アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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昨日のハプニング

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昨日、ちょっと面白いことが起こった^^;

私は、大体、その日にアップする記事は前日に書くようにしている。最近は1日1つの記事と決めているのに、昨日は2つの記事をアップしてしまった。

今日用の記事として「宇宙の絶対ルール自由意思」を書いていたのに、なんと操作ミスで「あ!」と思った瞬間投稿してしまった…。
「あ~~~~~!!!なにしてる私?!」と思ったのと同時に「これは、、もしかして今投稿しなさいってことなのか?」とも思った。
しかし…、、長文(私の中では^^;)記事が惜しくなった私は、その投稿を取り消した。。
すぐだったので、たぶん誰にも見られていないはず…と思ったので。
そして、またちょこちょこと手直しをして、それを保存しようと「保存」ボタンを押したら、なんと!今度は「エラー」が!
何度保存ボタンを押してもエラーが治らない…(T.T)
エラーボタン以外でその記事を消去することなく保存するには「投稿」か手直しした部分をあきらめて「キャンセル」しかない。。
そこで、大天使ヨフィエルさんにお願いした。

私:「ヨフィエルさま、お願いです。もしこの投稿を今日中にするべきなら、そうします…だから記事がどっかに消えてしまうことだけは(以前あったので)勘弁してください。。投稿するなら、ちゃんとタグづけとかして、ツイッターにも投稿できる形でしたいので、今は「キャンセルボタン」で勘弁してください。。」

そう、お願いして「キャンセルボタン」を押した。すると!なんということか!手直しした部分を「キャンセル」したのに、記事を見るとちゃんと手直しが反映されているではないか!!

これは、もう絶対投稿するしかないなと思い、念のため、ヨフィエルさんに聞いてみた。

すると↓

ヨフィエルさま:
「お願いします。今、投稿してください。あなたのためにそうしてください。お願いします、お願いします、お願いします。。。(“お願いします”が永遠に続く感じ)」

何が私のためなのか、、全然わからんけど、ここまでお願いされたら、もう投稿するしかないな、ということで投稿した。
昨日の投稿の「自由意思」でも書いたけど、ここで私が「いやだ!絶対投稿しない!」と決めたら、ヨフィエルさまといえど、どうしようもない。だから私には「投稿しない」という選択肢もある。

でも私はこのブログを始める時に、大天使ヨフィエル、大天使ミカエル、そして弟と連携して書くと決めた。それらの存在にお願いもした。
彼らは確実に私自身について、またこのブログについて、高い位置から私には見えない部分を見てアドバイスをくれていることは間違いない。
だから私はこのアドバイスの意味は分からなくても投稿することにした。
こういうところで、彼らとの信頼関係も深まっていく。

そしてこの記事を書いていて気が付いたんだけど、この体験ってちょうど「自由意思」のルールにはいい例になったし^^
結果、とてもよかったと思っている。

次こそは「次元」の話を書きます^^



by atelierkei-0520 | 2016-06-30 20:23 | ◇つぶやき

宇宙の絶対ルール「自由意思」

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前回、前々回と波動について書いた。
波動の話1
波動の話2
波動とは輪ゴム状の1本の紐が振動するときにできる波のこと。
そして波動は輪ゴムの振動数と形状でその性質が決まる。
つまりその波動によって伝わってくるエネルギーが「ポジティブ」になるか、「ネガティブ」になるかが決まる。
波動がエネルギーの形状を決める。
では、どういう場合に「ポジティブ」に振動するのか。またどういう場合に「ネガティブ」に振動するのか。

なんと、どちらで振動するか、決めているのは「輪ゴム」自身!

どちらの形状をとるかは、完全に「輪ゴム」の自由!!

