アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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今週のメッセージ:イエスからのメッセージ⑤

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こんばんは、皆さん
私はあなたと共にあり、いつもあなたを見守っています。

今日は共同作業についてお話しします。
皆さんの今ここに生まれてきた1つの理由として
ものごとを経験すると言う目的があります。
それは本当はもう既に知っていることを別の角度から再確認するためであり、
体験によって物事の理解を深めることが目的です。

ですからあえて困難な道を選び
手助けを最低限に抑えながら前に進もうとします。
痛みを知ることで痛みというものを知り、
また痛みを知ることで痛くないという状況を知ろうとするのです。

皆さんの中にあるもともとのプログラムがこのような形で設定されており
それ故、助けを求める事はどこか反則のような
意志に反するような
甘えのような
そんな感覚になるのが普通です。

けれどアセンションの流れの中では
このプログラムが一つ一つ書き換えられています。
すべてのものと調和し共鳴することの醍醐味を知る段階に入っています。

まずは自分の周りのスピリットたちに目を向けてみてください。
目をつぶり、そこと共鳴するイメージを持ってみてください。

1日1回穏やかな静かな心になって
「今日という日を共に経験し、すべての目的を共に達成しましょう。」
または
「今日という日を共に経験しました。すべての目的を共に達成できたことを喜びます。」
と言ってみてください。

自分の周りのスピリットたちとの一体感を感じてみてください。
そして、その感覚がわかったらそれを少しずつ広げてみてください。
周りの人々
周りの自然
周りの生き物
この世にある全て

あなたはすべての存在と共鳴する存在です。
ワンネスの感覚を見つけてください。

あなたが穏やかな心で他者と共鳴する時、
共同作業が行われます。
一人では成し得なかったことが、
そこで起こります。

共同作業の醍醐味を知って下さい。

イエス

今週のメッセージでした。
イエス様からのサポートチームとの連携を強くしていくためのアファメーションを教えていただいたように感じています。
このブログでも、「とにかくお願いしまくること」が、すっごく効果的だと書いてきました。
でも、今日はもっといい方法を教えていただいた気がします。


「今日という日を共に経験し、すべての目的を共に達成しましょう。」
で一日を始め、
「今日という日を共に経験しました。すべての目的を共に達成できたことを喜びます。」
で、一日を締めくくる。
そんなイメージを持ちました。


「共に経験し、共に喜ぶ」
そうですよね、私たちは「チーム」です。
「チーム」として「私の人生」という目的を日々体験しています。

「助けて」もいいですが、「一緒にやろうよ」っていうのは、もっとなんか、楽しい気がしました^^

皆さま、今週もよい1週間を〜♪

by atelierkei-0520 | 2019-05-21 22:52 | ◇今週のメッセージ

4次元通路の2つのルート③

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4次元通路には2つのルートがあるって話を書いている。
これまでの話はこちら↓
「4次元通路の2つのルート①」
「4次元通路の2つのルート②」

「歩行型」と「飛行型」の違いの大きなところは「願望の出どころ」の違いだと思っている。
同じ「豊かになりたい」という願望でも、出所が違う。

(繰り返しになりますが、これはあくまでも私が感じていること。「正しい」とか「これが真実だ」という意味で書いているのではないので、ご了承ください。)

「歩行型」の人は3次元で叶わなかった願望を「4次元のエネルギー」で現実化していくことを体験する。
つまり、願望の出どころは限りなく「3次元」に近い。だから願望はかなり具体的に表現できるもの。
一方「飛行型」の人は感覚・感情の方を優先するので、どちらかと言うと出どころは5次元よりかもしれない。もちろん完全に5次元ではない。
けれど、「歩行型」の人の願望よりは高い波動領域からきている。


最近、私が持っている「人」のイメージは大きな球体だ。その球体を人は「魂」と呼ぶのかもしれない。
こんな感じだ。

大きな球体の中には、「全て」が詰まっている。
まず、肉体を持った今生きている「私」がいる。
同時に、沢山の「私」と関係する「過去世」「未来世」、それから、天使やアセンデッドマスター、龍とか妖精とか、その他もろもろのエネルギー、そして、もっと言うとそれぞれが存在する「宇宙」も含まれるかもしれない。
要するに、球体の中は文字通り「全て」でパンパンなのだ。
で、球体の中には、これらの存在を俯瞰できる「私」がいる。それが「ハイヤーセルフ」だ。

