アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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カテゴリ:つぶやき( 166 )

すっかり秋です。。

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すっかり秋ですね。
紅葉が始まった~って思った瞬間にもう葉っぱが落ちていて、なんか今年は突然「秋」がやってきてあっという間に過ぎていく感じがしています。
時間も同じくらい速く過ぎていってしまい、感傷に浸る間もないし、素敵な思い付きを形にする前に時間が過ぎていって、その思いつきもそのまま過ぎていってしまった時間の上に忘れてしまい、そのままやらずに終わっていく、そんな感じがしています。

昨日は「エンジェルサポートレッスン」の生徒さんがまた一人旅立ちました。
すごく充実した時間を過ごさせていただきました。お互いにやり残したことが過去の人生で沢山あるようなので、今回の人生はめいいっぱい楽しみましょうねと確認しあいました。

人との出会いも不思議な縁ですね。
それは現世だけのことでもなくて、今も昔も絡まりあいながら、出会った私たちは「今」の時間を共有するようです。
ずっと長く続くご縁もあれば、せっかく出会っても続かないご縁もあります。
どちらであっても、時間が存在する現世では永遠じゃない。でも、時間の枠から出たときにはどちらの縁も永遠でもある。
不思議です。

スピリットたちはよく「時間はコントロールできる」といいます。
残念ながらその感覚はまだ分からない^^;
なんとなく感傷的な一日でした(今日はめずらしくゆっくりできる日だったからかな^^)。
このブログも気がつけば結構な数の投稿になっています。
そろそろ整理した方がいいななんて思ってるんですが…。。

近々また「エンジェルサポートレッスン」の生徒さん1名の募集をしたいと思います。
過去アトリエkeiのワークを経験された人の中でご興味ある方はまたご連絡ください^^


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by atelierkei-0520 | 2018-11-13 21:30 | つぶやき

大騒ぎの前日1111

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「1111」について、時々このブログでもちょっと特別な数字だなんて書いたりしています。
明日は11月11日。今年の「1111」です。

とにかくエネルギー的に大事な日であるようなんですが、今日もその前日だからなのか、なんやかんやと大騒ぎの一日となりました。
「なんでやねん!」が続いたかと思えば、終われば全て「良かった」となっていて、こういう感じは「大丈夫、順調^^」ってことだと思っています。

今日は特に年に1、2回ある「ワンコ、家の中で大騒ぎ」の日にもなり、ちょっと大変でした。
うちのワンコは、一年に1、2回、それもこういう特別な日の前に何故かげろしまくるという日があります(きれいな話じゃなくてすみません…><)。こういうときは、胃が気持ち悪いのか、ずっと落ち着かず、2~3時間家中をうろうろしまくり、飼い主としてはワンコの後ろを追いかけまくることになります。
全て終わると、本人はすっきりするのか今はのびのびひっくり返って寝ています。
で、前回同じことが起こったとき(このときは下痢もあったので大変でした!)は私が外から幽霊さんを引っ付けて帰ってきていたということも原因の一つだったようだと後から判明したということがありました。
実は今日も外出先で「わ~~~、このタイプはやだな~」って建物に入ってしまい、帰ってきてからのワンコ騒動だったのでちょっとあせりました^^;
ただ、前回の経験から、ワンコの様子がおかしいのに気がついてすぐさま自分を浄化したので、今日はこれ以上のことにはならないんじゃないかと思っています。

こういうわちゃわちゃした感じも毒出しの一環というか、明日「1111」の前の日らしいというか、ちゃんと暦どおりに進んでいっているのを実感します。

「1111」
この日はなにかとネタになる体験もしているのですが、なんせこんなにいろいろあると、だんだんと鈍くなってくるというか、普通になってくるというか、日常は普通だからというか、とにかく年々この「1111」への気分も穏やかになってきます。

明日は「1111」
皆様、よい週末を^^♪
「1111」ネタは面白いのは面白いので、また書けたらと思います^^

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by atelierkei-0520 | 2018-11-10 23:07 | つぶやき

