アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

keiatelier.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:◇つぶやき( 198 )

春分満月の前の日、朧月夜の夜

f0362457_21380967.jpg
明日は春分の日、そして満月ですね。
予報では雨だったので、今日の夜の月を写真に撮ってみました。
雲がかかっていて、その向こうにうっすらと光るほぼ満月のお月様です。

昨日の午後辺りから、エネルギーが強くなってきた気がしています。昨日はその辺りから、「ぼーーー」っとしてしまい、夜はいつもよりだいぶ早く眠くなってしまいました。数日前から、このエネルギーの影響を受けてか、少し波動的に重くもなっていて、昨日は久々に夜夢で変な輩の訪問を受けてしまいました^^;もちろん入れなかったけど^^;
前に進みたい気持ちが強くなってきていますが、なんとなく今は「がまん」の気がして、あまりそこに意識を向けず、淡々と過ごしています。
そして、またも今日は「歯科」で虫歯治療の続きです。
今日は移動中もぼーーーっとしていて、電車の中で気がつけば「インナーチャイルド」と会話して思わず涙ぐんだり、帰りの電車を乗り間違えて、来た方向に逆戻りしてしまったりと、なにやら調整が大変でした。
とにかく今日は「考えること」を自分自身に禁止しているような、そんな感じです。

皆さま、良い春分の日お迎えください^^

追記:
そうそう、今日は何故か改めて大天使ミカエルが気になった。ネットで調べたりしてしまった!(今さら!?^_^;)

by atelierkei-0520 | 2019-03-20 22:43 | ◇つぶやき

今朝、追い詰められた脳がやらかしたこと

f0362457_17220321.jpg

いやー、びっくり。。
ここ最近「脳」のアドレナリン依存の話を書いてきましたが、脳のやつ、今日はとんでもないところから「アドレナリン」を放出する方法を実行してきました!!
それは、、なんと、、「夢」!
「夢」の中で、、左脳の理性が働かない、私の「夢」の中で、脳のやつは仕掛けてきたのですーーー…。。
完全にやられてしまった。。。。。

今私は、起きている時、つまり左脳の理性が働いている時は、脳のこのアドレナリン放出のための誘い水に乗らないよう、意識して思考をストップしています。
だから、以前だったら、その現実が起こると、自分がそれに反応してどんどん深みにはまって行ったのですが、今は初めの感情が噴出する部分はあるものの(これはある意味しかたない)、そこを引きずりません。
こうして、自分の思い癖を修正していくことが、今の私には必要だからです。

ところがね~~…
今日は、夢の中で、やってしまいました。
簡単に説明すると、ジュエリーの仕事をしている自分が、後輩のジュエリー作家のやり方にとことん腹を立てるというものでした。
実際には、この「後輩のジュエリー作家」なんて存在しませんが、夢の中では存在していて、私はそのやり方、考え方にはらわたが煮えくり返り、ついには爆発してしまうのです。
「ふざけんな!!!おまえ!!なめてんのか!!」って感じで。。。
で、その人を相手に、今まで私が作家として持っていた、「こうでならねばならない」をぶちまけるというヤツだったのですが、全てを言い切った後、自分の脳から「しゅわしゅわしゅわ~」っと「快感物質」が出てきて、「はあ~…やってやった~!!」というなんとも爽快な気分に酔ってしまったのです。。

もう、ほんとうにこれは「依存」症状の何者でもないですよね^^;
自分が強くなった気がしますし、何より爽快なのです。

でも、何度も言いますが、この爽快感は「ダミー」です。
現実でこれを求めなくなっているところはいい傾向ですし、脳がそれを実行できる場所が「夢」に限定されてきたのもいい兆候です。
でも、本当に抜ける時は、「夢」であっても全く動じなくなるのです。
左脳の理性が効かない夢の中でも、あのお笑いコンビの良く使うフレーズのように、「は?ちょっとなにいってるのかぜんぜんわかんない…」となるのです。