人は特異点を過ぎると、このハイヤーセルフの視点を少しだけ共有できるようになる(様な気がしている)。
もちろん、まだまだ「少し」だ。
でも、特異点を過ぎると、それまでの球体の中の一部、小さな肉体を持った「私」から、「ポーン!」と抜け出して、それまでとは全く違う大きな「私」の視点からも物が見えるようになる。
そして、それまで自分だと思っていた「私」は、大きな大きな「私」から見ると、ほんの小さな一部でしかなかったことに気が付くのだ。

そうすると、何が起こるか。
あれだけ存在感のあった願望や欲求、問題がなどが、大きな自分からするととっても希薄になるのだ。
つまり小さな「私」が自分の全てを支配するということがなくなる。
もちろん、小さな私の願望、欲求、問題などが消えるわけではないけど、それは大きな自分の一部であって全てではないと知ってしまうので、主導権が大きな自分の方に少し移動するのだ。
だからそれまでとの「願望」の形が違ってくる。
高い波動の自分の「願望」の方が願望として認識するようになっていく。

この地点に到達するのが、「歩行型」ルートより「飛行型」ルートの方が速いのだ。
つまり、「飛行型」の方が「歩行型」より早く、「五次元の感覚」に近くなる。

こんな風に書くと、まるで「歩行型」より「飛行型」の方が勝ってるように感じるかもしれないけど、そういうことではない。
「飛行型」の方が、「歩行型」より早く「5次元」にたどり着くのか?
いや、そういうことではないと感じている。
何故なら、「歩行型」が持っているより3次元に近い願望とは、実は「ダミー」なのだ。
彼らの大きな自分から出ている本当の「願望」、それが彼らを「歩行型」ルートに向かわせた本当の理由だし、逆に「飛行型」は「歩行型」を選ばなかった理由かもしれない。

「歩行型」が望むのは、「ダイナミックな移行」だ。何よりもドラマチックで、感動的で、衝撃的で、圧倒的な解放感。
「飛行型」が望むのは、「おだやかな移行」。静かで、小さな変化や動きを噛みしめながら進んでいく先の、段々と明るくなっていくその動き。

昔読んだスピリットの話で、「3次元と5次元は部屋。4次元はそれを繋ぐ通路だ」というのがあった。
つまり「4次元」という状態は留まれない。それが今本当にわかる気がしている。
考えて見ると3次元よりの願望や5次元よりの願望はイメージできるのに、4次元の願望はイメージできない。
最近よく「変化のスピードが速い」というけど、それは4次元の特徴なのかもしれない。3次元のように同じことをぐるぐると繰り返すことはできない。本当に「通路」という表現がぴったりなのだ。

「通路」で経験できること、それは「移行」というプロセスだと思う。
「歩行型」は4次元で様々な自分の思考を形にしていくテクニックを獲得していく。
けれど、4次元を抜ける時、その全てのテクニックをおそらく手放さなくてはいけなくなるんじゃないかと感じている。
そして「歩行型」の場合の「移行」のプロセスとは実はそっちの瞬間の方がメインで、その瞬間の解放こそが、彼らの大きな自分が望んでいる移行の形なのではないかと感じている。
絶対だと信じたものを手放す時、おそらく特異点のもっともっと先に彼らは辿り着くだろう。その瞬間に「飛行型」を飛び越して、彼らはもう5次元にいるのかもしれない。
それはきっとものすごく激しい変化だろうし、その分、抜けたときの解放感はすごいだろう。

私は自分が「歩行型」のルートではないと知った時、正直、残念に思った。
「引き寄せ」なんかの凄さを体験してみたかった。電車の席が座れるとかいうレベルじゃなくて。
でも、「飛行型」を受け入れてそこから俯瞰して「歩行型」のルートを見たときに、5次元に移行するためにそのルートで何が起こるのかを想像してみた。
それはスピリチュアルオタクの妄想かもしれないけれど、自分に「それを経験する?」って聞いたとき、「無理!!絶対無理!!私は、穏やかが一番いいです…」って即効で答えていた。

