アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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カテゴリ:◇日々の気づき( 108 )

体へのアプローチが知りたいという一件②

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前回の続き
前回の投稿↓
「体へのアプローチが知りたいという一件①」


「体は“治す”のではない。“元に戻す”のだ。」

これは、かなり前に創造主にどうすれば体を治すことができるのか?と聞いたときに返ってきた返事だった。
私は、この言葉を聞いて、体を改善させるためには「治す」という概念ではそれは行われないのだということを初めて知った。

「発想を変えなければいけないのか…」
アドバイスはとても新鮮だったけど、でもその「元に戻す」という意味がどうやっても掴めなかった。
問題が起こる前の段階に戻すことなのか?
ということは時間を戻すということ?そんなこと可能なの?
毎日、確実に時間は過ぎていって、自分も確かに年をとっている感覚がある。
そんな中で「時間を戻す」???

この時私はこのヒントの探求に夢中になるも、これ以上のことは全くわからなかった。
私の波動状態では到底これ以上は進めないのだと悟り、ここから離れることになるのだが、昨年の強化月間の時に、体へのアプローチが少し前進することになった。

その時のことはこちらにも書いた↓



意識を集中させることによって面白いように腱鞘炎が改善した時、「腱鞘炎はなんとかできる」なんて思った私はまた無理をし腕を再びおかしくしてしまったのだけど、「大丈夫、治せるもん♪」と余裕をかましてやってみるも、なんとその時は同じようにやってみてもうまくいかなかった。
焦った私は、本当に自分の浅はかさを後悔し、改めて体について考えを改めた。
「体はモノじゃない」
その時、無理をさせたことを心から体に詫びて、そしてもう一度静かに体に耳を傾けた。すると今度は体は反応し、それによって再び改善してしまった。
この時、初めて体に対して敬意を表する気持ちが私の中で出来上がった。
「心から接すれば、体は聞いてくれるのかもしれない」
その時思い知ったのは、「治してやる」「やってやる」「できる」そういう3次元的な発想では、この変化は起こらないってことだった。
どれだけ真摯に体と向き合うか。本当に体と向き合う心がそこにあるのか。
そんなものが体に変化を起こすためには絶対的に必要なのではと感じた。

この時に掴んだもう一つの感覚は「体は自分で自分を治す」ってことだった。
だから体のヒーリングで必要なことは、その体の動きを促すこと、そしてもう一つは邪魔しないこと、これがもっとも大切なのではと思ったのだ。
これだけわかれば、もう何でも体に関しては「わかった!」となるかと思ったりしたのだけど、実際はそうはいかなかった。
何かが、なんというかモヤモヤしているというか、言語化できないというか、理屈がわからないというか、これ!というものが足りないというか。。
で、やっぱり、この後も手ごたえがあったり、なかったり。

「向き合う心」
これもなかなか難しい。
だって、「治ってほしい」という思いが、どこから来るのかってところによっても、この心のエネルギーも変わってくるし。

ということで、ここでもまた自分の限界を感じ、あきらめるわけではないのだけど、「体」へのアプローチをこれ以上追及することは一旦棚上げにした。
なぜなら、今の自分の波動では「ここまでだ」ということがわかったので。

物事の探求というものは、それを知りたいという揺るがない「意志」も必要だけど、こだわりすぎるといつの間にか「執着」という重い波動を持つようになる。
このブログでも何度か書いているけど、全てのものは波動という周波数によって分けられた細かい「次元のレイヤー」の上にある。
知識もテクニックも全て。
だから何かを知りたいと思っても、その情報が今の自分より上のレイヤーにある場合は、「今」の自分では絶対にそれを手に入れることはできないのだ。
だから私は最近はこういう状態になったら結構ささっと切り替えができるようになった。
でも追求を全くやめたわけでもなく、ルナの事件や自分のことや家族のことなどで考えるきっかけがあればいつもやっぱり考える。

こうしていつも何処かしらで「体」に思いを馳せる私だったが、この間は初めに書いた創造主の「体は治すのではない。元に戻すのだ」という言葉をすっかり忘れていて、何故かこの言葉を思い出すことはなかった。

ところが、そうこうして今年、あれ??と思う瞬間があった。
その時に思い出したのです。この創造主の言葉を。
そういえば、そんなこと言われてたっけ?って。
あれは、もしかしてこのこと??って。


「体は“治す”のではない。“元に戻す”のだ。」

“元に戻す”とは「時間」ではない。

“元に戻す”とは「感覚」なのだ。

細胞がもつ「感覚」
これを“そもそもに戻す”

それが「体が改善する」ことになる。。のでは???

つづく



by atelierkei-0520 | 2019-07-19 22:51 | ◇日々の気づき

体へのアプローチが知りたいという一件①

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数日前から「毒だし」期間に入っているようで、今日はなんだかものすごく喉が痛くなってます。
ここ1ヶ月ほど、いや、もう少し長い期間かもしれませんが、感覚的に私は今「喉のチャクラ」を調整する動きに入っている気がしています。
個展1週間前から「ぎっくり首」になったりしましたが、「首」も痛くなったり治ったりを繰り返す中、必ず首が痛いときに前側の「喉」にも違和感を感じます。
そして今日は「喉」が痛くて咳が激しく出ます。

今地球上で起こっているアセンションという次元上昇では「心」だけではなく「体」も高い周波数にあわせて変化しているといわれています。
そのせいなのかはわかりませんが、少し前から私は「体」にとても興味を持つようになりました。
スピリチュアルを学んだのは、「天使」や「守護霊」や「前世」などを知ることで「心」の状態がよくなっていくことに興味を持ったからでしたが、最近はその学んだことで「体」にアプローチできないのだろうかってことの方に興味が移っていっている感じもします。

