入観なしに見に行きたい!という方は今日のブログは読まないでくださいね^^


見終わったあと、この映画は「3次元」が終わることを私たちに告げる映画だと感じてしまった。

映画の中にはかつて3次元にあった主要なエッセンスがギュッと凝縮されてそこにあって、当時はその中でもがき続けた私が、今は映画を見ることでそれを俯瞰して見ている。そんな感じがした。
だから、あの人もあの人もあの人も知ってる。どの人の経験も知っている。そんな気持ちになって、映画の間中、涙がいっぱい出てしまった。
これは悲しいとか、感動とか、感激とか、そんなんで涙が出たのではなく、涙が出たのは「共振」したから。
私は涙は「真実センサー」だと思っていて、向き合っている何かと自分の中の何かが共振した時に涙が出ると思っている。
「美女と野獣実写版」は「共振」しまくりだった。

映画は、わがままな王子が魔女に野獣にされ、人々の記憶から消され、本当の愛を知るまでは永遠に元に戻れないという有名な話なのだけど、全てが「3次元」の世界の比喩なんだと今回初めて気が付いた。
お話では魔女が王子を野獣に変え、愛を知ったら魔法が解ける、そうあるけど、本当はそうじゃないね。魔法をかけたのは魔女じゃない。
本当は魔法をかけたのは王子自身。
王子の高い意識が「愛」を知りたいと願い、そのためのプランとして低い意識の王子はわがまま放題で満たされない自分をどこかで「俺は野獣だ」と思い、魔女を呼んだ。
そして、本当の愛を知って王子の魔法は解けることになっているけど、ここも本当に魔法が解けた瞬間はそこじゃなかった。
塔の上で悪役に「野獣よ」と言われた時、「俺は野獣じゃない!」と王子が心の底から言うその瞬間こそが、本当は彼自身がかけた魔法が解けたとき。
すべてはここなんだ。
自分が自分のことをどう思ってるか。
それが世界を決めるし、その為にそれぞれ別の目的を持った人たちがベストなポジションに就いて、それぞれが自分の人生の主役でありながら、誰かのためのわき役になる。
でね、スピリット達はいつも言っている。全てを演じ尽くして、この人生が終わった後は、まさにこの映画の魔法が解けたその後のようになるんだって。
「あれ?なんであなたのことを忘れてたのだろう」「なんでここのことを忘れていたのだろう」って。

映画の時代には一つの人生が終わるまでみんな魔法がかかったままだったけど、まだまだ演じてる途中の、今生きている私たちは人生の途中にもかかわらず、なんと魔法が解けていっているんです。一人一人が素直な自分に戻ること、本当は全てあって、もう沢山学んだんだって気がついてくと、自分が解放されると同時に、周りの役者たちも、本来の素直なその人たちに戻っていく。悪役が解放されていく。
それが「アセンション」なんですね。

この映画は「終わるよ!お疲れ様~♪」そんなコードを音楽という体感できる波動によって肉体の細胞に運ぶ役目を持っていると感じました。
「すごいな、誰だ?」と思っていたら、なんと映画の最後辺りで画面ど真ん中に、金色の甲冑を着た「大天使ミカエル」が登場してびっくり!!
だから映画を見に行く途中の階段に「白い羽」が落ちてたんだね^^
ミカエルさん、すごいね!と思ったのでした。

「忙しい」と言いながら、映画に行ってるじゃんという突っ込み、そうなんですよ。そこも理由がありまして。その話はまた次回^^

by atelierkei-0520 | 2017-06-07 23:55 | ◇つぶやき

どうしよう^^;

どうしよう^^;_f0362457_21535213.jpg
今、本当に言語化が難しくなっている。
自分の中のいろんな気づきが多すぎて、しかもそれが自分の物になってしまうと、当たり前の感覚になってしまい、過去どうだったかがどんどん消えて行く。

そうすると、例えば、いろんな問題に対してのアプローチとして言えることが「ただ自分の中を見つめるだけなんですよ」というとってもシンプルな答えになってしまって、書くことがなくなっている。
先日いろいろと「願いを叶えるために」ということで熱く書いていたけど、あんなぐらいの文章量じゃあ全然足りないくらいのいろんな角度からの気づきがあったにもかかわらず、今、もう何を書いていいのかわからなくなっている。
加えて周波数とか次元とか、そんな難しい話も難しい話の部分は全くよくわからないのに、何故か前よりもずっと感覚的に「分かった」っていう状態に近づいていて、こうなっちゃうと語る言葉もなくなってくる。
なんだろうな、もう、どうしたらいいんだろう。。って感じです。