3次元で生きること

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今日は20年前に母に買ってもらって、ここ何年もの間タンスの肥やしになっていたコートのお直しを引き取りに、デパートに入っているお直しサービスの店に行った。
ちょっと雰囲気が今とそぐわなくなった長めのコートのすそをカットしてもらい、その取り除いた布でマフラーも作ってもらった。
コートとおそろいのマフラー。こういう洋服のリフォームは初めてで、ちょっと心配だったけど、すっごくいい感じの出来上がりでものすごく嬉しかった。

最近思うのは、「3次元」で生きるってことの醍醐味は、「手間をかけること」なのかもしれないと思う。
リフォーム売り場の担当のおばちゃんと一瞬で意気投合して、やり取りをしながら、採寸してもらって、お願いして、出来上がりをワクワクしてまって、引き取りに行って、またおばちゃんと出来上がりの素敵さを共有して、次のお直しをお願いして。
捨てて買い直せば一瞬で終わる話でもあるのに、時間をかけて、もともとそのコートが持っていた思い出にまた新しい思い出がプラスされる。
そんな時間は、ほんとうに「豊かだな~」と思う。

この前は四捨五入したら20年お世話になっていることになる彫金の師匠から「あんた、使うんやったらあげるわ」とポンと腕時計をもらった。
見るとなかなか有名な時計に似せたもの(^^;)だったのだが、まず電池は止まっているし、腕周りはずるずるに大きいし、その時計の特徴であるネジのところについている天然石は割れて取れていた。
そういえば時計は触ったことないな~ということで、自分で何とかしてみることにした。
まず、割れた天然石をきれいに取り除き、家にあったやす~い小さなサファイアをネジのくぼみにあう大きさに削り直して接着剤で入れなおした。
そして今度はメガネ屋でメガネを買うと付いてくる小さなマイナスドライバーを、時計の金属でできたバンド部分を取り外すためのネジ部分にあう形に更に小さく加工し直して、ずるずるだったバンドの長さも調節。
そして最後は同じドライバーをまた更に小さく加工し直して背面を開け電池を取り替えた。
時計屋さんに出せばすむことなんだけど、全部自分でやってみると、もらったときは「つけるかな、この時計。。」と思っていたものが、すごくすごくいとおしい時計になっていた。

「昔に戻りたい」なんてこれっぽっちも思わない。
今のテクノロジーがこれほど人間を解放してくれたことはないと思う。
でもだからこそ、いまだからこそ、「丁寧に手間をかける」ってことが可能な時代に入ったのだと思う。
仕方ないから手間をかけるのではなくて、
手間をかけたいからかける。

それって、最高の贅沢のような気がする。
思ったことがすぐ叶う世界は、実は当たり前で、この3次元を抜ければいつでも戻れる世界。
でも思ったことを手間をかけながら形にしていける世界、その工程全てを楽しめる世界は、この3次元だけだと思うのです。
実はすごく楽しいかもしれない「3次元」
もっと楽しみたいな~と思うのでした。


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by atelierkei-0520 | 2018-11-08 22:19 | つぶやき

浄化される魂の記憶:映画「君の名は」(後編)

今日の投稿は映画「君の名は」を先入観無しで見たいという方はスルーしてくださいね^^
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前回の続き↓
私が過去に見た夢の話をしたことで見ることになった、映画「君の名は」。
その夢というのを書いてみる。

夢の中で登場した風景はこんな感じだった。
湖なのか湾なのか、とにかく、大きな「U」の字の水辺があり、そこに続くように平たい土地があって、その平たい土地を囲むように低めの山がそびえている。ちょうど上の写真みたいな地形。写真では水辺のぎりぎりまで山があるけど、この写真の右手の部分に少し平らな場所がある感じ。
平たい土地の部分は「森」といえるほどではないが、木がたくさん茂っていて、低めの山にはその山の斜面に張り付くように白っぽい建物が沢山建っている。ちょうど下の写真みたいに。