なぜなら、「心」がひと段落すると、なんか「体」だと思ってしまうのです。
なぜなら「心」と「体」は常に同期しているから。


例えば、一昨日から、なぜか久々に「自分が情けない」という感情がどんどん出てきて困ってしまいました。
とにかく人と比べては自分が情けなく感じて悲しくなるのです。
「ちぇ、なんだ、まだ残ってるのかあ」なんて少々うんざりしながら「思い癖だ!抜こう!」と思っても、いつものようにうまくその思考から抜け出せません。
なんだか「できない」というよりも、その思いを手放そうとする気が全くない自分がいるような、不思議な気がしました。

それが昨日の朝まで続いたのですが、朝、お布団の中でふと気がついたのです。

「あれ?なんか、私、腰がおかしくない?」と。

そう気がついてみると、ここ数日少し腰に違和感を感じていたのを思い出しました。
そこで、寝たまま自分の腰をヒーリングしました。
腰の違和感が取れたのですが、なんとその後むっくり起き上がった私の中にその「なさけない、、」という感情がすっかりなくなっていて、いつものとおり「さあ、今日は何をしようか」と一日に対する幸せな気持ちが戻ってきていました。

で、この日はその後、その「なさけない、、」の原因の思い癖が何かの拍子にとんでもなく「ばかばかしいな~」と思うことになるというちょっとした気づきが起こり、「あ~、この気づきのために毒だしだったのか」と納得したにもかかわらず、夜にはまたちょっと「うつうつ」した感情がなぜか戻ってきてしまいました。

「困った」と思いながらお風呂に入りました。
お風呂から上がって気がついたのですが、また腰が治ったときと同じように「うつうつ」の感情がなくなっているのです。
「あれ??お風呂であったまったら、うつうつがなくなってる…」
不思議な感覚でした。

心の健康には体の健康が欠かせないことは、スピリチュアルじゃなくとも常識になりつつありますが、やっぱり不思議ですよね。

※※※

私の最近考えていることはこんなことです。

もし、人が、自分の体のことをある程度コントロールすることができたら、どうなるのだろう。
突然出てくる体の不調におびえることなく、ちゃんと自分の体のことに対処できるというスキルを持つことができたらどうなるのだろう。
コントロールできない、コミュニケーションできないと思い込んでいる自分のこの体と話し合いながら、人生を送れるようになったらどんな感じなんだろう。。

それができれば、人はもっともっと「自由」になり「独立」するのではないだろうか。

もし、それが「普通の人」である自分ができるようになったら、それはどんな人でも可能なはずだ。


そんな風に考えると、なんだか「ワクワク」するのです。

だから少し前、本気で神様に祈ってみました。
「私は体を治すアプローチを知りたいです!本当に知りたいのです!もしそれを知ることができるのなら、私は必ず知ったことを人に伝えます!」って。

この祈りがどこまで通じるのかは未だわかりません。
この祈りの随分前から私はこのことについては本当に強く興味を持っていたのですが、いつも「これかも!」と思ってはその後はなんか進まず、なんかもやもやしてしまい、結局は「体」は難しいね…」って感想しかもてませんでした。

でも、祈った後、個展の少し前に、すごいびっくりな経験をし、初めて「もしかしたら」という気づきを得ました。
その気づきはまだまだ不安定で、本当なのか、効果があるのか、そんなことも検証の数が少なすぎてわかりません。
今までのように「やっぱ、よくわからん。。体は難しいね…」という結論になるのかもしれません。

だから、この状態でここに書いていいのかもわからないので、書くべきか迷っています。
でも、このことをまだ書く段階ではないかもと、別のことを書こうとしてもまったく思考が動かないのです。
ということで、ちょっとだけ次回この気づきについて書いてみたいなと思っています。

by atelierkei-0520 | 2019-07-11 21:41 | ◇日々の気づき

アセンションの「訓練」ツール・「表現できる」への移行

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久々に通常投稿を再開しようとすると、ちょっと勝手が違って、書きたいこと伝えたいことは頭の中に溜まっているのに、何から書いたらいいのか迷ってしまう。
「週何回」とかでも心の中でなんとなく決めていると、例え「今日は書けるかな?」なんて思っていたとしても、始めると何かしら書けてしまうから改めて「習慣」ってすごいなと思う。
こういうのもある種「訓練」だとも思うようになっていて、そして実はここに、すごく大切な要素が潜んでいるように最近は感じている。

「幸せ」について考えたとき、様々な切り口があるし、人によっては感じるところはそれぞれだろうと思う。
こういうものは主観的なもので、人から押し付けられるものでもない。

でも最近思うのだ。
「自分であってよかった」とか「自分もなかなかじゃないか」とか、「生きててよかった」とか、そんな風にこの世に存在していることに「喜び」を感じられることもまた「幸せ」の一つで、そんな自分の存在に喜びを感じられる具体的な要素の一つが「表現できること」なのではないかと。

人は自分の思うこと、感じること、気づいたこと、見たこと、体験したこと、そんな自分自身の感覚を、方法はどんなものでもいいので「表現できる」と満たされると思う。

「表現する」ではなくて
「表現できる」

「表現できる」って言うのは、自分以外の誰かに届けることが「できた」と思えるかどうかってことだ。

私がブログを書く理由もやっぱりこれなのだ。
「感じたことを誰かに伝えたい」
それは自分自身の中にある思いを表現したいという欲求があって、人に読んでもらうことでそれは満たされる。
ジュエリーを作ることも同じ理由だと思う。

でね、世の中で起こる様々な事件の根底には、この欲求が満たされていないことから起こっているような気がする。
わかってほしい思いがある。
でも表現できない。
どう表現していいのかわからない。
そして結局「自分は理解されない」「受け入れてもらえない」と自分を囲って追い詰めていく。
結局は「自分はここにいてはならない」そういう風になっていく。

