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カテゴリ:弟のおしえ( 8 )

夏休み中のつぶやき:制限を外す


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昨日は私の特別な日でした。
「918」全て足しても「9」
ここ1週間ほど古いエネルギーを一掃させられる流れになっていて、17日の最後には新しい風が吹き込みました。
それにより今までの自分がいかに自分自身に制限をかけていたのかを感じられるようになりました。
「気づく」と外れます。
浄化も「知る」と起こります。

「気づいて」外れて、私にとっての新年の日に新しいスタートを切れました。
私たちは何かを望む時、よく同時に「制限」をかけます。
「制限をかける」とは「未来を決めつける」と言い換えることができるかもしれません。

例えば「〇〇したいなー」と思っても同時に「あ、でもやるには×くらいのお金いるな、、ちょっと今の私には無理かなー、、」とか。
でも、よく考えてみると無理なのは今この瞬間の自分であって、未来の自分ではないはずです。未来の自分はちゃんと出来るかもしれません。
で、「〇〇している自分」というのは、こんどは「今の自分」ではなく、「未来の自分」のはずです。今はただ〇〇している自分をイメージした時に「いいなー」って感じているだけ。

私は未来の自分のことを今の自分が決めるってことをやめました。
それが制限を外すってこと。
願望を持った時に派生する全ての制限、
「お金」
「時間」
「年齢」
「過去のデータに基づく予測」
「常識」
そういった頭に自然に浮かんでくるそれらすべての制限を「気づいて」笑って手放す。
「あ!また制限掛けてるわ!私!」と。

「願望」とは、
今この瞬間無数にある可能性のどれかと繋がった時に私たちが持つ未来のイメージで、その未来は今はイメージでありながらも、今と同時に確かに存在するもの。
つまり、私達が「〇〇したいなー」と思った瞬間にもうその未来はあるのです。
繋がっているからこそ、イメージするのです。
「制限」はせっかく繋がったその未来との間を断ち切ります。

だから、「願いが叶った」と思う時はその未来と繋がって経験する段階に入った、それが「叶った」の本当の姿だと思うようになりました。

そう考えると、今の自分にそれが叶うか叶わないかを決めることなんてできないと思うのです。
いや、というよりそもそも「願い」を持った時に「叶う」「叶わない」を考える必要なんてないんです。
何故なら、その未来は確かにあるのだから。
だから「○○したい」と思ったら素直にただ「○○したい」と思えばいいんですね。

こう書くと、「制限を外したら叶う」のかって思うかもしれません。
でも実はこれも「制限」の1種。
なぜなら、今の自分が未来の自分の「ベスト」を決めることはできません。

「私は○○したい。でもそれが叶っても叶わなくても、どちらでもいい。
なぜなら、私は自分を信じているから。
自分の流れを信じているから。
自分の目の前で起こることは、全てがベストだと知っているから。」

これが私がこの夏休みに獲得した自分の立ち位置です。

「人は自分の思い込みでものをみるけど、本当はその思い込みを外せば、無限の可能性が広がることを知ってほしいと思う。」

これは17日にスマホのメモを整理してみつけた2017年7月3日の弟の言葉。
一年越しに見て、改めて今染み込んできます。







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by atelierkei-0520 | 2018-09-19 11:56 | 弟のおしえ

今朝の夢

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昨日は一日中、雨と蒸し暑さのせいか、波動ダダ下がり。こういう時って、考えが止まらない。グルグル回って、答えなんかでない。
自分の波動が下がるから、考えが止まらないのか、考えが止まらないから波動が下がっていくのか、よくわからないけど、ブログの文章を書いていて、一文字消すつもりで「バックスペース」を押したら、何故か、たたたたたた、たたたたたたたたたたた、たたたたたたたたた、と全く何処も触ってないのに全文章が消されてしまったりΣ(゚д゚lll)。何とかする元気もなく、ちーんって頭の中でなってしまう始末。。

しょうがないから、夜近所に散歩に出た。
歩いていても、やっぱり考えが止まらない。
ふと、考えるのを止めようと思った。
だって答えなんか出ないし。
代わりに、何故かその時、
「うれし、たのし、大好き(←特にあのグループが好きなわけでもないのに)」っていうフレーズが浮かんだので、それを念仏の様に頭の中で唱えることにした。
唱えながら、テクテク歩いてえたら、今度はなんか、「感謝」したくなった。
それで感謝することにした(もちろん心の中でね^^;)。