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夢の中の私がいた場所は、平たい土地の方で、夕暮れ時なのか空はほの赤く、穏やかな感じだった。
そして、その平たい土地の木々の羽間で、その日は何かお祭りのようなものが催されているようで、沢山の特に若い人たちが楽しげに集まっていた。
私はその中にできていた一つの行列の中にいた。
ちょっと先の行列の先頭に何があるのかは分からなかったが、並んでいる人たちは皆楽しそうで、私もなにかぼんやりとしながらなんとなくそこに並んでいた。
そのときだった。
突如、異変を感じ体が自動的にこわばった。
次の瞬間、一つの大きな岩のような塊が私の右手の少しはなれたところに「ずどん!!」と落ちた。岩は真っ黒で、でも黒い表面の割れ目から真っ赤なマグマのようなものが見え、落ちた地面で湯気を出しながら不気味にくすぶっていた。
「やばい!」と思ったとたん、同じようなものが私の並んでいる列の前の方を直撃した。何人かの人がその岩の下に消えたのが分かった。
発作的に「ばっ」っと自分の左手にあった水辺側の空を見上げると、薄暗くなりかけている水辺の向こう側の空から弧を描くように黒くでも同時に赤く燃えたぎるような塊がいくつもこちらに飛んでくるのが見えた。
「こっちに来る!!」
あれがここにに届いたらおしまいだってことは本能でわかった。体が固まって動けなくなった時、同時にふとこう思った。
「私はこの出来事を知っている…。どこでどれくらいの被害がでたのか、そしてどの地域が被害を免れてどれくらいの人が助かったのか。。だって、私はこの時この場所にはいなかった。私は助かった場所にいたのだから。。」
そう思ったとたん、周りの時間がまるで止まったかと思われるくらい、スーパースローモーションになった。
そして、ものすごく巨大な声、実際には「声」にも関わらす全く音はしなかったのだか、圧倒される「声」が溶岩の塊のようなものが振ってくる同じ方向から私に向かって降ってきた。
空を見ると日本語の縦書きでこうあった。

「お前は!今、そこにいてはならない!そこにいてはならないと知っているはずだ!今すぐ!そこから、元の場所に戻れ!!」

私は弾かれたように走り出した。泣きながら。
周りがスーパースローモーションの中、走って走って、気がつくと山の縁に立っている建物の間の白いレンガのようなもので舗装された坂道を駆け上っていた。その道は水辺を正面とすると左側にある山の尾根になる部分にあり、平地を見下ろすようにたっている建物を壁のようにして頂上に向かって延びている。
沢山の人がパニックになっているのが分かった。自分の子供が平地にいるのか泣きながら坂を下っていく男性。自分の宝物である宝石を掴んで非難しようとして、道に取りこぼしてしまう太った中年女性。泣きながらかけていく子供たち。全てがスローモーションで過ぎていく。
建物の中に入れてもらおうと扉の開いているところの入り口まで行くが、真っ暗の中、空間にすし詰め状態で息をころしてひしめき合っている大人たちの姿を見て、そこには入れないと悟り、そのまま坂を上り続けた。
道の行き着いたところは山の頂上で、そこから身を乗り出せば向こう側で何が起こっているのか見えたのだけど、あの溶岩のような岩がやってきた方向の水辺の向こう側の空がまるで太陽がすぐそこあるかのように光っていて、その光が恐ろしすぎて、私はただ少し反りあがった頂上の岩の陰にうずくまって目を閉じた。泣きながら。何が起こっているのか、全て知っていたから。

そして目が覚めた。
夢の中で走っている間、ずっとアベマリアではないけど、そんなクラッシクの音楽がBGMのようにながれていた。
起きたときに感じたのはどうしようもない無力感だった。そしてあまりにもリアルで、しばらく呆けることになった。

私はこんな感じの天変地異の夢を沢山見ている。
そしてそれらは私の中では「アトランティスの記憶」として静かに心にとどめている。
でもその夢とそっくりな世界をまさか映画で見るなんて思わなかった。
そしてこんな感じでこの記憶の置き換えが行われるなんて思いもしなかった。
映画のテーマでもある「時間」と「記憶」。
脳は自らが組み立てた記憶をその後ばらばらに崩してしまうそうだ。ばらばらになった記憶はまるで忘れたかのようになるのだけれど、それは「要素」として必ず何処かに残る。
そんなところもこの映画はうまく表現されているなと思った。



風景の映像がとにかくきれいな映画でした。
まだ見てないという方は是非^^

ということで長くなりましたが、映画と夢のシンクロの話でした!