そしてそれは、例え大天使だろうが、もっと上のもともとの源だろうが、どちらで振動するかは決して強制できない。
「ポジティブの方がいいですよ」とは言えても、「ポジティブにしなさい!」と輪ゴムに手をかけ強制的に揺らすことはできないのだ。
これが「宇宙の絶対ルール」の「自由意思」。
これを知ることがすごい力になる。
全ての基準がここになるから。

だから、「どうしようもない」って状況の中には、輪ゴムの集合体の自分がそれを決定したって事実が実はある。
これって、たぶん初めて聞いたら、もし、つらい状況で一生懸命頑張っている人が聞いたら、きっと、そんなこと言うヤツ、許せないって言う人もいると思う。
でも、前回の「意識の覚醒」で書いた苦しみの果てに辿り着く、新しい視点とはまさにこのことなのです。

「自分の何がいけなかったのか」
「なぜこんな目にあうのか」
「なぜこんなに苦しい思いをするのか」

その答えは、「そうしたかった」ただそれだけ。すごくシンプル。
そして別の言い方をすれば「経験したかった」、だから今経験している。
こんなにシンプルなことなのなら、人はどうしてややこしくするのだろう。そう感じると思う。
それにはそれでちゃんと「人」としての理由があるのだけれど、それについては別の機会に書こうと思う。


何が原因とか、誰かが悪いとか、自分が悪いとか、状況が悪いとか、運がないとか、そういうことでは全くなく、
今の人生を通して、またその前のたくさんの人生を通して「ただ経験したかった」そう気づいたとき、
このもともとから目の前にあった当たり前のエネルギーの世界が開けてくる。
そしてそのエネルギーを自在に使う、そういう道にはいる。

次回はこの波動の話を「次元」という切り口で書いてみようと思う。

by atelierkei-0520 | 2016-06-30 19:41 | ◇スピリチュアルといわれる世界

波動の話2:波動の法則

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前回の投稿で波動とは輪ゴム状の物質が振動することで出来る波の事で、エネルギーの形状や性質を表すと書いた。

波動をみる場合は、「振動数」と「波の形状」が大切な要素。
特に「振動数」では「低い」とか「荒い」とか「重い」といった表現のものと、
「高い」とか「細かい」とか「軽い」といった表現のものがある。
「波の形状」は「個性」と言っていいかも。

簡単にいうと、「低いエネルギー・ネガティブ」と「高いエネルギー・ポジティブ」とに分けられる。
実際にこの二つがどういう形状になっているかを説明することはできないが、見分けるのは簡単。
要するに「ネガティブな感じ」か「ポジティブな感じ」か^^それだけのこと。

「次元」と言う言葉があるが、あれはエネルギーが存在する世界をわかりやすくするためにエリア分けした世界観をさすのだけれど、
次元が上がれば上がるほどそのエリアに存在できるエネルギーの振動数が純粋で軽くなる。

私たちがいる「3次元」は宇宙の存在たちの体験学習の場として特別に設けられた世界で、この世界では限られた周波数の範囲であれば「ポジティブ」と「ネガティブ」が混在できる世界というか、混在していないと存在できない世界でもある。

私たちが肉体を持って存在している「3次元」とそのすぐ上くらいの「4次元の低い波動エリア(幽霊さんや人の思いのエネルギーなどがある場所)」なんかは、宇宙の中でも「ポジティブ」と「ネガティブ」が混在することができるけど、これからアセンションで向かっている「5次元」と言う世界は、「ネガティブ」という重い波動は存在できない。
だから、今私たちはいろんな重いエネルギーを脱ぎ捨てている最中なのだ。

同じ振動数は引き合い、あまりにも違う振動数のものは離れる法則のことを「波動の法則」という。
自分の周りのことをよくよく見ると、全てがこの「波動の法則」に沿って存在しているのがわかってくる。
宇宙も自分も全てはこの「波動の法則」によって動いている。


次は「輪ゴム」の意思について書いてみたいと思う。





by atelierkei-0520 | 2016-06-28 22:15 | ◇スピリチュアルといわれる世界

波動の話1

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スピリチュアルな話となると、「波動」の話は外せない。
詳しくは調べればいくらでも出てくると思うので、簡単に、しかも私解釈で書いていこうと思います。