人が「切れる」ときは大抵ここが上手くいかないのが問題だと思うし、逆にここができれば人はずいぶん楽になるんじゃないかなって思う。
事件を起こす人だけの問題じゃなくて、私たちが日常感じるちょっとした「イラッ」とした気持ちや「トゲトゲ」した気持ちや、小さな揉め事の根底にはやっぱりこのことが潜んでいると思う。

だから心が満たされていく感覚を持ちたいのなら、まずは「表現する」を実践し、「表現できる」にまで持っていくようにするというのも一つの方法ではないかなと思ったりする。
ある種の「訓練」だ。

「表現する」を「表現できる」までに発展させるために必要なのはたった一つ。
いつも「伝える」ってことをどこかで意識することだ。
「どうやったら伝わるだろうか」ってことを少しだけ考えることだ。
それは誰かに合わせるとか、媚を売るとか、そういうことではなくて、ちょっと引いた視点を持ってみるってこと。

へたくそでも、完璧でなくてもぜんぜんよくて、でもそういう「伝える」って視点を常に持って、何とか「表現する」を続けていくと、「できる」という感覚を持てるようになれると思っている。

ツールはなんでもいい。
「書くこと」でも「話すこと」でも、「描くこと」でも「作ること」でも「歌うこと」でも「踊ること」でも。

私は「言葉を使う」ことが好きなようなので、書いたりしゃべったりする。
でもそこに国語的な正確さはないと思う。
でもそれでも、自分の言葉の使い方や文章の書き方が自分の個性になっていると勝手に思ってる。
でも同時に「伝える」って点もいつも持っているので、何度か読み直して、主語のない部分には主語を付け足したり、句読点の位置を変えたりと、素人ながら工夫する。
まあ、最近は「だらだら」書いている感もありますが^^;

「表現する」から「表現できる」へ。
大事なのは自分が「どうやらできてるようだぞ」と思えるかどうかで、もちろん他人の意見に翻弄される必要はないのだけれど、これが感じられるようになるためには、受け止めてくれる「他人」の存在が間違いなく必要である。
だから、その辺りのバランスを取れるように自分で自分の内側の大切さを再確認したり、同時に外側の人々の視点に立つことも求められる。
「自分と他者の共存」
これは、そんなものまで育てていけてしまうアセンションにはもってこいの訓練でもある。

個展に来てくれた「エンジェル・サポート・レッスン」の卒業生さん2人がとても輝いていたと先日書いたが、彼女たちもそこに果敢に挑戦しているのだと知って、なるほど、だからキラキラしてるのかとも思った。

私たちが幸せな気持ちになるときは、宇宙が私たちを作った目的に沿っているとき。
宇宙の目的は「知る」こと。
効率よくそれをするために宇宙は私たちを別々にした。
だから「共有すること」「共感すること」、それができたとき、人は「生きててよかった~」って思うんだと感じています。

今日も読んでくださって感謝です^^♪

by atelierkei-0520 | 2019-07-05 23:02 | ◇日々の気づき

「ガラクタ捨てれば自分が見える」風水整理術入門:カレン・キングストン著

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いよいよ10連休が始まりましたね^^
といいつつ、私は展示会2ヶ月前ということで、連休どころではありませんから、やっぱり特別なこととといえば、平成が終わり「令和」になるってことのほうでしょうか。

さて、先日もチラッと書きましたが、ここ最近の浄化の仕上げとしてのように突然「ガラクタを捨てよう!」という気になりどうしても処分できなかったものをついに処分しました。こちら↓



で、その気にさせた本というのが上の写真のこの本です。

「“ガラクタ”捨てれば自分が見える」風水整理術入門:カレン・キングストン著」

「風水」と聞くと実は私はちょっと苦手です。
何故かというと、「きまり」が多すぎるからです。
方角・色・場所・間取り…あげればきりがありませんし、人によって見解も違うし、何より本当は素人では理解できない難解な学問のような深いものであると思うので、理解する前にギブアップしてしまいます。

ところが、この本は違いました。著者が欧米人だからでしょうか。
良く聞く「風水」の話がどうやったら運が良くなるかってところに着目して、色や方角や置くものについていろいろと語っているのに対して、この本はどうやって自分の周りから不要なエネルギーを取り除くかってことのみにフォーカスしてくれていて、内容は完全に「スピリチュアル」でした。
自分にとっていらないものを処分していくことをエネルギー的に理解してやってみようという内容で、それは完全に「内観」「浄化」について語られているものでした。
少し極端なので、はじめは私のモヤモヤした気持ちの声が「そんなに割り切れたらそもそも問題なんてないんだよ!」なんて抵抗もしたのですが、読み進めていくうちに、なんか体がうずうずしてきて、“ガラクタ”を処分したくてしょうがなくなるという状態になり、結果20代の自分への執着を剥がすという大浄化の時間を持つことになるという不思議な効果をもたらしてくれた本です。

ちょっと古い本ですが、「断捨離」なんかがよく取り上げられるようになった今、十分受け入れられる内容でした。
簡単な内容で当たり前のことが書かれているのですが、何故かパワーをもらえた気がします。書いた人のエネルギーによるものかもしれません。

明日は「鳩の目覚め」という大きなエネルギーが降りてくる日のようです。
先日ある生徒さんが気がついてくれたのですが、「鳩=ハート」なのかもと感じています。
「ハートの目覚め」
記事の内容とも合致するので、きっとそうなのではと思っています。
たくさんの人たちが自分のハートの声に耳を傾けるようになる、それが「令和」の時代かもしれません。
これからのエネルギーをしっかりと受けとるためにも、もう手放してもいいものは手放して、新しいエネルギーのための「スペース」を明けてもいいかもしれませんね^^