追記:

感傷に浸っていると、今日はいつも読むライトワーカージャパンさんの投稿に「アトランティスの負の記憶を手放すように」という投稿が^^;いつもながらタイミングがバッチリすぎてビックリ。
で、今年は何だか不思議なシンクロをくれる我が家のカレンダーの11月12月の写真がこれ↓
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で、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
なんと、それだけではなく、今日、先日ブログで書いた自分の中が「ない」から「ある」に変わったとたん変化し始めた粉瘤が大爆発しました。。。
粉瘤と向き合って感じたのは、これは過去の記憶と密接に結びついている疾患だってこと。。
「記憶」って、頭だけにあるんじゃなく、頭と心、そして体(細胞)にあるってことをつくづく感じる出来事でした。
このタイミングで…、、びっくりです。これについてはまた書けたら書きます。。

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by atelierkei-0520 | 2018-11-07 23:32 | つぶやき

浄化される魂の記憶:映画「君の名は」(前編)

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アトランティスの最後の瞬間を記憶として持っている人や、それを夢で見る人は結構いると思う。
今日は「エンジェルサポートレッスン」の生徒さんとその話になった。
生徒さんが最近見た夢の話をきくと、この方もその時の記憶を強く持っている人のようで、話の流れから私もたぶんその時期なんだろうなと感じている過去に見た「天変地異」の夢の話を聞いてもらうことになった。

2つの夢の話をすると、その生徒さんが、「keiちゃん…なんかさ、その話聞いたら“君の名は”しか思い浮かばへんねんけど…“君の名は”は見た??」という。

実は私はあんなにみんなが大騒ぎしていて、スピ的にも深いらしいとうわさのこの映画を見ていなかった。
なんでかって聞かれると、ただなんとなくでもあるし、なんとなく日本のアニメ映画は宮崎駿&高畑勲作品しか見ないよって感覚でもあるからかな。「今風のやつはついていけません」みたいなところもある。

「いつか見るだろうな~」とは思いつつ、なんか見なくて、その後忘れていた。
「見てない」というと、その生徒さん、「えええええ!!???何で見てないの??っていうか見てないのになんなんその夢??絶対見て!今日レッスン終わったらすぐ見て~~!!!」と。。

へ??「君の名は」って、確かパラレルワールドみたいな話やんな?違うタイムラインの男女が(ソウルメイトか?)絶対に出会えないのに惹かれる~みたいなやつやろ??

私の「君の名は」の予備知識はこんな感じで、正直生徒さんの反応にびっくり。
でも見てもっとびっくりだった。。

多くの人が「泣いた」というこの映画だけど、私も見て泣いてしまった。
でもただ感動したとか主人公の二人に感情移入したとか、そういうことでもなくて、涙が出たときに感じたのは、「ありがとう」だった。

記憶を書き換えてくれてありがとう。どうしようもなかったあのときの記憶を昇華してくれてありがとう。
そんな「ありがとう」だった。

この映画がこんなにヒットした事情の裏には、たぶん多くの人の中にある「ある記憶」が映画というものによって書き換えられたからだと思う。
それは悲しい記憶、なすすべがなかったという後悔や懺悔の記憶。
自分が持っていた記憶が、なんとなく自分だけが持っていたと思っていた記憶が、実は多くの人の心の中にもあったのかと思うと、しばしびっくりする思いです。。

つづく。

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by atelierkei-0520 | 2018-11-06 22:10 | つぶやき

人の幸せ

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最近しみじみ思う。
人って、大きいことから些細なことまで、自分自身のあらゆる事を本当の意味で自分で決めることが出来ると満足するんじゃないかって。
それが出来ると、自分の人生がとても大切で日々が充実してくるんじゃないかと。
そしてね、それがこの3次元での「幸せ」ってことなのかもしれない。

本当の意味で「自分で決める」って案外出来てないことが多い。
それは自分の心に正直に、常に小さな自分の心のそこにある声に耳を傾けて決断するってことだから。
人は何かを決めるとき、何か人や状況を理由に決めることも多い。
そういう時は、自分自身で決めることを放棄していることがほとんどで、その決定にはたいがい、恐怖や不安があったり、怒りがあったり、または無関心があったりで、その結果に対しては、それが気に喰わなかったときに、どんなにかっこつけていても、心の奥底に強い不満が残る。