物質は極限まで小さくなると一本の紐であるらしい。
厳密にいうと輪ゴムにみたいな輪っか状らしいけど、とにかくそんな形をしているそうだ。
その輪ゴムは一つ一つ振動している。振動することで周りに波ができ周囲にその振動が伝わっていく。
そして、この輪ゴムみたいなやつの振動の波を「波動」と呼ぶ。
http://matome.naver.jp/odai/2132453613216297001
↑こちらのサイトによると「開いた紐」もあるみたいだけど、ややこしいのでここでは「輪ゴム」と統一しておきます。

輪ゴムは常に宇宙の源からエネルギーを受け、受け取ったエネルギーを外に放出している。
放出する時に輪ゴムは震える運動によって放出する。
宇宙から受け取るエネルギー自体は常に一定で、良いとか悪いとか、高いとか低いとかはないのだけれど、どのような振動数で変換するかで、その性質が決まってくる。またその波の形によってもエネルギーの性質が変わる。
だから「波動」とはエネルギーの形状や性質を表す。

上に「物質」と書いたが、目に見えるものだけが「物質」というわけではない。
目に見えるか、見えないかは、「目」という物質が持つ振動数と同じかそれ以下の物質は「目」で感知できるが、「目」という物質よりも振動数が高い物質は目では感知できない、ということでしかない。
だから肉体という輪ゴムの集合体は目に見えるが、魂と呼ばれる輪ゴムの集合体は目に見えないので、肉体よりも魂の方が「波動は高い」ということになる。

簡単に~とか言いながらまた長くなってしまったので、続きは次回。

by atelierkei-0520 | 2016-06-28 22:04 | ◇スピリチュアルといわれる世界

沖縄??

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ちょっと長文が続いたので、次に行く前に息抜きで何を書こうかなーと思って、大天使ヨフィエルさんに聞いてみた。
このブログは大天使ヨフィエルさんがみてくれているので。

私:ヨフィエルさま、何を書きましょうかね。。

大天使ヨフィエルさん:^^(ニコニコ) とってもいい話があります♪ 沖縄のことです(^^♪
           今、沖縄では様々なエネルギーの交流が行われています♪
           面白い体験ができるので、機会があれば行ってみてください♪

えーーーーー…っていうかめっちゃざっくりですけど、こんなのブログに書いていいのかな。。
(まあ大天使さんたちは、いつも結構ざっくりなんだけど)

私:いや、それってあまりに唐突だし、なんか、こう、書きにくいんですけど。。

大天使ヨフィエルさん: ^^(ニコニコ) なぜですか? 届く人には届きます♪
           それでいいのでは?


うーん。
ということで、書いてみた。。
知り合いで今沖縄にいる人がいるので、ピンポイントでその人に向けたメッセージかも^^;
まあ、ピンときた人向けの投稿です。


by atelierkei-0520 | 2016-06-28 08:38 | ◇大天使

意識の覚醒3

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私たちがもともと持っている大きなテーマ「光とは何か」を知るために、それまで必死で頑張ってきた失敗から闇を知り反対側の光を知るという「学び」から、21世紀前後を境に「光」そのものを体験して行く道へのシフトが起こっていると書いた。
意識の覚醒1
意識の覚醒2

そしてこのシフトの期間、ある意味大混乱となるとも書いたが、この混乱こそが「意識の覚醒」の始まり。
「意識の覚醒」を体験するのは、古い世代から引き継いだ考え方を「真実」だと思い、実行し、ある程度自分の人生を確立してきた人たち。
「世の中そんなに甘くない」とか「すべては根性があるかどうか」とか「分を知る」とか。
そういう教えられてきた観念を、ある程度人生の中で経験し、なるほどそうだ、その通りだと思っていた人々、でも心の奥底で何か違和感みたいなのを常に感じているのに、そこにフォーカスするのが怖くて見ないふりしていた人々が、今、続々と壁にぶちあったっている。
その壁の現れ方は人それぞれ。自分自身の心の問題だったり、家族の問題だったり、職場の問題だったり、寝耳に水の病気やケガという肉体面での試練ということもある。ビジネスの問題ということもあるし、それらが同時に起こったりすることもある。