「依存抜き」はまだもう少し必要なようです。
今日はそんなことを確認したのでした^^;
いやはや、「依存」なんて、完全に人事だと思っていたのに^^;;;;
今日の経験は「アドレナリン」やそれに反応して実行に移したときの「爽快感」のすごさも、改めて感じたのでした。
そりゃ人は、これを「充実」とか「幸せ」とかに勘違いしてしまうわ~と納得もしました。。

皆さま、今週もお疲れ様でした♪

by atelierkei-0520 | 2019-03-17 17:18 | ◇つぶやき

めまぐるしくエネルギーが動く日々

f0362457_21505830.jpg




今週は、なんだか盛りだくさんで、今、少しほうけています。
エネルギーが降りてくる日と、私の元から不要なエネルギーが出て行く日とが、交互にやってくるような感じといいましょうか。
こんな時、今までだったらついハイテンションになったり、逆にローに落ちて頭の体操が始まったりしたものですが、全ては「脳の思い癖」ということに気がつくと、とにかく「わ~~☆」と感情が上がる時も、「どかん!」と感情が爆発する時も、その瞬間はその感情を感じるしかなくても、その後はひたすら脳の癖を抜くために「静か」にしています。
これは「感情を感じないようにする」ということではないんです。
むしろ感情はしっかり感じています。でもそこに「脳」のおしゃべりを乗せないのです。

私たちは感情を発生させると、その瞬間から「脳」がおしゃべりを始めます。
そして、その感情をより強く感じるように「脳」は「心」を煽っていきます。
そうやって感情を膨らまし、「エゴ」の声に正当性を持たせます。
そうやって、私たちは否定されることへの恐怖を克服しようとするのです。
「ハイテンション」も「ローテンション」もその根幹にはこの重い「恐怖」というエネルギーが息づいています。

でもこれらは、私たちが過去世も含めた流れの中で持つことになってしまった、ただの「癖」なのです。
そのエネルギーを使うことで生き残ろうとしていた時代の、今は必要なくなってしまった習慣なのです。

静かにしていると、
「脳」のおしゃべりをあえて止めてみると、
そこにはただ「感情」という放出すべきエネルギーがあるだけで、そのエネルギーが静かに消えていくのを感じることが出来るようになります。
それはまるで澄んだ空に浮かぶ雲のように、静かに流れ、形を変えて、いずれは消えていくのです。

残るのは若干の切なさと、心の中に広がるやさしさです。

否定されることへの恐怖は生き残りのための起爆剤として必要だった時期もあったかもしれません。
今これが必要なくなったということで、自分の中にあるネガティブな感情をどうやったら取り除けるのかと人は悩んだりしますが、
むりやり取り除こうとしなくてもいいのです。むしろ自然に任せた方が速く進む場合の方か多いと感じます。

静かに、脳のおしゃべりをやめて、エネルギーを解き放っていくと、いずれは少しずつ消えていきます。
ベストなタイミングは無意識の自分が全て知っています。

今はアセンション。
今はそれらのエネルギーが消えていく時期なのです。だから静かに見つめるだけで、古いエネルギーは剥がれ落ちていきます。

今日はある動画を見ていたら、上の音楽を見つけました。
なんだか、今日の気分にぴったりだったので載せてみました^^

by atelierkei-0520 | 2019-03-15 22:01 | ◇つぶやき

エネルギーの変化がハンパないのか、、

f0362457_19274879.jpg

エネルギーの変化がハンパないのか、、
今朝、ここ数年で一番酷いギックリ背中と寝違え首になりましたーーーー(ー ー;)

久々に、、きつい!!
痛みが走るとき「グオ!!」と声出ちゃいます。
春分の日まで案外穏やかに行くかなーと思いきや、、やっぱりダメだった、宇宙はきびしー(T . T)