「感謝します!」
「だれに?」
「自分に!」
「自分だけ?」
「うーん、全てに!天使に、龍に、弟に、日本の神様に、隣で歩いている母に、とにかく全てに!」
そうしたら、なんか明るくなってきた。
そして、何だか願いごとかしたくなってきた。だから、空に向かって願ってみた。
「今日の夜は、何か、たのしーい夢を見せて下さい(^-^)何でもいいです!とにかく幸せを感じる夢を見せて下さい(^O^)」

そうしたら、今朝、目がさめる一瞬前、弟がいつもご機嫌だった時そうだったように、私に何やらウンチクを言っている夢を見た。
彼のウンチクは結構めんどくさいので、右から左なんだけど、私はそのウンチクは全く御構い無しに、ただただ、幸せに浸りながら彼を見ていた。ウンチク聞く振りしながら、ただ、ものすごく幸せだった。
そしてこう思った。
「死んでないだけずっといい」
それから、はっとして目が覚めた。

そして、直ぐに降りてきたメッセージ。
「生きていることを楽しんで」

また、いろいろと教えてもらった1日でした。
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by atelierkei-0520 | 2016-07-13 17:56 | 弟のおしえ

四十九日の次の日の「小さな奇跡」

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弟が逝ってしまった朝、泣きながら手を洗っていると、ふと、弟が「ねえちゃん、ルナの首輪に俺の名前が入ったプレートを付けて」と言う。
その時は泣きながら「わかった」と言って、日常が戻ってきたときに、早速、職業を活かして弟の名前が入ったプレートを作った。

別の日にも「ねえちゃん、ねえちゃんの書斎に俺の写真を飾っておいて」と言う。

そこで、ちょっと気になって聞いてみることにした。
私:「ルナの首輪のプレートといい、写真といい、それってやっぱり意味あるの?」
弟:「俺の写真とか名前が入ったものとかがあると、そっちにいやすいんだよ。」
私:「!そういうことなんだ!でもさ、スマホとかデジカメとか、そういう中にもし写真があれば、それでもいいんじゃないの?いつも携帯してるし」
弟:「デジタルの世界はこっちに近いんだよ」

!!なるほど~~!今彼は三次元より上の次元にいる。だからこちら3次元に来るときはエネルギーになってやってくる。
その時にその人のゆかりのある手で触れる確かな物体があると、とても都合がいいみたいなのだ。紙の写真なんかはとてもいいみたい。
でも、飾る写真はなるべくその人が幸せそうな顔をしている時の写真がいいようだ。

うちには6年前弟が帰ってきてからの彼の写真が全くない。
彼が逝ってしまってから、いろいろ探しまわったけど、あったのは今年更新した運転免許証の写真だけだった。
遺影の写真はたぶん彼が29歳くらいの頃、最後に働いていた職場の人と映っている写真を使った。彼が笑顔で正面を向いている写真はそれ1枚だったので。

葬儀屋さんが遺影に使った写真の背景に新緑の風景を入れて、はがき大の大きさにしてくれているのがあって、何かの時にそれを持ち運び用にしようかなとも思ったのだが、私の中では、その写真より運転免許証の写真の方が身近だった。
思い出をたくさん作った弟はその免許証の写真の方だったので、私はその写真の方を持ち歩きたかったのだが、それを彼はとても嫌がるのだ。
そして、遺影の写真について、「あの時の自分が一番好きなんだ。すごくつらかったんだけど、本当にもう一度頑張ろうと思ったんだよ。」と教えてくれた。

運転免許証の写真は、無表情。36歳になったその顔の下には、自己嫌悪、理解されない悲しみ、そして年を取っていく恐怖、そんなものを押し込めて、写真の瞬間だけ作り上げた無表情に見える。
たぶんこの写真には、彼のポジティブなエネルギーは込められないのだ。私にとっては大切な写真なのだけど。

この時ほど、自分の写真に対する執着のなさを悔やんだことはなかった。
最後の一年は、ワンコと母と車できれいな自然の中でお弁当を持って散歩に行ったり、家のプチリフォームを汗だくでやったりしたのに、なぜ一枚も写真を撮っていなかったのだろう。その時はたくさん笑っていたのに。

四十九日の翌日、仕事の為にデジカメで写真を撮ろうとしたら、SDカードがいっぱいになっていた。
最近いつもこの「いっぱいです」のメッセージが出てきては、イラッとして数枚決しては使うというのを繰り返していた。