それでは皆さま、良い連休をお過ごしください~♪
こちらのブログも連休をいただいちゃうかも……。。そろそろ恒例の「強化月間」に入らなければいけませんので><!
つぶやきは書いたりするかもしれません!

by atelierkei-0520 | 2019-04-27 23:10 | ◇日々の気づき

心は全て「わかってる」

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先日の幽霊さんの出来事がちょっと面白かったのでここでシェア。

少し前の投稿でちらっと書いたけど、先日久々に外で幽霊さんを引っ付けて帰ってしまった。
私は大抵夢で見ることによって引っ付けてしまった幽霊さんを知ってしまうのだが、この日も久々に夜中うなされてそれを知ることになった。
ところがこの日の被害者は私だけではなかった。
この幽霊さん、かなりタチが悪くて、今ワンコの看病のため、母と同じ部屋で寝てるのだが、なんと、私の隣で寝ていた母までうなされてしまったのだ。(だいぶ目が離せるようになったワンコはこの日何故か私達と一緒に寝るのを拒否。後から幽霊さんのせいだったかーとワンコに感心したのだった。。)

夜中目が覚めて、もーやだー(-ー;)ともんもんとしてると、母がトイレに立ち戻ってきて怖い夢をみたというのだ。
どんな夢かというと、弟の夢だったという。
弟がかなしみのあまり気が触れて、夜の繁華街を叫びながら徘徊していて、胸が張り裂けそうになった母が助けに行こうとすると、私が「お母さん、あの人はもう完全に別の世界に行ってしまったんだよ。私達にはどうすることもできないんだよ!」と言って母を止めたというのだ。弟が見知らぬ男達に連れて行かれるところで目が覚めたらしい。

起きた母はかなり動転していて、もし今弟が本当にああだったらどうしようと半泣きで何度もつぶやいていた。
そこで私は母にこう聞いてみた。

私:お母さん、あのさー、それ、本当に弟だった?本当の本当に弟だった?それから本当に私だった?

母:へ?だって、確かにそう思ったんだよ。夢の中では確かにそうだと思ってたんだよ。

私:落ち着いて「今」考えてみて。あ、頭で考えたらダメだよ!心で考えるの。心で感じるの!

母:………
………そう言われてみるとね、、、なんか、切り絵みたいだった。とても平面的でカクカクしていて…。。
以前おばあちゃんとペギー(先代ワンコ)が初めて夢枕にたった時の感じとは全然違ってた。あの時は、ふたりともシルエットだったけど、丸くて立体的で、確かにおばあちゃんとペギーだった。。
私:お母さん!それだよー!それ!
違うでしょ?違い、わかるでしょ?
今日の夢は私が引っ付けてきた幽霊さんがお母さんの脳の中の材料を使ってお母さんが一番ダメージを受ける映像を見せてきたんだよ。間に受けてたら幽霊さんの思うツボだよ!
悲しんだり怖がったりしたら喜ぶだけだから忘れて寝るにかぎるよ、寝よう!

こういうと、母は落ち着いてまた寝出した。
私もバカバカしくなってその後はスカーっと寝てしまった。


私たちの心は、本当はすごい。実は真実というものをちゃんとわかっている。
「真実」っていうのは、本当はこの世界には「光」という「愛」しかないってこと。
だからそれがないものはただの「幻想」にすぎないのだ。

母が見た夢の映像はとてもチープで「愛」というものがまるでない。あるのは心の闇に付け込もうとする低い意識。
夢に限らず、幽霊さんに限らず、目の前の現象に何の光りも感じない場合は、関心を示す必要はない。
その意識を責めたり憎んだりする必要さえもない。なぜなら、その低い意識は「幻想」だから。その低い意識さえも本当は光なのに「低い」と勘違いしている幻想なのだ。
幻想に何をぶつけても空回りして疲れるだけなのだ。

母はあの夢を「真実」と捉えることもできるし、反対に取るに足らない「幻想」と取ることもできる。
結局何をとるかはその人次第、「自由」でもある。
どんな選択をするのも自由だけど、もし「真実(光)」を選びたいと思うのなら、感じていること見ていることを、一度落ち着いて頭ではなく「心で考えて」みるといいかもしれない。

「自分がどう感じるかが全て」
これは間違いないのだけど、注意点としては私達が感じていることの中には、意外と自分のものじゃないものも混じっている。
目の前の大切な人が持っている感情を自分の中に取り込んで、自分も同じ様に感じていると思い込んだり、幽霊さんの入れ込んでくる感情を自分の感情と勘違いしたり。これもまた「幻想」の一種だ。

だから、強い感情を持った時は、その感情に流されてしまう前に、ちょっと自分に聞いてみるといいと思う。本当にこれは私の感情かな?って。
そうすると、これまた不思議で心はちゃんと答えてくれる。不思議と自分のかそうじゃないかは心でしっかり分かるのだ。

「わ~」となっている時の心で感じるんじゃなくて、一端そこから離れて静かになって、静かな心で感じてみる。
そうすると必ず私たちは「わかる」もんなんですね^^
よかったら試してみてください^^





by atelierkei-0520 | 2019-04-25 23:16 | ◇日々の気づき

映画「リーディング」

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先週の金曜日、見に行った映画「リーディング」。
友人のヒーラーさんが紹介していたのを見てすごく興味を持って見に行くことになった。
「エドガー・ケイシー」のことを扱った映画で、エドガー・ケイシーに対する予備知識のなかった私にとってはケイシーとはどんな人なのかがコンパクトに紹介されていてなかなか面白かった。
が、それ以上に、この映画は私にとって必要な、でも今の自分では理解できない高次の情報が流れ込んでくるコンセントとしての役割を持っていたような気がしてならない。
「今の自分では理解できない」というところがミソで、だから、何を受け取ったのかをこのブログで紹介することは出来ないし、おそらく見る人によってもダウンロードされる情報は変わってくるだろう。