ということで、今日は一日安静してました。
明日はどうなることやら^_^;
皆さま、今週もお疲れ様でした♪

by atelierkei-0520 | 2019-03-09 19:11 | ◇つぶやき

おばあちゃんの記憶

f0362457_22451446.jpg

昨日、ちょっと不思議な体験をした。
瞑想中にふとあるビジョンが見えた。
光り輝く金色の髪の男性が、すごく穏やかで優しげでそれでいて楽しそうな表情で、自転車か何かのタイヤの金属の部分を磨いている。
男性はロードバイクの選手が着るようなぴったりとした半袖のウエアを着ているようで、その白地のウエアには輝くグリーンの細い線で何か模様のようなものが入っているように見える。
その人の全てが光り輝いていて、なんだろうと思っていたら、その人の後ろから更に強い光が見えてきてその人を飲み込んだ。
強い光が私が見ている画面いっぱいに広がり男性の姿は白い光の中に消えて行き、代わりに光の中心からある光景が見えてきた。
それは、今はない私の母方の祖父母の家の玄関だった。

母は一年に何度か実家に私たち子供を連れて帰っていた。私は祖父母にとっては初孫だったから、生まれた時は祖父母は大喜びだったとは聞いていた。
でも、私の記憶にはあまり可愛がられたという記憶はない。
祖父母の家での私の記憶が鮮明になる頃には、おじいちゃんに気に入られている弟や、フランス人形のように目が大きくかわいらしい女の子のいとこたちがいて、私はその子たちの面倒見のいい「おねえちゃん」だった。
祖父母の家はおじいちゃんが英語の塾を開いていたということもあり、ちょっとハイカラだった。
几帳面なおじいちゃんが整えた外国風の家具、行くと必ずある何か素敵な箱に入ったお菓子、朝食はおじいちゃんが飲むコーヒーの香りと近所のこだわりパン屋さんの手作り食パンとおばあちゃんが用意してくれるベーコンエッグ。家でも朝はパン食だったけど、コーヒーの香りや手作りパンは私にとっては特別だった。
そして、なんといっても滞在中の朝食にいつも一度だけおばあちゃんが作ってくれる焼き立ての「ワッフル」。
ふわふわのワッフルに今でいう「コンフィチュール」に近いおばあちゃんお手製のイチゴジャムを乗せて食べる。これが本当においしくて、私の祖父母の家に行く時の最大の楽しみになっていた。

でも、私の中に残っている「幸せの記憶」はこういう食べ物に限定されていて、そのほかはいつも何か「居心地悪さ」を感じる滞在となっていた。
私には母方の祖父母はちょっとドライに感じていた。
おじいちゃんもおばあちゃんも、彼らなりに可愛がってくれていたのだろうと今はわかるのだが、幼い私には学校の友達がよく休み明けに話してくれるおじいちゃんおばあちゃんの感じとは随分違っていた。
「かわいいかわいい」と抱き寄せてくれたり、とくに何処かに連れて行ってもらったり、特別な時を除きお小遣いをもらったりした記憶がなく、特に気難しいおじいちゃんには、よく行儀のことで怒られ、自分の名前の言い方が違うと怒られ、夜は8時になると強制的に寝させられた記憶の方が強い。
おじいちゃんはアメリカ育ちだったせいなのか「大人」と「子供」を明確に分ける人だった。
だからおばあちゃんも母も、そして大人たちは集まると大人たちの世界を作ってしまい、子供は中に入れない感じだった。
そんな中、私は自分のことをこう思っていた。
弟やいとこたちに比べ、自分は「かわいくない」からきっと気にかけてもらえないんだ。
ドライな祖父母だったけど、弟たちはそれなりに可愛がられているように見えた。
利発でかわいい弟と幼稚園ながら髪にカールを当ててもらっていたモデルのような容姿のいこたちは、この家のハイカラな感じにピッタリだけど、私は「こけし」だった。なぜか私だけ純和風のこけし人形のようで、西洋的なものが美しく感じる私には悲しかった。
性格だけでも子供らしかったら良かったのに、私はどうやったら子供らしくなれるのかわからなかったし、どういうふうに大人に甘えたらいいのかもわからなかった。
だから、いとこたちとも一緒に遊ぶというよりは、お姉ちゃんとして面倒をみているような心持だったから、心から「楽しい」なんて思ったことがなかった。
私は「大人」でもなかったし「子供」にもなじめなかった。でもこのことを誰かに言ったことはない。いつもちゃんと「いいこ」だった。