↑って、実はこの上の文章、土曜日の午前中に書いていました。
で、この続きも、何かに付かれたように書いていたんだけど、今日の気分はまったくまた違っていて、なんか投稿する気になれず、こっちを記録することにした。

先日、ある転換点に立ったことを書いたけど、その地点は、今までどうしても立つことができなかった地点で、その地点がアセンションの重要な地点だったのは間違いないと思っている。

けれど、どうもこの地点を保つのはまだ難しいようで、また「現実」というものに向き合うと波動が落ちてしまう。
で、いつもなら、どっかで「なんとかなるさ」的に3次元に落ちてみるんだけど、今回はどうしても「ドカン!!」と落ちることができない。
なんでかっていうと、もう、落ちちゃったら「終わり」っていうのが分かるから。

ちょっと例を上げれないので上手く説明できないんだけど、もし私が今やりたいことをちゃんとスムーズに現実にしたいのなら、絶対に絶対に波動を落としてはいけないようで、なんか3次元的思考から完全に抜け出るための訓練をさせられている気分なのです。

波動を落とすって言うのは、3次元的な思考を取り入れるってことなんだけど、例えばよくあることだけど過去の出来事を思い出してそれについて「あーだこーだ」悶々と考えるっていうのも一つ。だけど今はそれをしたとたん、「だだだー」と物事が崩れるというか、その勢いたるやすごい。
これが「転換点」という地点の「感じ」なのかもしれないとちょっと思った。ここに来るまでは「苦しいなら苦しいでいいんだよ」って感じだったんだけど、ここに実際来ちゃうと、どうもそうはいかないようなのです^^;;;;
私はこの地点のことを「転換点」と書いているが、本当は別の言葉のイメージを持っていて、次はそれについて書いていきたいと思う。
それを読んでもらったら、ちょっとだけこの地点の特別感を伝えられるかななんて思っている。
とにかく、「ここ」でバランス保つのはしばらくは大変そう^^;
その訓練を今させられているようです。。ほんとスパルタや…(←自分がスパルタなんですよね。させているのは自分だからTT)。。

今日はとにかく頭を切り替えて、脳の中をなるべくスッキリさせて日常に取り組んで、途中ワンコの散歩で綺麗な空を見て、何とか今にいたる。
これがどんな結果になるのか、1か月後ぐらいに報告できるかな。。

先週の土曜日は(正確には金曜だけど)弟の一周忌でした。やっぱり悲しみはまだまだありますが、弟の死を「悲しい」と感じられるのはある意味幸せな面でもあるのかなと思いました。
「死」に対する思いは人それぞれだから。
一年前と同じかそれ以上に素晴らしいお天気でした。


今週も始まりました。皆さまよい1週間を^^


by atelierkei-0520 | 2017-05-22 22:06 | ◇つぶやき

思いを現実にするための話③3次元を抜ける感覚の話

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今、私たちは3次元と5次元の間にいる。肉体を持った状態で今ここにいるって言うのは前代未聞の話らしい。
でね、宇宙的にも初めてのこの状態が、いろんなややこしさを生んでいるんだなって感じていて、それをちょっとでも知ることができたら、左脳も納得してくれるのではと今日も書いている。

前々回の投稿で、「自分の中の素直な割合が増えてくる」と「願いが叶う」と書いた。
こちら↓
思いを現実にするための話②「やることはたった一つ!」
では、そもそもの「願い」について考えて見たい。

「願い」には2つ種類がある。
一つは心の奥から湧き出てくるワクワクする「喜び」をベースに出てくる「願い」
もう一つは心の奥から湧き出てくる「恐怖」からそのリスクを回避するために必要だと感じる「願い」。

でね、よく考えてみるとこの二つの願いは、今までの人生の中で「完璧」ではないにせよ「叶った」という経験もあるのではないかと思う。
しかも特に「恐怖」からくる「願い」については、棚ぼた的にラッキーなことが起こったとか、誰かにどっぷりお世話になったとかそんな他力の経験よりも、圧倒的に自分自身がそれに立ち向かって努力したからこそ叶えた「願い」だったのではないだろうか。
そしてそちらの「願い」の方が自分の人生を力強く推し進めてくれた原動力だったのではないだろうか。