以前、「自分の話:アイスランドの記憶③」で、

人は生まれる前に様々なプログラムをその人生に仕込んで生まれてくる。
そしてそのたくさん用意したプログラムの中で、ゴールに到達するために特に重要な意味を持つものがいくつかあって、それが作動する時には、特別なサポートが入ると感じている。
そしてそういったプログラムが作動する時には、必ずロックを解除するための「アクセスキー」のようなものがあり、それを提示された時、意識の中のロックが解除されプログラムは作動しはじめるのだ。

と書いたことがある。
この映画を見たあとに起こった「ルナ、階段から転がり落ちる事件」とその後の「インナーチャイルドの癒し」を経験して思うのが、この映画の最後に出てくるある言葉が、今回の大浄化のプログラムが作動する「アクセスキー」だった気がしてならない。
それは映画の最後に出てくる日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田氏の言葉だった。
残念なことに、あんまりそのことを意識してみていたわけではないのと、聞いた後私の思考が止まってしまい、光田氏がどんな言葉を使ってこのことを言っていたのかを全く覚えていない。
ただ、ちょっと個性的だったように思うその表現は、最近私が感じていた「?」について、なぜ私がそのことについて「?」という疑問を持つのかを明確に示してくれているようで、衝撃的だった。

完全に私解釈になってしまうが、こんな感じだったと思う(違ってたらごめんなさい^^;でも今の私にとってはこの解釈が必要だったからこうなったのだと思っています。)。

人が更なる進化を遂げるために必要なことが2つある。
一つは、これははじめはとても恐いことだと思うけど、自分の様々なことを信じて「流れ」にゆだねられるかどうか。
そうして、もう一つは、これは一つ目が出来なければ絶対に出来ないことだけど、「神を○○できるかどうか」。

この「○○」の言葉を忘れてしまった。。たぶん、この言葉はあまりに私にとって衝撃だったのだと思う。この瞬間私は呆けてしまったから。
でもイメージでは「信じる」よりももっと深く輝くような言葉で、その言葉自体が発光しているようで、まだその段階でない自分にとっては目がくらんで見えなかったという感じに近い。

スピリチュアルに目覚めてから、私がいつも抵抗を感じる「神」という言葉。よく分からないというのが本音で、つい最近友人にもそのことを話していたばっかりだった。
私は天使も守護霊もハイヤーセルフも創造主も、イエスやマリア、そしてアマテラスをはじめとする日本の神様たちも、そして龍や妖精や幽霊さんでさえ、「確かにある」と感じていて、そこには全くなんの疑いもないのだけれど、ただ一言で「神」といわれると頭がフリーズする。
だから私はそれを「宇宙」や「魂(じぶん)」とイコールだとした。たぶんそうだと思った。
「宇宙」や「魂(じぶん)」を信仰がある人が表現すると「神」になるのかもねみたいな感じだ。
でも最近実はその辺が「わからない」となってきた。
「創造主」と「大いなるすべて」、そして「神」。
今の私にはこの辺りの違いがわからないけど、「どうやらちがうのかもしれない」というところには来たのかなとも思う。
別の視点から見るとすべては「同じ」なのかもしれないけど。


「これは一つ目が出来なければ絶対に出来ないことだけど」
この言葉が脳内で何度も何度も鳴り響いた。
光田氏の言葉は、なんとなく、今の自分の立ち位置を教えてくれているようにも感じた。
「神」がわからないと友人に話した自分。
私は今一つ目の終わりごろにいて、もしかしたら二つ目の中に入ろうとしているのではないだろうか。そんなことをぼんやりと思ったのだ。
不思議な感覚でした。
そして、なぜか自分の細胞を浄化しよう!と思い、浄化を始めた2日目の夜、ルナが階段から転がり落ちたのでした。
そして2週目の始に「インナーチャイルド」の浄化が行われたのでした。
二つを経て、獲得した「他者を認める心」そして湧き出る「感謝」の気持ち。
偶然ではないような気がするのです。

もう少し、私のこの浄化期間は続く気がしていて、一息ついている私は、ちょっと「やだな…ー。ー;;;;」とも思っています(苦笑)


映画の内容はこちらのHPに詳しくあるのでリンクを貼っておきます。上の写真はそのHPのスクリーンショット。

監督のインタビュー記事も面白かったです^^
よかったら↓




by atelierkei-0520 | 2019-04-05 10:55 | ◇日々の気づき

大天使ミカエルのファミリー

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今日は春分です。
「静かに過ごす」と決めていたので、今日はブログの投稿もお休みしようかと思っていました。
でもさっきいろんなことが繋がって、これを書くことに決めました。

私がいろんな不思議な体験を始めた2015年6月ごろ、少し前に書いた「ガブリエルコール」の話の後に不思議なシンクロを体験しました。
その日は、彫金の仕事で外注していた品物を取りに業者さんのところに向かっていました。電車を乗り継いで、歩いてそこに向かっている時、空に雲なのに「線」と「面」で出来た不思議な形の雲を見つけました。それはまるで先の尖った「水晶」でした。
「なんだあれ??まるで水晶じゃん…」と思ってしばらく立ち止まって見ていました。

その時期私は、このブログでも時々紹介する「ライトワーカー・ジャパン」の前身である「光の灯台」というチャネリングの翻訳ページを暇があれば過去の記事から読みふけっている時期でした。
その日の帰りの電車の中でもそのサイトを読んでいました。このとき読んでいたのはテーマは「ミカエルのファミリー」というものについてでした。
私のつたない解釈では「ミカエルのファミリー」とは「ライトワーカー」のことのようになりました(※ミカエルのファミリーのみがライトワーカーであるという意味ではありません。)。興味深く読みすすめていくと、ある箇所で私の目は釘付けになりました。
「ミカエルのギフト・・・“ミカエルのクリスタル”」