おばあちゃんはそんな私を、いつもほめてくれていたというのを母から祖母がなくなってからよく聞くようになった。
「keiちゃんは、かしこいから」「keiちゃんはセンスがいい」そういって、祖母は子供の私と遊ぶというよりも、私が大きくなったら一緒に何が出来るかの方に関心があったようだった。自分が得意なお裁縫で私と洋服を作ったり出来たらいいねなんて思っていたようだと聞いた。
そして私の容姿に関しても「エキゾチックでいいよ、日本的で。大人になってからの方がいいだろうね」と言っていたそうだ。

それらをおばあちゃんが亡くなってから聞いたけど、私の記憶には、おばあちゃんの後姿しかよみがえってこなかった。
おばあちゃんは、私たちが滞在している間中、すごく忙しかった。ただでさえワガママで手がかかるおじいちゃんのお世話に加え、私たち家族のお世話とおばあちゃんなりにもてなしたいと張り切って「朝」「昼」「晩」の料理を頑張ったりするから。
おばあちゃんは随分前に脳出血で64歳で亡くなった。結局、大人になった私の姿は見ていない。

私の中のおばあちゃんの記憶は、忙しく家の中で働く後ろ姿と、時々母に見せていた笑顔と、亡くなった後に母から聞いた私に対して言っていたことぐらいしかない。
母からおばあちゃんの人生の話を聞くとしんみりはするし、私に対する思いを聞いて嬉しくもあったが、どこを探しても「おばあちゃんとの接点」のような、「触れ合い」のような記憶がなく、なんとなくそれが「悲しい」とかもなく、ただ自分の中で「そうだった」という事実のみがあった。
それが私の中の「おばあちゃん」だった。

ビジョンの中で祖父母の家の玄関が見えて、扉が開き、私の意識が中に入ったのと同時に、あがりがまちの左の通路から、エプロンで手を拭き拭き出てきたおばあちゃんの顔には笑顔があって、私を見る目には喜びがあった。
倒れる前に最後に会ったときぐらいのおばあちゃんがそこにいて、私を見ていた。

私はその目を見た時に初めて、昨日、ビジョンでおばあちゃんの目を見た時に、本当に初めて、「あ~、この人は私を愛していたんだ」とわかった。
おばあちゃんは、あの時、私が来るのを待っていてくれた。会ったときに「うれしい」と思っていてくれた。
そのおばあちゃんの気持ちが私の中に「光」として流れ込んできて、私は始めておばあちゃんの奥にあった本当の気持ちと触れ合って、その暖かさに圧倒され、私は目からドバドバ涙を流して泣いてしまった。

そしてその時思った。私の「ない」はここから始まっていたのかって。この祖父母の家から。
そして昨日はおばあちゃんがその「ない」を「ある」に変えてくれたのでした。

私とおばあちゃんを繋げてくれたのは、あのロードバイクの選手のような美しい人だと思う。彼は間違いなく「天使」。
最近実は天使の存在を前よりもっと強くはっきり感じられるようになっている。
それは私の中の何かの変化なのかもしれないと思う。
本当に不思議で美しい体験でした。

そして、こういう体験を通してなんとなく感じ出しているのが、「天使」と人は「紐付いている」のではないかということ。
「人」がいるから「天使」はいて、例えば「あなた」が存在しているってことは、この地球のどこかに「あなた」と紐付いている「天使」がいて、その「天使」は何か出来ないかと常に誰かの側にいてサポートしようと頑張っていて、「あなた」は気づかないけど、「あなた」が存在していること自体が、そのまま例えば地球の裏側にいる誰かにとって必要な天使的な活動に繋がっているんじゃないかと感じてしまったのです。
まだはっきり言葉には出来ませんが、不思議な体験をしています。