その日は、もういい加減このSDカードを整理しようとパソコンにセットし古い写真をチェックしていた。
そうしたら、あったのだ。奇跡の3枚!自分で撮ったのに忘れていた3枚の写真!
それは、6年前弟が家に帰ってきてしばらくして、遠方の叔父が我が家を心配してたった一人で訪ねてきてくれた時の写真だった。
晴れ男の弟を象徴するような青空の下、弟が近所で唯一気に入っていた見晴らしのいい高台の公園で、うちのワンコを散歩させている写真。ワンコは散歩がうれしくて、わがまま一杯で、写真なんかお構いなしでリードを引っ張っている。
弟はそのリードを持ってワンコを見ながら笑っている。
笑うと出るえくぼもちゃんと写っていて、そしてその笑顔には「やさしさ」と「おだやかさ」のエネルギーしか写っていない。

でかした!!私!!
きっとおじさんが来てくれたという特別な日だから写したんだけど、この写真を見つけた瞬間ほど笑い泣きしたことはないかもしれない。

この写真ならきっと大丈夫。だってまだ「若い」し^^ 何よりワンコへの愛情にあふれている。
四十九日の翌日にこの写真が出てきたっていうのも、なんかサポートチームの計らいっぽい。
この3枚の写真に心から感謝した一日だった。

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by atelierkei-0520 | 2016-07-07 11:19 | 弟のおしえ

夏至の期間 弟という人

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弟が逝ってしまってから1か月が経った。
1か月も会ってないね、と、ふと思った。
こんなことは前にもたくさんあった。何度も家を出て行った。連絡なんかよこさないやつだった。
最後に家に帰ってくることになった6年前、彼が帰ってくる3か月くらい前に、私は夢を見た。
リビングで家族がいつもの夕方を過ごしていると、小さな庭の垣根の向こうに人の気配がして、うちのワンコが仁王立ちで首を緊張させて、食い入るように窓からそちらを見ていた。
外から家に入ってきたのは、しばらく顔を見ていない弟だった。そしてその手には何故か鯛の煮つけが入った大きめの鍋を持っていた。顔はとても疲れていた。でも、苦笑いともとれる笑顔を見せて、鍋をこちらによこした後、どさっとソファーに座った。
うちのくまちゃんを我が家に引き取った時、弟は家にいなかった。しばらく会わずで、何かの時に一時帰省した時、「誰だ!よそものめ!」ってルナは吠えまくっていた。でもこの夢ではルナは全然吠えなかった。

目が覚めたとき、これは絶対にいい夢だと思った。やっと心配ばかりかけ続けた彼が自分の家族の中に居場所をみつけて落ち着いてくれる。しかも「鯛の煮つけ」(これは彼の好物でもあったんだけど)的な何かを持って、帰ってくるかもしれない。そう思った。そして実際に彼は帰ってきた。現実には彼はボロボロで何も持ってはなかったんだけど。
ボロボロの彼を見ても、絶対大丈夫だ、これは逆にいいことだと思った。

6年間、彼は引きこもった。でもその間、決して家族を傷つけることはなかった。それどころか、引きこもってるくせに、いつも家族のピンチの時に助けてくれたのは彼だった。
ものすごく難しい人でもあった。めちゃめちゃ頭がよくなんでもできた。自分が経験し獲得したこと以外は受け入れなかった。そう意味では知識も歪だった。
観察力もすごかった。だから本人も見たくない、相手も見られたくないそんな深い部分にまで到達してしまう諸刃の剣も持っていた。
そして自分の深い部分の話はめったにしなかった。「どうせお前らにはわかんないよ」ともとれる冷たい底知れぬ怒りのようなものを秘めた目で時々見られた。でもその眼の奥に、彼なりの私たちへの愛情が理解してもらえないという悲しみが隠されていたのに気が付いたのは、彼が逝ってしまった後だった。
最後の一年間は家の事情もあって、これまで以上に彼は家の為にいろんなことをしてくれた。すべての家族の為に、彼の持っている知恵、かつての仕事で培った知識、他の家族が持っていない体力と力、お金は稼げないけど、できることすべてをやって、家族が快適に過ごすための空間をできるだけお金をかけずに整えようと奔走してくれた。
何度もホームセンターへ通ってくれた。ホームセンターにない材料は業者に電話してまで発注してくれた。
そして、時々何とも言えない間の抜けた顔をして、家族の一人一人の特性を力説しては、楽しそうに笑ってた。
だから、私たちは絶対大丈夫だと思った。自分のために生きて欲しかった。
彼が自分が生きる理由を私たちに求めていると感じた時、とてもそれが重くなった。そして自分の生きる理由を他人に求めるなんて「甘え」だと思った。自分を幸せにできるのは、自分だけなんだ。幸せになるかは自分が決めるんだ。そう思っていたんだけど、彼は何度も言っていた。「もう俺には何も残ってないんだよ。もう無理なんだよ。」