そこにはこうありました。
「ミカエルの贈り物は小さなクリスタルです。それには聖なる波動があり携行できます。もしもっていなければ、この水晶はあなたの元にすぐに届くでしょう。それは愛する人またはおそらく教師からの贈り物になるでしょう。いつも特別な水晶をもってはいたけれど、その意味がわからなかった。そのことがわかります。」

「いつも特別な水晶をもってはいたけれど、その意味がわからなかった。そのことがわかります。」
この瞬間、私は自分が持っている不思議な石のその意味がわかった気がしたのです。

その石は、私がスピリチュアルに目覚める数年前に、私の彫金の先生からもらったものでした。
先生が教室を縮小されるため、たくさんのものを処分していた時、「お好きに持って帰ってね」というものばかりが入れられた箱がありました。ある日教室に行くと、みんながジャンケンで勝った人から順番に欲しいものを取っていくというのをやっていて、私も参加しました。
その石はゴロンとしていて、とてもアクセサリーには使えない石で誰もその石をとろうとしないので、欲しいものが無くなった私は、「しょうがないな」的な感じでその曇ったさえない石を持ち帰りました。

しばらく放置していたのですが、ある日その石を見てみると、あんなにさえなかった石がなんだかすごく輝いているのです。
その石は「蛍石」で六芒星の形をしていました。「なんだかもやっとしてるな」と感じていた石の中にはインクルージョンやクラックがたくさん入っていたのですが、このときこれらを見るとその中に出来たヒビのような面は虹色に輝いていて、空気の粒の中になんと「ハート型」まであるのです。その「ハート型」の気泡は見る角度によっては石のカットによる効果で「5」つに増えてみえるという素晴らしさでした。

この日から、私はこの不思議な石が大好きになり、常に目の前において置くようになりました。
でも、その石に何か意味があるなんて考えもしなかったのですが、このときのこの記事の内容を読んで、これは「ミカエルのギフトだ」と思ったのです。水晶の雲は私がそのミカエルのクリスタルを持っていることを教えてくれていたように思ったのです。

「ミカエルのファミリー」であるかどうかは、「選択の一つである」とあります。
つまり、自分がそのエネルギーを持ちたいか持ちたくないのかだけだということです。
共有する夢としては「誰もが集まって学習し、ヒーリングを行い、また光を分かち合える場所を作ろう」というものだそうです。
その場所とは「物理的な場所」ではなく、自分自身の中に同じ夢や資源、考え、情報を持ったたくさんの人たちのためのスペースを確保するという意味だそうです。

ここ数日、特に昨日は「大天使ミカエル」のことを改めて思う日でした。
そしてこれをここに書こうと思ったのは、この記事を書く前に、数週間前、私にミカエルのクリスタルをくれた同じ先生から、「勇者」の横顔が彫られた「インタリオ(カメオの反対)」を頂いたのを思い出したからでした。
そのインタリオを手に取ったとき、こう思ったのです。
「こんな照れくさいことやったことないけど、このインタリオは大天使ミカエルをイメージしながらジュエリーにしてみようかな」と^^

宇宙暦が明けたといわれる、この春分の日にこの話を書きたくなりました^^

検索したら、「ライトワーカー・ジャパン」さんに記事が残っていたので、ご紹介しておきます↓

上の写真は、フランスのモン・サン・ミッシェル。
大学生の時、大学の夏の語学留学の企画で初めてこの地を訪れたました。特別な思いがして強く印象にのこりました。その後、翌年も個人でフランスに行き、友達とまたこの場所に行ったという思い出があります。
そのときはなぜこの場所に惹かれるのか、なぜこんなに落ち着くのか、不思議な感覚がしましたが、今思えば、この場所は大天使ミカエルが降臨したとされる場所だったんですね。名前も日本語になおしたら「聖ミカエルの山」!!
「モン・サン・ミッシェル」を日本語に訳してみようなんて、、思ったことなかったわ………。
ふ~、フランス語もかじっていたのに、「モン・サン・ミッシェル」の意味を、今この瞬間に知っている自分にも驚きです…


by atelierkei-0520 | 2019-03-21 23:48 | ◇日々の気づき

自分の脳の依存に気づいた日

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2月に入って1日2日と立て続けにある夢を見ました。
一つは小さな小猿とゴールデンレトリーバーが夢の中で私が住んでいる部屋のソファーで本当に幸せそうに寝ている姿を見て、心がぽかぽかになる夢でした。
そして、もう一つは黒いラブラドールと旅をする夢で、旅のために初めて会ったそのワンちゃんと少しづつ交流し始めるという夢でした。

どちらも目が覚めると、とっても幸せな気分で、「あ~、自分の幸せって案外単純だったんだな」と改めて感じたのでした。
今週のメッセージでガブリエルさまが言っているように新しい時代に入っていく中で、改めて本当に望む幸せの感覚を掴むために見たのかなとも思いますが、なんとなくここから自分の中で面白い展開になっていきました。

人は自分の人生に不満を持っている場合は、「お金」か「愛」に解決策が隠されていると思いがちに感じています。

以前の私はどちらかと言うと自分の人生に対する不満の解決策を「お金」によって解決されると勘違いしていたタイプだったように思います。

私の中の価値観として全ての機軸は結局「お金」でした。
「ちゃんとした社会人になる=お金を稼げる」とか「家族を幸せにする(家族の問題を解決する)=お金があれば最低限は大丈夫」とか。
お金が稼げる人間が一人前であり、発言権があり、そうでなければ、何かを望むことさえもできないと思っていた節があります。
お金≒幸せ
お金というものは、それ自体は様々なことをスムーズに進めてくれる大変便利なツールではありますが、人の問題の根幹はそもそもお金ではないので、問題の根幹を摩り替えて「お金に解決策を求める」人には結局はお金は巡ってきません。
なぜなら、その人の高い意識が「お金を持つ」ことによって、本人が問題に取り組むということに目を向けなくなってしまうことを望まないからです。だから、自分で「自分の下にお金が入ってくるように」とは許可しないのです。


私も困ることはなかったものの、家族の問題を胸を張って「私に任せろ!」といえるほど、お金が入ってくるということにはならないまま、スピリチュアルに目覚めたわけですが、自分の中の内観を通していく中で、本当の意味での自分自身の「幸せ」というものがわかってきました。
すると、今まで「お金が自由になれば」と思って求めていたものは「幸せ」というものではなく、どちらかというと「自尊心」を満足させた時に起こる「ハイテンション」であったということがはっきりしてきました。

ん???「ハイテンション」???
私が求めてたのは、「ハイになる」こと???!!!