by atelierkei-0520 | 2019-03-08 22:58 | ◇つぶやき

月曜日17時のふしぎ・未来からのサイン

f0362457_21352766.jpg

先日、日曜日に投稿したこちら↓


この投稿で、月曜の予定はキャンセルするという選択肢を自分に持たせた、と書いた。
するとその月曜日にちょっと面白いことが起こった。

月曜日はいよいよ歯科での自費治療が始まる日で、2週間ほど前からこの日の17時に歯の型取りの予定が入っていた。
歯科は遠いので出かけるならいろいろと同時に予定をこなしたい、しかも17時だったらいろいろ出来る、ということで、前々から気になっていた彫金の方の仕事の予定を入れることにした。
彫金の方は業者に外注する工程でのことで、随分前からこちら側の相談事を業者に聞いてもらう必要を感じていて、電話だと軽くあしらわれそうなので、タイミングを見て直接業者に出向いて相談してみようと考えていたところ、作業工程で業者に依頼するタイミングと歯科と、それからその業者に行くにはものすごく遠いので、季節なんかも重要だったので、そこのタイミングも月曜はクリアできている感じがしたので、思い切って行ってみようと思っていた。

歯科の方はともかく、この業者に赴くのは本当に面倒で、なんども「はあ~」とため息をついていた。
「そこまでこだわらんでも…」という自分とは別に、「なんでもあいまいには出来ない!!」という頑固者の自分もいて、その二人のせめぎ合いだったが、基本「もやもや」が許せないたちなので、頑固者が勝つ結果となったのだ。

不思議なのだが、この時点で業者に行くことと歯科に行くことは私の中でセットになってしまい、業者に行かないという選択肢を選んだ場合、歯科にも絶対に行きたくなくなってしまった。
とにかく、どんどん気分が重くなってきてしまうので、とりあえずは「月曜はどこにも行かない」という選択肢を自分に与え、日曜日は寝ることにした。
ただし、この時点では「行かない」とは決めていなかった。
どちらにしても日曜で歯科は休みで連絡できないし、「行かない」という選択肢を自分に許すと案外出来たりするので、当日の朝起きた時の気分で決めようと思ったのだ。

そして、朝起きて「今何時だ?」とスマホを見て、びっくり。。。
なんと「エンジェルサポートレッスン」の生徒さんからその日の17時にセッションを受けたいと連絡が入っていた。

実は、この同じ生徒さんが少し前に次のレッスンの予約としてこの同じ日同じ時間を指定してきたのだが、その時は「歯医者と彫金の業者に依頼に行かなきゃ行けないし」と別の日にしてもらったという経緯があった。この時点では「歯科」も「業者に行く」も私の中では譲れない予定になっていたから。
で、この生徒さんは、そのことを忘れたのか、もしくはそれほど緊急に何かがあったのか、とにかく、「今日の17時にセッションを!」とまた再び指定してくるのだ。
レッスンではなく、セッションという点も気になって、どうしようか一瞬迷ったが、私は受けることにした。
そしてこう考えた。
「むむむ、どうも、今日の17時はどうしてもこの人と時間を過ごす予定になっているようだ…、なんだかわからんけど、そんなことになっているのか。。だから、違う予定をこなそうとすると私の心はあんなにイライラしたのか…」と。

で、結果、生徒さんとの時間は「セッション」という大げさなものではなく、レッスンの途中でよくある「お話会の日」みたいな時間になって、とてもいい時間を過ごせた。
そして不思議だったんだけど、この生徒さんとのお話会の後、私の波動はどんどん軽くなり、気分もよくなってきて、次の日の火曜日には完全に元に戻ったのでした。

しかも、気を取り直して天気もいいし火曜日に業者にだけ行ってこようかなという気になって、でも一応電話連絡してから行くかと電話すると、出てきた人がすごく親身に話を聞いてくれる人で、結局、電話だけで相談事はあっさり解決してしまったのです。

こういう現象を私は最近「未来からのサインを受け取る」という表現をしている。
月曜の17時は、なぜだかわからないけど私が繋がっているもっとも波動の高い未来では、あの生徒さんと時間を共有する未来だったのだと思う。
で、その形は「レッスン」でも「セッション」でも「お話会」でも何でもよくて、とにかく「繋がって時間を過ごす」ことが重要だった。
だから違うタイムラインの未来を私が選択しようとした時、それは「古い思考パターン」によって出来上がった未来だったと思うのだが、そこと繋がろうとした時に、私の「こころ」は「ちがーーーう!」と叫んでいたのだと思う。