だから、私は、最近は自分で何かを決められないときは、「今は決めない」を選択する。
先日も些細なことだけど、スマホの機種変更をどの機種にするか決められなかったとき、今回の機種変更の流れは自分のエネルギーが変わったからだと思っていたので、「決められない」がストレスになりだしたときがあった。
そうなってきたときに、最近はぱったりとなくなっていた、でも昔は時々よく起こっていた「え~、やだな」と感じることが久々に起こった。
そのときに、ふと、「今エネルギーが変わるときで、その流れになっているのに、いつまでもスマホを変えないから、古いタイムラインで起こっていたことが自分の目の前でまた起こっているんだろうか」と思った。
それはまるで「スマホを変えなかったら、あなたは自分が期待する世界にはいけません」といわれているみたいで、一瞬あせった。
でもこれって、まるで宇宙に脅されてるみたいだよね。
でも、宇宙は絶対に脅したりはしない。なぜなら、全てはあるがまま受け入れられるのが宇宙だから。
こういうときは自分の中のどこかに「恐怖」がある。
「恐怖」がどこにあるのかはどうでもいい。でも大切なのは自分には今「恐怖」があるってことをちゃんと知ることだと思う。
で、私はこういう風に自分の中に「恐怖」があるときは「決めない」のだ。

そのかわり、こうも思った。
「沢山の選択肢の中で、決められないって言うのは、それは今は"迷いたい"ってことだ」と。
「そうだ、だから、今はとことん迷おう♪"迷う"を楽しもう♪」と。
だから、弟に聞いたり、カードを引いたり。
そうしたら、めちゃめちゃ楽しくなってきて、ブログの記事にもなっちゃって、「決められない」時間は気がつくと決めるためのちょ~楽しい時間になってしまった。
スマホの機種変更も、12月まで待たなくても5000円くらいを余分に払えば「今」できた。
「今しかないかもよ」って言う波に乗れないかもしれないと不安に思う自分が「5000円くらい払っちゃえ!」と言わなかったわけではなけいけど、もう一人の3次元的に堅実な自分も同時にいて、その私は「いや~…、5000円って馬鹿にできんよ。。せっかくのお得プランなんだから最後までお得は受け取りたいよ」というので、その声の裏に「恐怖」のない後者の声をとった。
で、上には「とにかく私は、ここは堅実に行きたいんだよ。だから後の12月までの調整はそっちでしてね、よろしく~^^」とお願いした。

なんてことない決定なんだけど、私はこういうのが「決める」ってことかなと思っている。
「高い波動の自分だったらどうするか」なんかじゃ決めない。
そうじゃなくて、いろんな自分の声をちゃんと聞いて、その中で、本当に自分がしたいことを選ぶ。
そうするとね、自分が決定した選択の結果がどうであれ、その選択に後悔はしても「不満」は残らない。
ちゃんと受け入れることができるんだ。
でね、これがなんか「自信」になっていく。自分を少しづつ信頼できるようになっていく。
そして、朝起きると、今日生きてるってことがなんとなく嬉しくて、また同じような一日なのに、なんだか幸せなんだ。
たぶん、自分が自分の人生を生きてるってなんとなく感じられているのかもしれない。

人はもしかしたら、「決める」ためにこの世に生まれてくるのかも。
もしかしたら、したいことってそれだけのことなのかもしれない。
そう思うのでした。

今週もお疲れ様でした^^


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by atelierkei-0520 | 2018-11-03 21:18 | つぶやき

「ない」から「ある」に変わるってこんな感じ?!を体験中。

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ちょっと前から、私の内側の「ない」が「ある」に変わった話をかいている。
今までも衝撃的な「気づき」の話は何度も書いてはいたのだけど、今のように自分の中の変化が外に出てくる現象は正直初めてかもしれない。
なんというか、本当に「はあ~、そうやって変わっていくのね…@@」としみじみと今の自分を観察している。
「エネルギーが変わるって、こういうことなんだ」って。

この変化は「オセロ」に例えると説明しやすいかもしれない。
実際のゲームとちがうけど、オセロのこまと盤を思い浮かべてみて欲しい。
盤にはもうあらかじめ全ての升目にこまが隙間なく並べてあって、人によって白黒の数や並びには違いがある。
ここでは例えば「黒」=「ない」、「白」=「ある」
盤の中央には最も大切な「核」となる4つのこまがあって、この部分が私が「自分の核」とか「自分の内側」と言っている部分。
で、その4つのこまの周辺に広がるのは「現実」。
4つのこまの周辺に白黒のこまがどう広がっていようが、それはこの4つのこま「核」の投影。
だから、「内観」とはこの4つのこまを見つめることだ。