「意識の覚醒」の時期に出会う問題では、いままでになく徹底的に自分と向き合うことになる。この時がかなりつらい。
でも、この時が実はとてもとても大切な時期。なぜなら今まで何度も生まれ変わり、経験したことの中で自分が何をしたかったのか、それを通して何を学びたかったのかを再確認する時だから。

そして、その後、その沢山の固定観念、古い方程式を手放したとき、これからの世界で有効な新しい方程式、実はこれこそが私たちが学びのために一旦忘れた宇宙の常識なんだけど、それをもう一度手に入れる。

私たちがこのシフトを経験することには、自分を新しい世界の為に開放し、新しい方程式を受け入れるために必須のことなんだけど、もう一つ大切な意味がある。
それは今生まれてきている子供たちのこと。
彼らは新しい世界にあった新しい方程式を持って生まれてきている。私たちが意識を変えていき新しい方程式の世界を作ると誓って今取り組んでいるからこそ、彼らは新しい世界を目指して生まれてくる。

「新しい」とか「古い」とか、そういう表現をすると、「古い」が悪く聞こえるかもしれないが、そういうことでは全くない。
私たちが十分経験したその古く重い体験は宇宙では宝物なのだ。

私たちは本当に素晴らしい体験をしてきた。
それが心の奥底でわかっているからこそ、このシフトの時期の手放しは何とも言えず切なく、まるで手放したくないかのように涙する。

そしてそれを高い視点からいつも見ている様々な存在たちが、心から「お疲れさま」と言って、私たちに寄り添い、手放しを助けようと固唾をのんで見守っている。

「私たちを知ってください。あなたがそれを望むなら、いつでも力になります」それが天使たちからのメッセージ。

そういう流れもあって、私のように「目に見えない存在とコミュニケーションが取れるようになってしまった」という人たちが、爆発的に増えている。

今回は今起こっていることを知ってもらうために「意識の覚醒」っていう切り口で書いてみた。
なんか、これを伝えることがとても大事だったような気がしたので。

今度はシフトした先にある世界についても書いてみたいと思う。

最後に大天使ガブリエルからのメッセージを紹介します。

「大天使ガブリエルのノート」から⑰番「意識について」

意識とは表面上認識しているものとそうでないものがあるといいます。
このことはもうよくご存じのようですね。
意識の中の認識されていない部分を知ることを覚醒といいますが、
ちょうど今その覚醒がはじまろうとしています。
この覚醒についてお話しします。


自分の中に大きな得体のしれない渦のようなものを感じる時があります。
この渦は時にどうしようもなく自分を苦しめます。
この渦と向き合う時に覚醒が起こります。
覚醒が起こるために必要なキーが「自分とは何か」という思いです。
覚醒することで意識は本来の働きを始めます。


それは創造することです。
創造することを意識的に行います。

この段階に入ること、それが人類の次の段階への進化です。
自分の渦と向き合う時、それが始まります。


Q:創造とは何を創造するのですか?
A:すべてです。





by atelierkei-0520 | 2016-06-27 10:10 | ◇スピリチュアルといわれる世界

意識の覚醒2

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前回のブログで「意識の覚醒」が起こっていると書いた。
なぜ今そんなことが起こっているのか。
そのことについて書いてみようと思う。

そもそも、宇宙とは、完璧である「光」が自分の姿が知りたくなったため分割したことから始まったらしい。それがビックバン。
私たちがビックバンから始まる宇宙のチリだったとしたら、私たちの魂の目的の根底には「自分とは何か」つまり「光とは何か」というものがあるといえる。

つまり私たちとはその光とは何かを知るために模索することを選んだ存在なのだ。
「幸せ」「喜び」「美しさ」「温かさ」などの全てのポジティブな要素を知ることが「光」を知るための道となる。
そこで、私たちがまず選んだ方法は、まずは徹底的に「失敗」することだった。
失敗することで体験できるあらゆるネガティブな要素から「闇」を知り、「光」というものの姿を掴もうとした。
「闇」を知ると「光」がよく分かった。だから私たちは何度も何度も生まれては死んで、その学びを積み重ねた。