こころが選択した未来と繋がれば、その後の流れもスムーズだ。今日は火曜日の電話アドバイスを受けて、その業者に郵送で依頼品を出すことが出来た。これで来週にはお店に作品を納品できる。イメージした予定通りに。

自分の中の浄化が進むと、私たちは「未来からのサイン」に気がつくようになる。それはハイヤーセルフが提案する自分の中で最も高い波動領域の未来。
だから、私はもし決断を迷ったら、一度「決断」してみるのもいいなと思っている。その時点で自分ができる決断を。
そうすると、必ず、それが選ぶべき未来ならスムーズに運ぶし、違うのならこころが「ちがうーー!」と叫んだり、なんどもシンクロが起こって私たちの思考が行くべき未来からのサインを理解できるように導かれるから。

こんな感じのことが起こると、やっぱりどんどん自分を信用したくなってくるから、不思議です^^
上昇下降を繰り返しながらも、どんどん自分がおめでたくなっていきますね^^;;
悪い気分じゃないのが、いい感じです^^


by atelierkei-0520 | 2019-03-06 21:50 | ◇つぶやき

なんだかここ数日大変です^^;;;

f0362457_20510125.jpg
なんだか、ここ3日ほどでしょうか、ものすごくエネルギー的に重くなっています^^;;
どうも、脳の依存抜きと毒だしの両方が同時に起こっているようで、メンタル的にきつい数日となっています。
身体の状態からも、今すごく大きなエネルギーを受け取っているんだろうなという感じにもなっていまして、ほんと久しぶりに翻弄されていました。

脳の依存抜きの方は、これまでの思い癖を抜いていく作業となるので、古い思い癖が出てきたと思ったら、ひたすら深呼吸して「0」地点に戻るようにしています。
で、いろいろやっても、どうしてもこれを考えるとメンタルが駄々下がりになってしまうことが一つだけあって、それだけはキャンセルしようかと考えています。
それは明日の予定なのですが、効率を考えて「あれこれ」詰め込む予定だったのに、気合でこなす予定だったのに、こなそうと思えば思うほどプレッシャーになって、胸の辺りが「きゅーーー」っと苦しくなって、もしやるのであれば、この胸の苦しさを「えいや~~!!!」と乗り越えなくてはならないという状態にまでなったのです。
この状態の自分のベースのエネルギーを見てみると、それは「ねばならない」からきているのは間違いないので、今現時点では「キャンセル」という選択肢を自分に持たせました。

これで明日の様子を見て決める予定ですが、おそらく90%はキャンセルするでしょう。まあ、自分の予定なのであまりまわりには迷惑はかからない話ですが^^;

最近、自分が行動をする前に、よくこの「ベースのエネルギー」というのをチェックするようにしています。
自分がどんなエネルギーをベースに持って行動に入っていくのかが、ものすごく大事な気がしているからです。
またそんなことも書けたらいいなと思いながら、今日はこの辺で!

皆さま、今週もお疲れ様でした~^^

by atelierkei-0520 | 2019-03-03 20:52 | ◇つぶやき

3月に入りました^^

f0362457_22475209.jpg
今日からいよいよ3月ですね。
2月はやっぱりあっという間でした。
2月の旧暦の新年の後からバレンタインデー辺りを経て、また一つ階段を上がった感じがしていますが、その新しいステージの本格始動が3月からのような気がしています。次の新月から、なんといっても21日の春分の日が待っていますから、きっと3月もあれよあれよと進んでいくのでしょう。

今日は最終調整の日なのか、いろいろと身辺を整理する日となった気がしています。
ずっと気になっていたあることが、私の中で終了しました。答えが出なかったのですが、サポートチームの計らいで確認することができ、私の執着は今現在の物ではなく、過去に紐付いていた幻想だったということがよく分かったのでした。
私がこだわっていたものは、「今」には存在していなかった、幻を追いかけていた、そんなことがよく分かり、どんなに求めても過去はもう今ここではないんだと痛感し、すっきりと手放すことが出来ました。