なぜ2つに分かれるのか。どうしてそれぞれのハイヤーセルフはルートを選ぶのか。
それはもうこれしかない。「分業」だ。
光が自分が知りたくてたくさんの自分に分裂した時から、全ては、これしかない。「分業」。

それぞれが、「別のもの」としてそれぞれを体験する。そして結局はそれを共有するのだ。
それが「ワンネス」だと最近感じている。

「歩行型」も「飛行型」も、一つの「チーム」。体験することが違うけどお互いのためにも自分の経験を選ぶ。
だからどちらのルートの人にもただ尊重し敬意を払いたいと思うのでした。

4回シリーズにしようと思っていたのに、なんか書いちゃいました。
読んでくださってありがとうございました^^


by atelierkei-0520 | 2017-10-27 22:08 | ◇スピリチュアルといわれる世界

完全なる不完全

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昨日の投稿で、自分の中の何かがまた浄化されたようで、今日はとってもさわやか。
気力も充実していていろんなことが出来た。そして、また気づきがあった。
それは今自分の周りにどんな風景が広がっているのか、何が起こっているのかを、あくまでも「私」という個人が感じる一つの断片的な見方ではあるにせよ、よりクリアにするものだった。
何が起こっていて、自分はどこにいるのか。
それが確かになると、人は本当にぶれなくなってくる。

上の本に出てくる、盤珪という江戸時代初期に登場した禅のお坊さんは、ある時、「この世の一切は不生で整っている」と悟った。
本に出てくる盤珪さんの教えを細かいところまで理解しているかと言われると、非常に自信ないけど、要するに、この世は不完全であることが大前提なのだから、そういったことにとらわれるのではなく、そこから少し距離を置くことで、逆に足りているところに目を向けることが出来るようになり、心を仏のように穏やかに保つことが出来るようになる、みたいな感じ。
読んでいて、今のスピリチュアルの思想に通じるなあと思った。

それは「ポジティブ」とか「ネガティブ」とか、そのどちらかに極端に傾けるのではなく、敢えてどちらでもない真ん中に自分を持っていくことが出来ると、自分というものを見失わずに生きていくことが出来るってことだと思った。
人は不平不満をなくし完璧を目指して躍起になるけど、本当は不平不満があってこそ、何かがたりない状態こそがこの世では完璧なのだっていうその考え方は、最近のある別の気づきともピタっときた。「なるほどね、だから「不完全」なんだ」って。
時代が時代なだけに、どちらかと言うと支配者にも都合のいい教えではあるし、その教えにすがった人々の他人軸(仏任せ的な)は抜けきれないけど、盤珪さんが感じたそもそもの感覚は、今の人々の中で再びしっかりと花ひらきつつある気がしている。

「完全なる不完全」
なんで不完全なのか。なんで不完全でいいのか。そこまではこの本には載っていなかった。
でもそこが、いま少しづつ見えてきている。
それが突き詰めていくと「ワンネス」になるのではと私は思う。

昨日も本の紹介で、今日もまたこんな感じになってしまったけど、これから書いていこうと思っているいろんなことのベースになる考え方でもあるので、ちょっと紹介しておきたかった。
今「自分」と感じている自分。
この自分が、もし大きな大きな自分のほんの一部の自分だということを実感することができたら、物の見方がガラっと変わる。
「自分」というものの範囲が自分の感覚の中でどれくらい広がるかってところが「ミソ」だと感じている。
それが次元が変わるってこと。

ちょっとよくわからないですよね、これだけじゃ^^;
またうまく書けるかわからないけど、思いつくままに書いていけたらと思います。
次書くことが今日書いたことと連携するかはわからないけど、良かったら頭の片隅に置いておいてください^^;

それでは、皆さま、今週もお疲れさまでした〜^^


by atelierkei-0520 | 2017-10-07 21:20 | ◇スピリチュアルといわれる世界