気がついたのです。。。

上の理論は、スピリチュアルの王道の理論でもあるわけですが、もう一つ無視できないことがあるようだと。。。
それは、私たちの脳が意識を正しく認識していない場合がある、ということです。
そしてその代表が「ハイテンション」を自分が求めているものと勘違いしてしまうことだということです。

私が追い求めていたのは「自尊心」を満足させた時に起こる「ハイ状態」。。
そう思ってよく考えてみると、私が「ハイ」を感じられる瞬間というのは、今までは「お金が自由にならない」という中でも、なんらかの成果を出した時でした。
つまり、「お金が自由にならない」という現実は、私の自尊心を満足させ、脳を「ハイ状態」にするために、最も適した現実だったのです。。。

………なんてこと!!

「幸せ」って感覚よりも波動的に低いのが「ハイテンション」です。だから肉体の脳は「ハイテンション」をより欲しがります。
つまり、今までの私の脳は幸せよりも何よりも「ハイ」を求めていたのです。。。

「ハイテンション」は脳が「幸せ」というものの代用品として求めるものに感じています。
でもその心理の奥には「たりない」「もっともっと必要」という枯渇した感覚があるようにも感じます。
有限の世界の「脳」には「無限のエネルギー」が存在するのだということは理解できないのでしょう。
だから一度「ハイテンション」を体験すると、脳はそのハイテンションに依存しだし、ある種の「中毒」のような状態になります。
そうして、飽きることなく自分が「ハイ」になれる状況を引き寄せるのです。

………脳はこうやって現実を作っていくんだと実感してしまいました…。。

3次元の現実は「脳」が作り出します。でも、無限を理解できない脳は意識上の自分の希望を歪めてしまうことがあります。

でも「脳」を包括する「意識」は「無限」を理解できます。
だから、本当の意味で自分自身の心と現実をあわせていくためには、意識と脳の同期が何より大切なのではないかと感じました。

本当の意味でガブリエルさまの言う新しい世界を構築していくためには、まずは自分の脳が持っている依存性に気がつくと速いかもしれません。

脳からその依存体質を抜くためには、まずは自分自身の「幸せ」という感覚に気づき、何度も落とし込んでいくことと、何度も起こる「依存」状況に気がついて、冷静に手放すことが必要なんだと思います。
自分の脳の中に、歪んだ形ではない本当の「幸せ」の形ができて、そして脳がその「幸せ」をストレートなルートで手に入れることを望んだ時、私たちはかつてイメージした引き寄せというものが「できている」と感じるのかもしれません。

「幸せ」の感覚を知ることと、
自分の思い癖のメカニズムに気がつくと、ちょっとだけ前進する感じがしています。




by atelierkei-0520 | 2019-02-06 17:45 | ◇日々の気づき

時間の感覚の変化

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ここ最近の時間の感覚に、少し不思議な思いをすることがある。

全体的には時間は物凄く速く過ぎていく感覚は相変わらずで、1週間や1ヶ月はあっという間に感じる。
でも、ふとした瞬間に、「あれ??まだ、これだけしか時間がたってない!?なんで??」とビックリすることが時々ある。

それは例えば30分くらいたったかなーと思って時計を見るとたった5分くらいだったとか、普段は45分くらいかかることが20分くらいだったとか、細切れの時間の話なんだけど、なんとも不思議な感覚だ。
こういう時の特徴は、その5分なり、20分なりの時間の間は、全く時間というものの概念や感覚が自分から抜け落ちている時に起こるように思う。
つまり、いろいろ忙しいということで、「今何時だ?」「今何時だ??」とチラチラ時計を見ている時は、時間は相変わらず瞬く間に過ぎていくのに、同じ忙しい一日でも、時計を見るのを忘れるくらい何かに没頭していたり、またはその時間を満喫していたりする時にこれが起こるのだ。

数日前に、大天使ラファエルさまに創造主のエリアまで意識をあげていくお手伝いをしてもらったことがある。
大天使ラファエルさまから「集中して」と言われたとき、私はどこに集中していいのかよく分からなくなり、「どこに?」と聞いた。
すると大天使ラファエルさまは「あなたの頭の中」といわれ、その瞬間に、いろんなことが「ドカン」と私の中で繋がった。
「そうか!!そうだったのか!そういうことか!!」

全てを作り出す「創造主」
脳をシータ派にするヒーリングでは、このエリアに意識を上げて、そこで創造主に対して「コマンド」する。
「なぜ“コマンド”なんだろうか。なぜ、お願いするのではなく、コマンドなんだろうか。」
私のぼんやりとした疑問が、なんとなくわかった気がした。
創造主は私たちの「脳」なのかもしれない。それは3次元の脳と言うよりはもっとエネルギー的なものに間違いはないのだけれど、でも、創造主は私たちの「思考」なのかもしれない。
だから、私たちは「コマンド」するのだ。そこで自分自身に指示を出すのだ。そうやって人は現実を、全てを創造するかも。