1週間ほど前、新しく通い始めた美容院に行って、新しくお世話になり始めた美容師さんに完全に「お任せ」でカットしてもらうと、鏡の前には、今までの自分とは全く違う自分がいました。
「え~、これが私??」とびっくり。
でも、なんだか気に入りました。それがハイヤーセルフが提案してくれた新しいステージの私の気がしたからです。
アクセサリーが映える髪型になったので、制作意欲も湧いてきました^^
モノトーン好きだったのですが、新しい髪形は、何か色を合わせたくなる髪形で、そこも楽しみになりました。

少しづつ変化していきます。
大天使ガブリエルさまが言っていたように、私の現実の世界はめくれ上がり、新しいものに置き換わってきているようです。
少しさびしいような、でもすがすがしくもあります。

上の写真はSNSに上がってきていて、あまりの嬉しさに思わずスクリーンショットしてしまいました。
こんな時間。
こんな瞬間。
このエネルギーが地球で生きている全ての存在に広がっていきますようにと感じました。

ちなみに、うちのワンコのルナこと「くまちゃん」はこの子供の白熊ちゃんに似ていると飼い主バカは思っとります^^
子供どころか、もう13歳になる家族を知り尽くしたおばあちゃんワンコですが、私にとっては永遠にこんな感じ^^;
だから余計に感情移入してしまった一枚でした~^^;;;


by atelierkei-0520 | 2019-03-01 23:22 | ◇つぶやき

魔法使いの弟子(原題:掃除女の影) ロード・ダンセイニ著

f0362457_22045438.jpg

新しい時代に入ったからなのか、かつての時代の記録のような本に出会った。

魔法使いの弟子(原題:掃除女の影) ロード・ダンセイニ著

何気なく読み始めた本だったが、最後の最後、この物語の悪役の「魔法使い」のその後を読んだ時、「これは現代の私たちの前の時代の始まり方を教えてくれる歴史書のようだ」と思った。

私たちは今、今までの自分の見方の限界を感じ「目に見えない世界」というものに深く意識を向けるようになってきた。
それは自分自身の「影」を見つめるところから始まると思っているんだけど、この物語は、今とは逆に「目に見えない世界」を3次元から締め出していくことを選択する人の心の歴史を「ファンタジー」という名を借りて、ひそやかに伝えているように思う。

意識の覚醒を迎える前の自分が読んだなら、これは単によくあるファンタジー。
悪い魔法使いと騎士道精神に溢れる若い青年の駆け引きの物語として読んだと思う。
でも、今の自分が読むと、この物語はもう一つの読み方が出来て、ちょっと切ない。
そして実は著者の意図もこのもう一つの読み方の方にあるのではとも空想してしまう。

物語の舞台の中世の始めくらいなのかと想像するスペインの田舎の風景は、染み入るように美しい。
だからなのか。
物語に出てくる人々は、徹底的に見えないものを恐がるし、それを知ろうとすることは「罪」だと思う。

見えない世界を締め出すと、目の前にある自然や、人が持つ若さや、時間の流れが、一日の陽の光や物質が作り出すその影が、
3次元でしか見ることが出来ないもの、触ることが出来ないものの、はかなさも含めた美しさが、本当に際立って、だから人々は、その感動を絶対に手放したくないと思ったのかもしれない。
見えないものを知ることは、せっかく降り立ったこの美しい「3次元」という世界を「なくしてしまう」とか「別のものにしてしまう」とか、そんな恐れがあったのかもしれない。

だから人々は「見えるもの」を選ぶ。
「触れられるもの」を選ぶ。
本当は、どちらもその世界に共存できるのに、どちらかを選ぼうとするのだ。
そうしないと、どちらかを失うと思うから。
そういう人々の意識が、知らせないことを「よし」とする力を「救済」としてうけいれ、その時代に入っていったのかもしれないと思った。

反対に人々が恐れる「魔法」を操る老人は、見えないものの価値が何より大切だと思っていて、決してこれが人間に理解できないと知っていながらも、いつか理解してくれる人間に会えるかもしれないと、長く長く生きている。
でもやっぱり、この人も「見えない世界」に価値が置けても「3次元」の世界には価値を置かない歪さを持つ。
とても孤独で、独善的で、ちょっとずるくて、物語の悪役としての魔法使いだったが、私にはせつなく感じ、その悪役が担う「やさしさ」も感じてしまった。
彼は最後、人間たちからその存在を否定され行き場をなくしたたくさんの目に見えない存在を引き連れ、3次元から消えていく。