だから、今まで頑張って頑張って努力して、たくさんの困難を乗り越えた人ほど「自分の中の素直な割合が増えてくる」と「願いが叶う」なんて言われると違和感を感じると思う。
そして、そういう人もたくさん見てきたよね。自分の親の話、先祖の話、歴史上の偉人や、経済人のサクセスストーリー。
戦うこと、立ち向かうこと、そして努力して、欲しいものは自分の力でゲットしていく。
それが「前に進む」ということ。
もちろん「ドキドキワクワク」を追求して成功する人もいるけど、それは本当に稀な話か、もしくはそこにもやはり人には言えない「戦い」が隠れていたはずだって感じると思う。
でね、それは本当にその通りなんだよね。まったくもってその通りなんです。
だって、それが「3次元」だから。
別の言い方をすればそれは「3次元だからこそ可能だった願いの叶え方」だったんだ。

でね、ここが重要なんだけど、今内側に何次元を持っていようとも(内側の次元の話はこちら☆)、外側(地球)はもうとっくに3次元を抜けているんだ。
ここもいろんな説があって、3次元で生きることを決めた人は、別の3次元の惑星に移るとか地球も多次元で3次元の地球があるからそっちに移行するんだとか、そういう話もある。
それはそうなのかもしれないんだけど、少なくとも「3次元抜けるぞ」と決めた例えば私が見ている世界に存在する人たち、例えば、そんな私が書いているこのブログを読んでいる人なんかは、やっぱり3次元は卒業組なんじゃないかと思っている。
だとするなら、「3次元」を抜け出しているこの地球で、「3次元」を保持しようとするのは絶対に無理なんだよね。
今外側が3次元を抜けたってことは、そこに存在している人の高い部分は3次元を抜けてるんだ。だけど、現実を生きているその人の内側が3次元状態であるなら、それは3次元を抜けるための最終作業に入っているってことなんだよね。
それってどういうことかって言うと、要するに「今までうまくいっていたやり方でやっても、うまくいかなくなる」ってことなの。

3次元っていう世界は、ある意味物凄い世界だったんだって思う。
とにかく何でもありでどれも存在できるんだけど、もっともパワーがあったのがやっぱり「恐怖」や「不安」、そして「怒り」。
そういった腹の底から湧き上がる感情が、私たちを戦わせ自分の目的に向かわせていった。
でもね、3次元を抜け出していくと、あれほど力を持っていた「恐怖」や「不安」や「怒り」などの感情が、本当に全く力を持たなくなってしまう。なんの役にも立たないのに茫然とする。
これはもう理屈じゃなくて、ただそうなんだよね。そうなっちゃうの。「恐怖」や「不安」や「怒り」では、全く力が湧いてこないんだよ。昔はあんなに頑張れたのに。
だから、目の前でいくら「リスク」によって恐怖心を煽られても、もうそれが物事を決定する根拠にはならなくなる。
「リスク」の存在はよくわかる。それがないとは言わない。それは間違いなくまだまだあると思っている。でも「リスク」と「恐怖」や「不安」はセットじゃなくなる。
これが3次元を抜けた状態なんだよね。「恐怖」や「不安」や「怒り」は3次元から上に行けば行くほど薄ーく薄ーくなっていくようなのだ。

「恐怖」や「不安」や「怒り」を感じないわけではないんだよ。時々ぶわっと湧き上がる。でも、それが昔みたいに自分を突き動かすエネルギーにはならずに、ただ自分の内側を見つめなおすきっかけになるだけ。
で、ここで自分を見つめなおすきっかけにする為にこれらの感情が出てきたんだということに気がつかないと、それらは今まで経験したことの無いような強烈なブレーキになってしまう。前進のためのエネルギーにはならずに。
3次元を抜けると、それらは以前とは全然役割がちがってくるんだね。
で、そうやって「恐怖」や「不安」や「怒り」を使って自分の素直じゃない部分に気が付いて、素直にひっくり返していくと、なんか、いい感じに物事が運び出す。それが「願いが叶う」というか「自分の周りの状況が整っていく」感じなんだな。