ところが失敗をテーマに生きてきた私たちが、21世紀をまたぐ辺りを境に大きくシフトすることになった。
それは「もう十分だね、十分経験したね。多くの失敗から闇を知り、光とは何かがわかったよ。だから今度は光そのものを体験していこうよ。」という状態に入った。つまり「光とは何か」の答えを知るために、「学び」から「体験」にシフトすることを決めたのだ。
このシフトの期間がまさに今。「意識の覚醒」はこのシフトが現実に現れている現象なのだ。
そして去年2015年はこのシフトの大波がやってきた年だった。
私もこの流れに乗って2015年の5月に「意識の覚醒」を体験し、今に至る。

これは、ほんとにすごいこと。だってそもそもの根底から覆してしまうことだから。
私たちが今まで大事に持っていたものは「光とはなにか」を知る「学び」の為に必要だった方程式。ところがこれからの目的は「学び」ではなく「体験」になるので、そもそもの目的が違ってくる。
つまり今まで大事にしてきた方程式が全く役に立たなくなる。
だから、この移行期はある意味大混乱となる。

長くなるので、次回に続く。

by atelierkei-0520 | 2016-06-26 07:33 | ◇スピリチュアルといわれる世界

意識の覚醒1

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ちょっと面白い動画を発見した。
私がずっと感じていたことをすごくわかりやすく説明してくれている。
この動画で出てくる「コンシャスネス」とは直訳すると「意識」のこと。
でもスピリチュアルの世界ではもっと広がる意味になる。例えば「意識の向上」とか「意識の覚醒」とか。
人によっても使うニュアンスは変わってくるかも。
私にとっては、どちらかというとこの「覚醒」って言葉の方が実体験に近いかもしれない。
そして以前大天使ガブリエルも「意識の覚醒」について話してくれたことがある。

今、本屋さんのスピリチュアルのコーナー、人文科学とかいうコーナーになってたりもするけど、たくさんの本がでている。
メッセージとして圧倒的に多いのは「あなたはそのままでいい」とか「自分自身が心から幸せになる」、そうすると全てが整うというものだ。
これ自体は、私もそうだと思っている。というか、もうこれしかないと思っているし、やっとこの視点に立ちつつある。

でも、実は、この視点はもうすでに「覚醒」している人が持つ視点。
実際はこの地点に到達する前の段階というのがあって、その前段階の人は「理屈はわかるよ、でもそれが難しいんだよ!」という思いに悩まされる。

今、私たちはこの新しい視点に立つための「意識の覚醒」を経験する流れに入っている。
そしてその流れに入った私たちが必ず通る道が、この動画の人が言っているような時期のこと。
この時期を経験して初めて「あなたはそのままでいい」とか「自分自身が心から幸せになると全てが整う」とかいう状態を体現できるようになるのです。

そのために、いったんこれまでの人生で獲得してきた「こうあるべき」とか「ねばならない」という「これこそが正しい道である」という固定観念ととことん向き合う時期がいる。「正しいと思っていたことは、本当にそうなんだろうか?」って。

本を書いている人たちは、どの人もこの過程を経験している人たち。
でも本の中にはこの時期のことが省かれていることがほとんどなのだ。
だから、本を読むと、なんだか自分の表面上の考えや行動を変えれば全て良くなるような理解になるけど、実際はそこに心も納得しなければ結果は出ないことの方が多い。

心が納得するために、人は一度「これではダメだ!」という状況に自分を追い込む。
その時期には今まで信じてきたものが崩壊するという現象と向き合うことになる。
「自分の何がいけなかったのか」
「なぜこんな目にあうのか」
「なぜこんなに苦しい思いをするのか」
そして結局「自分は何なのか」。
だから、これまで一生懸命生きてきた人に限って、より激しい現象を目の当たりにするかもしれない。

でも、これこそが、新しい視点の幕開け。すべてはここから始める。
この時に、今までは見つけられなかった新しい視点を獲得した時、少しづつ開放されていく。
それは決して楽ではないけれど、辿り着く先に見える景色はきっとものすごく爽快。
それがなんとなくわかり始めた今日この頃です。

