「ライトワーカー」という言葉を検索してその定義を読んでもらうとわかると思うのだが、結構恥ずかしい。。どの面さげて…的な恥ずかしさだ。
でも初めてこの定義を読んだとき、涙が出てきてしまったのも事実だ。そして正直に言うと「うれしかった」。
私は思春期あたりから、学校へ行く途中の道なんかで時々自分がなぜ生きているのだろうと考えることがあった。
大学生くらいになると、おそらく生きる目的はシンプルで次の世代にバトンを渡すことだと思った。でもどんどん年を取っていく中で、それさえしないというかできない自分がなんか途方もなく「無駄」な人間のように感じることがあった。
だから自分が存在する意味を今の家族の中で欠かせない人になることで補おうとしたのだけれど、結局はそれでは満足はできなかった。
だから、この記憶を思い出したこと、そして「ライトワーカー」という何か特別な感じのする言葉に、「自分には使命があった!!」と自分の存在意義を感じたのは事実だ。
だから、まあいろんなことに夢中になるよね。これこそが!!って思った。だけどこの後いろんな学びがあってそこで本当のスピリチュアルの道に入って、失敗しながら、格闘しながら、そして去年の弟の死を迎え、その後の学びを経て、今はその地点は通り過ぎ、また別の視点に立っている。
その視点に立てたからこそ、今ようやく「エネルギーワークデビュー」ができたのだろうなとしみじみ思う。
アトランティスという文明は、今の人類のずっとずっと前に栄えた文明で、テクノロジーや人間が持っていた能力は今の人類とは比較にならないほど高い文明だった。
にもかかわらず、過去4度も滅亡している。
原因はテクノロジーの暴走とか、エネルギーの間違った使われ方とか、いろいろと挙げられていてそれはそんなんだろうなと思っている。
私も実際に持っている記憶は、この文明の最後の瞬間に自分が体験した時のことだけなので細かいことは分からないが、私は自分が所属した集団の失敗の原因としては、それはアトランティス全体と言ってもいいと思うが、極端な「使命感」があったと感じている。そしてその極端な使命感がどこから来たのかと言えば、もう完全に魂としての経験の浅さが原因だったと思っている。
アトランティスという能力が高く、高度な文明の中では「ネガティブ」というエネルギーの経験が浅かったのではないかと感じている。
つまり、「ネガティブ」な経験の浅さによって「恐怖」や「不安」、「怒り」などのエネルギーが持つ本当のところを掴めなかった。
そう言ったネガティブなものというのは光が持つ別の側面であるだけなのだ。
だから対立するものでも否定するものでもない。ましてや駆逐するものでもない。
じゃあ、「認めて悪のなされるがままになればいいのか」という話がでてくると思うが、この考えこそが私たちが長年盲目的に宇宙のことを知らないがために、勘違いしてきて生きることを難しくしていた原因なのだ。
そしてそれは、当時のアトランティスの人々が気が付けなかったことでもあると感じる。
この一見ジレンマに感じる「悪との共存」は、ただ相手を「認める」というそれをすること、そして同時に自分の生きる世界にそれを入れるかどうかを決める。これだけで実は解決する問題なのだと感じている。
相手を認めると、意識の力でその存在が生きる次元が出来上がる、そして自分はその次元ではなく別の次元で生きると決めると、おのずと2つの次元は穏やかに離れていくものなのだ。
そして両方の学びが多次元のなかで共存できるようになるのだ。
宇宙が求めているのは無限の「愛」だ。愛とはただそうあること、ただその存在をありのまま認めること、そうだとしたら、「使命感」は何かを正しいとしてそこを譲らず、他の考え方を受け入れない。それは「愛」の形とは程遠い。
私たちはただどんな現実、次元で自分の人生を生きたいかを決めて、その自分が生きたい現実にあったことを自分自身がすればいいだけの話なのだ。
思いやりあふれる世界に生きたいのなら、ひどいことをしている人をなじる前に自分の周りで自ら動いて思いやりを増やす。
宇宙やエネルギーの話が好きならその世界を読んだり書いたりして楽しむ。
そうやっているうちに、おのずと周りにそれと同じものを求める人や事象がやってきて、自然と自分が求める世界が出来上がってくる。
アトランティスの失敗の後、私たちはその課題に取り組むために、今度は今の人類として能力をとことん下げて、とことん落ちるとこまで落ちて、物事の両サイド、「する方・される方」「ポジティブ・ネガティブ」をこれでもかって経験し、「今」がある。そしてその両面を知っているからこそ、この宇宙が求める視点に立つことができる可能性のところまで来ている。
だから能力的には今でもアトランティスには及ばないが、魂は5次元に突入できるレベルにまで上がりつつあるのだ。
そんな感じだから、「ライトワーカー」の使命というのも、実は簡単で「人生を自分なりに楽しむ」ということが基本なのだ。
そうやって楽しんで自分が心からしたいことをする。そして人が「どういうことですか?」と聞いてくることがあればその話をする。これが基本スタンスなのだ。
2015年の5月、アトランティスの記憶を思い出し、「ライトワーカー」の言葉に涙している時点の私は、まだよくわかっていなかったな。だから、私のサポートチームは私が勇み足で「ライトワーク」しようとしたのを止めたのだ。あの時は「なんなんだ!?使命じゃないのか!!」と怒ったけど、今はよくわかります。サポートチームは本当に完璧…^^;
さて今回の回で、私がなぜ今こんなことになっているのかって話は一応終わりです。
次回からは、実際にこの道に進む中で体験したことや失敗したことなんかをあまり時系列に縛られずに「紹介」って形で書いていきたいなと思います。
最後に、だいぶ前に同じ「ライトワーカー」の意識を持つ友人に自分が「ライトワーカー」としてブループリントに沿っているのか、道を間違えていないかをガイドさんに聞いてほしいと頼まれ、私が聞きにいったときの会話を載せて終わります。
「なるほど~」と私にも参考になったので^^
私:
○○さんはブループリントに沿っていますか?
ガイド:
もちろんです。
どの道を通っても同じ目的にたどり着くことを知って下さい。
大切なのは選択する時の心持です。
私:
○○さんはライトワーカーとしてちゃんと道を歩いているのか気になっているようです。
ガイド:
ライトワーカーとして生きることはそんなに難しいことではありません。
毎日をただ生きる、それだけでもライトワークです。
ただ、それ以上何かしたいと望むのであれば、自分がしたいと望むことをすることです。
私:
それは何ですか?
ガイド:
その事について我々が口を挟むことはできません。
何故ならしたいことというのは自分の中から湧き上がることであり、
何かに導かれるものではないからです。
私:
ヒントはないですか?
ガイド:
もうすでに自分の中にあるものの中から見つけなさい。
「したい」と思うことをする。とてもシンプルです。