でね、この4つのこまがどんな色の配置になっているのかはこれも人それぞれだ。
生まれたときは比較的白が優勢のような気がする。
でも例えば強い「過去世の未浄化な部分」をもって生まれた場合は白1つに黒3個とかかも。
で、人によっては人生で経験する様々な負の学びによって、この核の部分を「黒」にひっくり返してしまうことがあって、意識の目覚めを迎えるタイプの人は、目覚めの前にいったん4つを全て「黒」にひっくり返してしまう。でね自分の中の一つも「ある」がないっていう状態にブチ切れて自己の探求に入る。
私はこのタイプ。
ここから、私は一個一個、「黒」を「白」にひっくり返していく。「内観」によって。
初めて1個「白」にひっくり返ったときというのは目に見えない世界に目覚めたときかな。目が覚める思いで、これからいいことばかり起こるような期待をする。自分のエゴが全部かなうのかのような、そんな期待。
でも実際は「核」の周りに配置されたこまはあんまりひっくり返らなくて、「現実」はあまり変わらない。

それでも信じ続けて「内観」を続けると、ある日2つ目がひっくり返り今度も「分かった!」と思う。
そしてこのときは最初の経験から「これが最後ではない、まだあるはず。そしてそれを続けると必ずうまくいくときが来る」と思い、「内観」を続ける。すると思った通り3つ目の「黒」が「白」にひっくり返る。

このときの衝撃はすごい。そして「ついにやった!!間違っていなかった!!」と思う。
この時これが「特異点(転換点)」だと思う。そして「間違いない」と思う。これからは「変わる」って。
ところが、興奮はすごかったのにも関わらず、全てが分かったかのように感じたにもかかわらず、相変わらず周りの「現実」はそんなに変わらない。ものすごい「気づき」があったのに、それが「全て」だと思ったのに、まだ外は変わらないんだ。
この辺りから、ずっとあったにも関わらず押さえていたイライラや絶望のようなものが表面化してくる。
「やってもやっても終わらない!」と。

でも、それでも自分の中の何かが何かを信じていて、時に天使を罵ったり、ハイヤーセルフを罵倒したりしながらもここまでくると「内観」をどうしても続けてしまうんだ。
宇宙にだまされた気がするのに、宇宙を信じてる。

4つ目の「黒」がひっくり返る直前から、何かが変わりだす。いつも同じだった「現実」が。例えば10年以上同じだったこととか。
この辺りから「変わる」と自分の中が気づきだす。
そして、とうとう4つ目がひっくり返ると、
そこには完全に全てが「ある」状態の自分がいた。
この時初めて前の3つのこまの時にはなかった絶対的な「安心感」というものを体験する。
そしてこう思う。
「大丈夫」って。

私はこの「大丈夫」になったとき、初めてこれから自分が心からやりたいと思ったことは必ず「根付く」と思うようになった。
「~したい」と思ったときにいつも上がってくる「でも」とか「だって」とかそう思いがなくなることもないんだけど、でも上がってきても笑顔で「大丈夫」を選べるようになった。
そうしたらね、まずは小さいところからどんどん変わってくるんです。ほんとうに細かいことなんだけど。
でもそれが「エネルギーが変わったから変わる」ってことがわかって、ほんとうに面白い。

昨日は夜、家で鍋を突っついていたら、突然電話がかかってきて「何事?!」とおもったら、なんと忘年会の招待の電話だった。
15年くらいのお付き合いのあるところが主催する忘年会に、初めて招待された(忘年会やってるってことさえも知らなかったよ^^;)。
何処かの有名なすごい忘年会ってわけでは全くないんだけど、個人的に大切にしているところだったので「ファミリーとして参加していただけないでしょうか」と言われ、なんかじーーんとしてしまった。
昨日電話が来たとき、たまたま付けていたラジオからクラッシクが流れていて、なんと特集が「ミレニアムコンサートとは」というものだった。名物の手拍子がなるオーケストラバックに「忘年会」のお誘い。しかも、一昨日はマヤ暦の元旦だったらしい。。
天使たちの演出も手が込んでます。