次の投稿で、なんで今こんな動きになっているかっていう話を書いてみたいと思う。

by atelierkei-0520 | 2016-06-25 11:39 | ◇スピリチュアルといわれる世界

チューニング

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昨日の夜、友人から送られてきたメールで、1895年パリ製ERARDエラール 432Hz 純正律の音というのを紹介され、聞いてみた。
音楽は全くの素人なので、詳しくは全然わからない。
ピアノの音には純正律と平均律というのがあって、今一般に聴けるピアノの音は平均律でできているらしい。
でもこれは本来人が自然に聴いている音の「平均」をとった音で表現範囲は広いものの、実は自然の音ではなく人の魂に心地いい音ではないらしい。
純正律の音は、無限にある音の中の一部をなるべく忠実に再現したもので、表現範囲は限られるが人間の魂を揺さぶるような音だと聞いた。
夏至の期間の最終日にこれが送られてきたというのも何かの縁かも、と夜寝る前に「夏至の期間総仕上げ」のつもりで聞いてみた。

「細胞が震えるよ」とその人は言っていた。本当に、ハートのあたりが熱くなって、涙がいっぱい出てきた。
そして震える細胞の隙間からたくさんのエネルギーが浄化されていくようだった。純正律の音によって自分がチューニングされていくような感覚。不思議だった。





https://m.youtube.com/watch?v=0pDWzWpgkjw
↑うまくリンクが貼れなかったのですが、同じさとうみつろうさんの「一人だけで聴いてみた純正律」って言う動画もおすすめです。


今朝、その人に「すごかった」ってお礼のメールをした。するとその人は「私はエラールとの出会いで全てのことはバイブレーションの共振だってわかったの」と返事が来た。

その人が事あるごとに「すべてはバイブレーションだから」「結局は共振だから」と言っているのはよく聞いていたし、頭では意味は分かっていた。
でも、今日この人の返信の「すべてはバイブレーションと共振」って言葉が、突然「あ!」と心にパシッと何かをはめた。
何かがわかってしまった。表面の意識上では上手くまだ説明できない。でも、何かが、パズルのピースがはまった瞬間のように私の中に確固とした揺るがないものとして、存在する状態になった。
これから、意識上にそれを落とし込めるようにいろいろやってみようと思う。
ワクワクする。これが「どこでもドア」を超えた地点かも^^



by atelierkei-0520 | 2016-06-24 17:18 | ◇日々の気づき

夏至の期間 弟という人

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弟が逝ってしまってから1か月が経った。
1か月も会ってないね、と、ふと思った。
こんなことは前にもたくさんあった。何度も家を出て行った。連絡なんかよこさないやつだった。
最後に家に帰ってくることになった6年前、彼が帰ってくる3か月くらい前に、私は夢を見た。
リビングで家族がいつもの夕方を過ごしていると、小さな庭の垣根の向こうに人の気配がして、うちのワンコが仁王立ちで首を緊張させて、食い入るように窓からそちらを見ていた。
外から家に入ってきたのは、しばらく顔を見ていない弟だった。そしてその手には何故か鯛の煮つけが入った大きめの鍋を持っていた。顔はとても疲れていた。でも、苦笑いともとれる笑顔を見せて、鍋をこちらによこした後、どさっとソファーに座った。
うちのくまちゃんを我が家に引き取った時、弟は家にいなかった。しばらく会わずで、何かの時に一時帰省した時、「誰だ!よそものめ!」ってルナは吠えまくっていた。でもこの夢ではルナは全然吠えなかった。

目が覚めたとき、これは絶対にいい夢だと思った。やっと心配ばかりかけ続けた彼が自分の家族の中に居場所をみつけて落ち着いてくれる。しかも「鯛の煮つけ」(これは彼の好物でもあったんだけど)的な何かを持って、帰ってくるかもしれない。そう思った。そして実際に彼は帰ってきた。現実には彼はボロボロで何も持ってはなかったんだけど。
ボロボロの彼を見ても、絶対大丈夫だ、これは逆にいいことだと思った。