「時間」というのも、人の思考が作り出している感覚的なものだとしたら、その概念がなくなっている間は、時間はなくなっているのかもしれない。高次元の存在たちは「私たちには時間というものはない」といっているけど、それはそういうことなのかもしれない。
3次元的な人間である以上、また高次元に移行する途中の私たちには時間の概念は必要だから、全くなくなることはないとは思うけど、ものすごく速い時間の流れの中に「ゆっくりな時間」を創造することは、もしかしたら可能なのかもしれないと思ったのでした。

全ては人間の思考が作り出す。
この3次元で思考を持つことが出来るのは「体」だ。
細胞の奥をのぞけば、そこに宇宙が広がっている気がしてなりません。
探すのは「外」ではなく、「内」。
答えは常に内側にあるのは普遍だと感じています。

今日から2月ですね!
皆さま、今週もお疲れ様でした^^

by atelierkei-0520 | 2019-02-02 22:19 | ◇日々の気づき

宇宙の流れに乗るってことについて①最近の気づき

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最近、少しづつ掴んできている感覚がある。
それは物事がびゅん!と現実になる時の感覚だ。

ブログを始めた頃は、やっぱり「引き寄せの法則」というものを出来るようになりたかったし、どうやったら自分が希望する現実をこの3次元で再現できるかということを解明しようと夢中だった。

当時は宇宙の仕組み、「波動の法則」とか「量子力学」とか「クウォンタム」とか「エネルギー」のこととか、いろんなことを自分自身で実験したり、考えてみたりしてた。
理屈好きの私は、どんどん理屈がわかるようになってきて、楽しかったけど、まちがいない!というような実感のようなものがどうしても掴めなかった。たぶん、このときの私は「できるか」「できないか」という視点でしかこれらのことを見ていなかったから、結局は100%ではないってことが不満だったのだと思う。
今思うと、「できるか」「できないか」にこだわっている時点で、波動的に「物事がびゅん!」と現実になる状態ではなかったのだと思う。

でも、最近ちょっとだけ、なんか、わかってきたような気がしてきているんです。

例えば、少し前私はある有名店Aの「モンブラン」がどうしても食べたくなって、「よし!近々いいタイミングがあれば、モンブランを買って帰ろう!」と思った。
すると昨日出かけてた母が、「デパートの特設コーナーでSのモンブランが売ってたのよ。食べたことないから買ってみた。でもね、なんかびっくりするほど高かったのよ。。」といってモンブランを買って帰ってきた。

私は「Sか~。。あんまり期待できないけど、でもおやつがあるって嬉しいからいいか」なんて思いながらパッケージを受け取って箱をみてびっくり。
「ちょっと、お母さん、、これSのモンブランじゃなくて、Aのモンブランじゃん。。。そりゃ高いはずやわ…(絶句)」
母は、「え!??うそ??だってSの名前しかなかったよ!そのショーケースに入ってたのよ。。どういうこと??」と狐につままれたような表情になっていた。
で、昨日は、念願かなって、Aのモンブランをほうばることになってしまった。

同じく昨日のことだけど、昨日は昼間ジュエリーの店から電話が入り、売れ筋の作品で今在庫切れの作品をいくつかまた納品してくれないかという依頼があった。その作品はちょっとややこしい工程を経る作品なので、私も「よいしょ!」と腰を上げなければ、なかなか作らない。私はいくら売れるとわかっていても、やっぱりいつも新しいことをしたかったりするので、在庫切れはいつものことなんだけど(ビジネスは向かないなと思う所以はこういうところにもある)。
でもこの貴重な稼ぎ頭でもあるその作品を、わざわざほしいとリクエストしてもらえるのなら、ここはまた頑張るか!と思い、作業を開始した。
作業を始めながら、「よし、やるならこれで○○円稼ごう。うん、全部売れたらそれくらいになるくらい作ろう。売れるかはしらんけど、あはは、でもたぶんいける」と思いながら、黙々と作業した。
そうしたらね、夜お店からの電話で、昼間私がイメージした「○○」円っていうそのまんまの金額の別作品が売れたという連絡が入った。

※※※

最近感じていることは、何かイメージしてそれが形になる時は、「~したい」って形ではないってことだ。
そうではなく、それをイメージした時には自分の中でもう出来ることになってしまっている。
つまり「~したい」ではなく、「~する」という形なのだ。

つまりね、自分は出来ると思っていることが現実になるっていう至極単純なことなんだけど、これがね、意外とかつての自分にはなかったんだよね。


現実になる流れを遮断するのは「条件」のような気がしている。
例えば、「~したい」と思ったあとの「でも」「だって」も代表的な「条件」だけど、「頑張れば」とか「今はダメでも」とか、こういったものもそれと同じくらい邪魔な「条件」になる。
宇宙は高い波動になればなるほど「シンプル」だ。
「~したい」より「~する」の方がよりシンプルだからきっと現実になりやすいのだ。

ただね、一つだけいえることは、「~したい」と思っても何かしらの条件をつけてしまう自分を「なかったこと」にすることは絶対に無理なのだ。「無理だ」と思っている自分を「無理じゃない!」と押し殺すことはできないのだ。

現実になる時は、
なぜか「できる」と思う。「そうする」と思う。
そう、根拠なく。シンプルに。
そこにもやもやした自分はいないんだよね。

そういう状態に自分がなるために出来ることは、とっても簡単。
小さな成功体験を積んでいくことと、「条件」をつける自分と向き合うこと。
「叶った前提で願いを過去形で書く」とかではないみたい(笑)

この二つをやっていくことが、そのまま自分の波動を整えて行き、結果「引き寄せ」なんかでいわれている宇宙の流れに自分が合っていくような気がしています。


by atelierkei-0520 | 2019-01-31 21:31 | ◇日々の気づき