人間が締め出したものたちは、本当はなんだったのだろうか。
もしかしたら、しばし人間が成長するまで時間を待つと決めた「天使」たちだったのではとも思ってしまう。

人間が「魔」と決め付けた存在たちやその知識は、産業革命辺りから「科学」や「物理」としてまずは復活し、今「スピリチュアル」として少しづつ人間の側に戻ってきている。「目に見えない世界」を知っても、恐くないし、この世界もなくなったりはしない。
私たちはいつもいつもおびえていたのだな。「取られてしまう!」って。
今やっと私たちはいろんな存在との「共存」を理解できるところまできているのだと思う。
実行するのはこれからだけど。

ケルトの伝統文化をバックに持った作者だから書けるのかもしれない宇宙観や限定された世界「現実」の歪さ。
日照時間の少ない国の人だから、スペインの光の美しさをより強く感じ表現できるのかもしれない。
とにかく、この時代に、こんな物語を書けるっていうのは、いつの時代にもその世界にリンクしている人がいるんだな~とつくづく感心したのでした。
ちょっと圧倒された本でした。

訳者が、あの妖怪好きでも有名な「荒俣 宏」さん。
素敵な訳でした^^

by atelierkei-0520 | 2019-02-28 22:10 | ◇つぶやき

自分観察

f0362457_21522521.jpg

前回勢いで書いたこの投稿

これを書き終わってちょっと思ったんだけど、脳の勘違いを修正するためにはとことんの「無反応」が必要だと書いたけど、これって、もしかして「特異点」の前だと、ちょっとしんどくなるかもとも思う。
これを冷静に受け入れて実行できるのは、自分自身には全て「ある」のだという確信を根拠なく持てた時だから。

ほんとに、特異点の前と後ではエネルギー状態がガラっと変わるんです。
特異点の前の段階で必要なことは、とにかく、自分の中からあがってくる声を否定しないことがもっとも重要。
とにかくこの時期は、ひたすら今まで押し殺していた自分の声と言うものを見せられる機会が大波小波とやってくるので、それを受け入れ、それによってでてくる自分の気持ちを大事に拾っていくしかない。
でも、自分がやるこの「内観」という作業は、どんな偉大なヒーラーも及ばない絶大な浄化効果があるんです。

ただ「内観」もいつもいつも、その瞬間瞬間やっていたら、きっと大変だと思うから、やっぱりこういうときの力強いツールとしては「ホ・オポノポノ」かなとも思う。
「無反応」はつらくても、呪文のように「ごめんね、許してね、ありがとう、愛しています」もしくは省略して「ありがとう、愛しています」を言うだけで、すごく効果があるので。
これだと、「ぐわっ」とアドレナリンが瞬間的に出たとしても、すぐに対応できるよね。

「ホ・オポノポノ」について詳しくはこちら↓



自分の状態を冷静に見た時に、最近いい感じになってきたのに、やっぱり同じ状況を引き寄せるなーと悩んでいた方は、「無反応」はいいかなと思う。

で、これに気がつくとね、脳は結構いつも同じ種類のアドレナリンを出そうと、思考の波の中をうろうろしていることに気がつく。
すぐに火がつくネタをいつも探してる。
例えば、人のやっていることを見ては考え、ニュースやSNSを見ては考え、自分のいろんなことを拾ってきては考え、、、
私も今日一日で何度も「あ、、また考えてる…。。いやいや、そこに思考はもう向けないんだった…」となんどもフラットに戻りました。

脳の癖を抜くのは結構大変です。
でもつくづく思うのですが、特異点の前であっても、後であっても、個人的アセンションのこの時期に役立つコツは

「とことん自分観察」

だと思います。
ちょっとマニアックかもしれないけど、「自分」を観察してみてください^^
自分って言うものをとことん観察していくと、そこに全てがありますから。

皆さま、今週もお疲れ様でした~♪


by atelierkei-0520 | 2019-02-23 21:53 | ◇つぶやき