6年間、彼は引きこもった。でもその間、決して家族を傷つけることはなかった。それどころか、引きこもってるくせに、いつも家族のピンチの時に助けてくれたのは彼だった。
ものすごく難しい人でもあった。めちゃめちゃ頭がよくなんでもできた。自分が経験し獲得したこと以外は受け入れなかった。そう意味では知識も歪だった。
観察力もすごかった。だから本人も見たくない、相手も見られたくないそんな深い部分にまで到達してしまう諸刃の剣も持っていた。
そして自分の深い部分の話はめったにしなかった。「どうせお前らにはわかんないよ」ともとれる冷たい底知れぬ怒りのようなものを秘めた目で時々見られた。でもその眼の奥に、彼なりの私たちへの愛情が理解してもらえないという悲しみが隠されていたのに気が付いたのは、彼が逝ってしまった後だった。
最後の一年間は家の事情もあって、これまで以上に彼は家の為にいろんなことをしてくれた。すべての家族の為に、彼の持っている知恵、かつての仕事で培った知識、他の家族が持っていない体力と力、お金は稼げないけど、できることすべてをやって、家族が快適に過ごすための空間をできるだけお金をかけずに整えようと奔走してくれた。
何度もホームセンターへ通ってくれた。ホームセンターにない材料は業者に電話してまで発注してくれた。
そして、時々何とも言えない間の抜けた顔をして、家族の一人一人の特性を力説しては、楽しそうに笑ってた。
だから、私たちは絶対大丈夫だと思った。自分のために生きて欲しかった。
彼が自分が生きる理由を私たちに求めていると感じた時、とてもそれが重くなった。そして自分の生きる理由を他人に求めるなんて「甘え」だと思った。自分を幸せにできるのは、自分だけなんだ。幸せになるかは自分が決めるんだ。そう思っていたんだけど、彼は何度も言っていた。「もう俺には何も残ってないんだよ。もう無理なんだよ。」

「自分の為に生きてくれ」そう詰め寄ったら、彼は逝ってしまった。
信じられなかった。絶対これだけはないと思ってた。そして逆にこれからだと思ってた。

逝ってしまってから、後悔の中、自分が最後に弟に対して怒っていたことを誤った。本当にものすごく腹を立てていた。
そして気づいてあげられなかったことを心から悔いた。
するとこんな風に返してきた。
「ねえちゃんが、俺に対して感じていた怒りは、俺に対する怒りではなくて、俺の要望に対する怒りだったのだから、気にしなくていいんだよ。
起こっていることの表面だけを見ていては、その奥の奥のことには絶対に気がつけない。
だからその深い部分を感じることがとても大切なことなんだけど、俺はそのことを間違った方向に使ってしまったんだよ」

すごい弟だった。本当に。
本当にたくさんのことを教わった。こんな弟の姉に生まれたことは、とてつもなく切なく、でも誰にも理解できない誇りでもある。
実は彼の人生は終わっていない。それは成仏してないということではなく、別の次元で別の肉体を持って生きている。
それが彼の人生。
そんな人生もあるのだと、驚愕する。
それはわかっていても、やはり寂しく悲しいのもどうしようもない。だって、やっぱり会えないもんね。まだ1か月だけどこの先何十年も会えないし(たぶん^^;)。

今日こんなに長々とセンチメンタルに書いたのは、もうすぐ夏至の期間が過ぎるから。
「どこでもドア」を抜けるその先に進む時、この後悔や悲しみは私の大切な経験として昇華させていくつもりだから。
これからも時々弟は登場すると思うけど、人間だった彼がどんな人だったかをこんなふうに書くことはないと思う。
ここに書くのは、名もない人の名もない弟だけど、こんな人もいたってことを誰かが知ってくれれば、それだけで彼の人生がより確かなものになる気がするから。
ならなくてもいいんだけどね。だって、やつは、今もすごいやつだから^^
「ありがとう」っていう感謝と「ばかやろう」っていう愛情しか、今はもうない。

by atelierkei-0520 | 2016-06-23 07:23 | ◇弟のおしえ