「自分の為に生きてくれ」そう詰め寄ったら、彼は逝ってしまった。
信じられなかった。絶対これだけはないと思ってた。そして逆にこれからだと思ってた。

逝ってしまってから、後悔の中、自分が最後に弟に対して怒っていたことを誤った。本当にものすごく腹を立てていた。
そして気づいてあげられなかったことを心から悔いた。
するとこんな風に返してきた。
「ねえちゃんが、俺に対して感じていた怒りは、俺に対する怒りではなくて、俺の要望に対する怒りだったのだから、気にしなくていいんだよ。
起こっていることの表面だけを見ていては、その奥の奥のことには絶対に気がつけない。
だからその深い部分を感じることがとても大切なことなんだけど、俺はそのことを間違った方向に使ってしまったんだよ」

すごい弟だった。本当に。
本当にたくさんのことを教わった。こんな弟の姉に生まれたことは、とてつもなく切なく、でも誰にも理解できない誇りでもある。
実は彼の人生は終わっていない。それは成仏してないということではなく、別の次元で別の肉体を持って生きている。
それが彼の人生。
そんな人生もあるのだと、驚愕する。
それはわかっていても、やはり寂しく悲しいのもどうしようもない。だって、やっぱり会えないもんね。まだ1か月だけどこの先何十年も会えないし(たぶん^^;)。

今日こんなに長々とセンチメンタルに書いたのは、もうすぐ夏至の期間が過ぎるから。
「どこでもドア」を抜けるその先に進む時、この後悔や悲しみは私の大切な経験として昇華させていくつもりだから。
これからも時々弟は登場すると思うけど、人間だった彼がどんな人だったかをこんなふうに書くことはないと思う。
ここに書くのは、名もない人の名もない弟だけど、こんな人もいたってことを誰かが知ってくれれば、それだけで彼の人生がより確かなものになる気がするから。
ならなくてもいいんだけどね。だって、やつは、今もすごいやつだから^^
「ありがとう」っていう感謝と「ばかやろう」っていう愛情しか、今はもうない。

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by atelierkei-0520 | 2016-06-23 07:23 | 弟のおしえ

伝達の鳥

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見えない世界に開眼してから、ちょっと気になることがあった。それは「鳥」
近所は山が近いので、鳥は沢山いる。でも今まで鳥を確認するのは頭上を見上げたり、地面を歩くのを離れた場所から見たりと、あくまで鳥は風景の一部だった。
ところが、スピリチュアルな導きとやらが始まったばかりの頃から、時々、その鳥が風景ではなく、確かな体温を持った生命体として目の前に現れるようになった。ワンコの散歩などで、外を歩いている時、ふっと視線を感じ横をみると、丁度目線の高さ、距離にして1メートルくらいのところに見た事のない野鳥が街路樹にとまってジーとこちらを見ている。
1メートルはその場所から手は届かないが、相手の存在が風景ではなく、確かな重みや温かさが伝わってくる距離だ。「私の姿をあなたに見せてあげる」、そう言っていたわけではないのだけど、そんな人間と対等な、もしかしたらそれ以上の意思を持った存在に見えてなんとも不思議だった.

弟の遺骨が我が家に帰ってきた日の夕方、まだ青空がうっすら赤くなり始めた頃、母と茫然と外を見ていた。
弟が逝ってからお骨で帰ってくるまでの3日間。怒涛のような3日間。
動き続け、ほとんど寝てなかった。そして本当に信じられなかった。だから、家に帰った私たちはそれぞれの場所で茫然としていた。
気が付くと、我が家の周りに何羽もの野鳥がやってきていた。彼らはいつもみたいに庭の虫をハンティングしに来ているようではなかった。思い思いの場所から私たちの家を見ていた。そしてきれいな声で鳴くのだった。
本当に不思議なくらい一羽が去るとまた違う一羽かやってきた。そして正面の窓から見える場所だけでなく、隣で気配がすると思って横を見ると隣の家の屋根にまた一羽止まってこちらを見ているのが、隣の家側についている窓越しから見えた。
そんな感じでひっきりなしに鳥がやってくる中で、何度も何度もやってくる不思議な鳥がいた。お腹が赤く背のほうは青いその鳥は、「ちちち」でも「ちゅんちゅん」でもない不思議な鳴き方をして、その後かならず2回我が家に向かってお辞儀をするのだ。何度も鳴きお辞儀をして、また少し離れ、そしてまたやってきては鳴いてお辞儀をする。
いなくなったと思ったら、しばらくすると2階から家族の者が走り降りてきて、「なんか屋根にへんな鳥がいる!ダンスしてるみたいに屋根で歩いて鳴いてはお辞儀するんだ!見て!」とスマホの写真を見せられた。
「うん、その鳥、ずっといるんだよ。そしてほんとに何度もお辞儀するね。」「不思議だね」
私は、その鳥たちが「おつかれさん、おつかれさん」と言っているように思えた。