「新年」
何かが明けた気がしています。
そして振り返って感じることは、とにかく、「辛抱」やなと思いました^^;
(あ、でも感情は外に出しますよ^^そういう意味の辛抱じゃないです。)

皆様、今週もお疲れ様でした♪



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by atelierkei-0520 | 2018-10-28 23:09 | つぶやき

人体のふしぎ

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前回まで書いていた「願望実現のほんとのとこ」はこれ以上は堂々巡りになりそうなので、この辺で話題を変えていこうかなと思う。
ということで、今日は今私の身に起こってる不思議を報告。

私はスピリチュアルを学んでいく中で、ある時期から「体」に興味を持つようになった。
なぜかというと、意識が体に与える影響がすごすぎるということに気がついたから。
ヒーリングをしていると、昨日今日動いた骨、筋、筋肉などは比較的自分の意識で回復させることができるようになって、個展期間中の腱鞘炎はこれで乗り切った。
意識を集中させると、体が自分で直していく感覚がわかりその後の変化は本当にミラクルで面白い。
「意識が体に及ぼす影響」の面白さに目覚めたのだけど、これは別の見方もできて、体の症状と心もまた密接に結びついていて、そうやって改善させることができる一方で、どうアプローチしても心の状態が変わらない限り変化を起こすことができないことも多々あるということもわかってきた。
そして最近、この心の状態が体の症状にすごい影響をあたえるってことを身をもって体験している。

みなさま、この投稿を覚えて下さっているだろうか↓


この時に書いた粉瘤が、どんなにヒーリングでアプローチしても全く変化のなかったこの粉瘤が、私が自分の中のエネルギーが劇的に変わったと感じたブログ夏休みを終えて、個展が終わった次の日から治る方向になんと変化しだした。
自分の中が「ある」状態になった、それを感じたとたん、私の体の免疫システムが、粉瘤を異物とみなして攻撃しだした!
ほぼ1か月観察しているのだけど、その変化や粉瘤というものが持っている構造や心理的な要素そんなものが感じられて、なんかものすごくびっくりしている。
今はまだ完治まではいっていないけど、かなり小さくなってきていて、この流れは間違いないと感じている。
アイスランドに行く前に、ハイヤ―セルフに粉瘤についてきくと「粉瘤はね、自分で治すの!!!」と強く言われ、ふざけんな!ヒーリングしても治らないんだよ!と反発して病院にいこうと画策するもなぜかいつも流れて、いよいよ個展も終わり季節もよくなったので、こんどこそ病院に行くぞ!と思っていた矢先のできごとだった。
ほんとうに不思議だと思う一方で体ってすごいなとも思う。

上の記事で書いた「冷え」もろもろの体質改善も続けている。
また次回。

追記:タブレット、初期化するも、全く改善されずです(*_*)
いろいろ調べると、もうダメみたいです。カードを引くと「変容」が出まくる!!変わりどきかもしれません。



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by atelierkei-0520 | 2018-10-25 23:08 | つぶやき

また「1」のぞろ目がやってきた

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金曜日、「エンジェルサポートレッスン」の生徒さんから「すごい1のゾロ目が!」とメールがあり、見てみるとびっくり、なんと8個も「1」が並んでいました。
「1」のゾロ目はウェイクアップコールとも言われ、何かの始まりを告げる意味や、またその数字自体がコードとなり見た人の何かを起動させると言われています。
2016年のある日に同じぐらいの「1」のゾロ目を見た私は生徒さんのその「1」はなんだかその人のスタートを予感させるもので、とってもワクワクしました。