だから、もし「恐怖」や「不安」や「怒り」が湧いてきたら、それで物事を決定するんじゃなくて、それで一度自分と徹底的に対話して、そこから何かの気づきを得てから決定してみてほしいなと思う。
そして、もし今「今まで通り」を貫こうとして、壁にぶち当たっているのなら、少し見方を変えてみてもいいのかもしれない。
その見方を変えるって言うのが、3次元を抜けるための最終作業だから。
この時の気づきや、その気づきによって次の一歩を決める時は、本当にすがすがしい。
そしてそのすがすがしさを体験しながら、本当に少しづついろんなことが整っていくよ。
本当に、今やることは一つだけ。
「自分自身と向き合うこと」
日常に起こることを使って是非やってみて下さい。

by atelierkei-0520 | 2017-05-12 23:36 | ◇スピリチュアルといわれる世界

次元の話

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波動の振動数によって分けられる世界のことを「次元」という。
スピリチュアルな話の中でよく出てくるのは「3次元」と「5次元」、そして時々「4次元」。
次元の前に数字が付くが、数字が大きくなればなるほど高い波動の世界になる。

「3次元」とは、私たちが目で確認し手で触れられる世界のこと。そう、「この世」とか「現実」という言葉で表現されるここのこと^^
違う言い方をすると、エネルギーの振動数を下げて「触れる」物質に変換できる世界。だから、この世界には「たしかな体感」が存在する。そしてこの世界では「ポジティブ」と「ネガティブ」が混在できる。
また「良い・悪い」「正しい・間違い」などの両極で物事を判断する世界ということで、「二極性の世界」とも呼ばれる。


「5次元」は高い波動のエネルギーの世界。そこはもはや「ポジティブ」なエネルギーしか存在できない。
その世界は「調和」「愛」「思いやり」「おだやかさ」そういった光あふれる天国のような世界。

そして「4次元」。これは文字通り「3次元」と「5次元」の間の世界。波動の話でも出てきたのだが、このエリアは3次元よりのエネルギーと5次元よりのエネルギーと幅広く存在しているけど3次元よりで代表的なわかりやすい存在が「幽霊」さんなど。

なぜこれがスピリチュアルな話で出てくるかというと、それは2012年を境にこの地球が「3次元」から「5次元」に移行し始めたから。これを地球の「次元上昇」とか「アセンション」と呼ぶ。
これは「地球」自らの意思で決まった。
先にも書いたけど、アセンションの先の5次元には低いネガティブ波動は存在できない。
だから、人間がこのまま3次元に合わせた波動のままだと地球から振り落とされてしまう。3次元の特性を持った別の世界に移転するしかない。

人間はどうも地球=人みたいな感覚があるが、地球は地球で意思を持った「輪ゴム(超弦理論)」の集合体。
地球が「アセンションする」と決めたからには人間がどうあろうとアセンションするのだ。
そこで人間たちは21世紀前あたりから、地球がアセンションするなら、自分たちもその流れに乗ろう!ということになったらしい。地球と一緒に「アセンション」する道を選び準備に入った。
そして2012年いよいよ地球がアセンションの上昇をスタートさせた時から人類全体もその流れに入った。
今まで5次元はおろか、4次元だって人類は3次元の象徴でもある肉体を持ったまま入ったことはなかったから、この挑戦はどうも凄いことらしい。

ただし、先の投稿でも書いたけど宇宙の絶対ルールは「自由意思」。だからどうも人類の中にも「まだ3次元で体験したい!」という魂もあって、彼らはアセンションを選んでいないから、その魂が存在できる別の惑星に移転するとか、もう一つの3次元の地球の世界に行くので、アセンション組とは世界が分かれていくという意見もある。
この話は「多次元」という、とてもにわかには信じられない話に繋がっていくのでまた別の機会に書きたいと思うが、
とりあえずは、私は「アセンションしたい組」なので、あくまでその立場でブログを書いていきたいと思う。

この投稿を書いている時に大天使ヨフィエル様からメッセージが届いた。
“「次元」という言葉で分けるのはあなた方の世界の特徴です。我々はそこに区別はありません。お互いに思い思いの場で暮らしている、そういう感覚です。そのことを付け加えてください^^”

だって^^

なるほど。確かに物事を分けて比べて理屈で考えるのも3次元的な思考。「理解したい」「納得したい」って探求心がそうさせる。でも高い波動の世界はもっと感覚的。そこに壁や隔てはない。とってもゆるーーい世界らしい。

大天使たちは時々こうして自分たちの「視点」を教えてくれる。
なぜなら、その視点は今度は私たちが持とうとしている視点だから。
彼らの視点でものを見るようになった時、その世界が近くなる。



by atelierkei-0520 | 2016-07-02 09:55 | ◇スピリチュアルといわれる世界