夜、誰かが「あの鳥、不思議だったな」と言った。その時不意に大天使から「鳥は祝福の象徴です」とメッセージが降りてきた。
こんな出来事のどこが祝福なんだ。
そう天に向かって毒ずくこともできた。私の中に確かにその視点もあった。
でも、こんな出来事の中にそうではない、確かなもう一つの視点があって、それがこの大天使の言葉を受け入れさせた。
そう思わないとどうしようもない、もう時間は戻らない。そういう中間の視点もあった。

「起こっていることの表面だけを見ていては、その奥の奥のことには絶対に気づけない。だからその深い部分を知ることがとても大切なことなんだ」
弟がこれとは別のことで伝えてきた言葉。このことを書いていて思い出した。

先日、新たなスタートを切った友人のブログにも同じ鳥が登場していた。そしてその人もまた鳥の不思議を感じたようだった。
私はこの鳥は一つの終了と新しいスタートを知らせに来たのだと思う。それはたぶん後から振り返った時にわかること。

だから、終了したところにはもう戻れない。
スタートか、足踏みか、そのどちらかしか残されていないことを痛感する。



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by atelierkei-0520 | 2016-06-17 09:05 | 弟のおしえ

弟から。その友人に向けたメッセージ

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弟が亡くなってすぐ、ただ一人大切にしていた友人にあてたメッセージ。
とてもぐっときたのでここに記録したい。

「お母さんを大切にしてください。人は、両親をどう胸に収めるかで決まると思う。
 だから、あなたのお父さんとお母さんをどうか美しい人として胸に収めてください。」

難しいよね。みんなそれぞれいろんな思いがあるから。
でも弟があっちの世界にいって見たものは、きっと自分の両親の「美しさ」。生きていた時には見えなかったその美しさを私たちに伝えたかったんだと思う。
みんな、必死にいきているからね。うまくいかないこともある。でもその一つ一つがあっちから見るときっと美しいんだ。
だってそれを体験しに私たちは今、ここにいるから。

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by atelierkei-0520 | 2016-06-08 13:12 | 弟のおしえ

弟の「お金」についての発言2

今日の朝、弟からのメッセージ

お金について補足。
もう一つ大切なことがある。
「お金」は夢を持つんだ。だからお金に夢を見せる人についてくる。

お金にもプラスのエネルギーを好むものとマイナスのエネルギーを好むものがいる。
どちらを選ぶかはお金の自由。

だからさ、まずは自分がしたいことを夢見て幸せな気分になってみて。
まずはそこから。



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by atelierkei-0520 | 2016-06-06 16:42 | 弟のおしえ

弟の「お金」についての発言

私は自由業。
収入は自転車状態(入ったら出て~ってあれです)。。ちょっと弟にぼやいてみた。

私:「お金ってどうにかならんもんかね。」

弟:「ねーちゃん、お金はさ、がむしゃらに働けば入ってくるってもんじゃないんだよ。お金はエネルギーだからさ、エネルギーのあるところに集まるんだよ。おれが教えてあげるよ。」

両親世代が聞いたら激怒しそうな発言^^;
でも考えてみたら、あんたは生きていた時からそういうとこがあったよね。
だから「何考えてるんだ!あいつは!」ってことになってた。
きっとエネルギーの世界の方が近い人だったんだと今は確信する。
でもここは3次元。正確には元3次元だけど。もう少し生きていれば生きやすくなったと思うんだけどね。

理論はわかるんよ、理論は!
頼りにしてるで!



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by atelierkei-0520 | 2016-06-06 07:30 | 弟のおしえ