で、その数時間後、エンジェルナンバーのことは全く知らない母からこんなメールが↓
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で、「44分」のバスに乗り「4丁目」で降りた母が、頼んでもないのに買ってきて代金を請求された回数券(どうせ買うのでいいのですが)の使用期限がこちら↓
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うう=ん。。
生徒さんの8個には及びませんが、このタイミングってどういうこと?と思っていたら、自分では全く意図していなかったんですが、昨日私は一つのハードルを超え、なんとなく新しく何かが始まった気がしています。
それは今まで「スピ」の話を深くしたことのなかった大学時代の友人にオラクルカードを見せるというものでした。
私としては今年のジュエリーの個展でもまた例年通り力強く応援してくれた友人に何かお礼がしたくて、何かプチプレゼントなんかを渡すのが「いつもの私」だったはずなのに、なんとなく、「いつも物じゃあな」と思い「まあ、軽い感じで、ご飯の後いい場所があったらオラクルカードで遊ぶのも楽しいかもね」くらいの感じだったのですが、場所もいいところがあり、しかも入ったカフェはガラガラで。
私はオラクルカードが大好きなので、今までこれに関しては「緊張」なんてしたことがないのに、いざ始めてみると、今回はびっくりするぐらいのちょっと「恐怖」といってもいいくらいの緊張が自分の中で膨らんでいったのには正直驚きました。
「スピリチュアル」というものとはまだ縁のない友人にどうやってその世界観や考え方を伝えたらいいのか、どうやったら伝わるのか、そういったことが全くわからなかったのです。
考えてみれば、これまではブログを読んでくれている人=スピリチュアルを知っている人と主にやりとりしていたので、この手の戸惑いはほぼ皆無でした。

「今までで、一番、伝わらなかったかも知れん、、、、T。T」
なんて思いながらも、このタイミングで友人達に自分が今身を置いている考え方を聞いてもらうことになったということの方にものすごい意味があったようにも感じています。
私の経験では、一つ新しい次元に身を投じる時には必ず「恐怖」を経験すると思っていて、そういう意味では昨日のあの時間には小さな「恐怖」がありました。
「やめときゃよかったかな」的な後悔も。
そして、最近の確信として、自分が何となくやってしまうことについては、「間違い」はないと思っていることもあり、「1」のゾロ目の合図もあったので、これは一つの通らねばならないハードルだったと感じています。

今日はお天気も良く、まったりしてしまった。
そして、愛用のポンコツタブレットのポンコツ度合いが激しくなってきていて、何故かキーボードと連携してくれないという不具合が起こっています。

これはスマホとタブレットのキーボードを連結させて打っていますが、なんか画面も慣れなくて変な感じです。
スマホとはちゃんと連携してくれるのに、なんでやねん、、、TT
こういうのが一番お手上げです。。

お疲れ様でした!
ゆっくり休んで、また明日出直します!

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by atelierkei-0520 | 2018-10-14 19:15 | つぶやき

浄化される魂の記憶 映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」

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個展準備期間中、テレビで放送されていたけど、泣く泣く諦めた映画をやっと今日見ることができました。
実話を基に制作された映画でなかなか良かったです。
ユダヤ人の家族の悲しい歴史がテーマですが、その根幹に流れているのは、やはり「戦争」というものの中、翻弄されていく「人」が体験するたくさんの記憶や思いを「知って欲しい」というものでした。

私はこういうヨーロッパの美しいセンスが好きで、昔から「名探偵ポワロ」なんかを楽しみに見ていました。
人間の業の方はともかく、洗練された手の込んだ美しさに魅了されるのです。
でも数年前レオナルド・ディカプリオ主演の「レヴェナント・蘇えりし者」を見た時に、その美しさの裏にはものすごくえげつなく過酷で信じられないほど残酷で悲しい現実がその美しさを支えているのを「ヴィジュアル」として見せられた時、もう「ポワロ」の美しい画像を素直に見れなくなりました。
だから、この物語が切り取る登場人物たちの姿が「可愛そう」という一言だけで表現できるものではないという見方もあるのはなんとなく理解も出来ます。
でも、それでも最近は人が体験する一瞬一瞬の思いに対しては、それがどんな人物であろうと「本物」であると思うのと、決して粗末に扱えない大切な記憶だと思うのです。

「知って欲しい」
魂が放つこの声によって、私たちは物語としてそれを知る。
私たちがそれを「知る」ことによって、解放される目には見えない「人」の思いがあるようです。
映画を見るのも浄化の一端なのだなとなんとなく感じたのでした。

とても画面がきれいな映画でした。
よかったら。

皆さま、今週もお疲れさまでした^^

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by atelierkei-0520 | 2018-10-06 21:43 | つぶやき