アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

keiatelier.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ホ・オポノポ「12のステップ」6日目突入。。

f0362457_21223446.jpg
今日で「ホ・オポノホノ」「12のステップ」は6日目になりました。
いつまで続けるのか、この話題。。
でも、今日はまた大きな発見があり、自分の中で「できた!!」となりました。

「12のステップ」は7日続けると「12のプロセス」となるそうで、それが何を意味するのか、ちょっと勉強不足でわかっていません。
でも、「ってことは7日は続けてみよう」となり、今日を迎え、そして「できた!!」となったのです。
何ができたかと言うと、うーん「自分流のホ・オポノポノの理解」でしょうか。
ここに到達したことにより、この考え方を活用できるようになったという感覚でしょうか。

やってみてわかったことは、「ホ・オポノポノ」を理解するためには、段階・プロセスがあり、それにちょうど毎日やって7日くらいはいるんだってことです。

そして、一度その段階・プロセスを踏んで、「ホ・オポノポノ」を理解すると、そのプログラムが自分の中に完全にダウンロードされ、その後は「コード」を入れるだけで作動するようになるのだと感じています。
そのコードが「4つの言葉」や「ブルーソーラーウォーター」などなのだと思います。

つまりは、「4つの言葉」が真の威力を発揮するのは、プログラムをダウンロードしている場合なんですね。
「毒だし」ってことだけで見れば、とにかく感じていることを出していって、「4つの言葉」でクリーニングしていくのは一つの方法として有効です。エネルギーが落ち着きますから。
でもたぶん、「ホ・オポノポノ」の新のプロセスが作動するのは、プログラムがダウンロードされている場合で、醍醐味はこちらのほうだなと思います。

今日気がついたのは、「ホ・オポノポノ」の一連のエネルギーの流れは、脳をシータ波にして行う「シータヒーリング」と全く同じだってことでした。
これにはびっくり。
エネルギーの流れが、全く同じなのです。
でも、シータヒーリングは、なんと言うか、やり方、考え方の点でちょっとだけ弱点があって、「エゴが反映しやすい」のです。
シータヒーリングも教え自体は完全にエゴを手放して創造主にゆだねられるかがキーポイントなのですが、やり方のプロセスや考え方がエゴに捕まえられやすいのですね。

それに比べると、「ホ・オポノポノ」は完全にベクトルが自分に向いているのと、「0」や「ワンネス」の考え方を上手に織り込んでいるので、「エゴ」が反映しにくい構造になっています。
だから、ようするに「やりやすい」のです。
理解すれば。

少し前に「体のこと」についての気づきを書き始めていたのに、とまってしまっていましたが、今は「ホ・オポノポノ」を学びまた新たな理解に進んでいます。
「元に戻す」こと。これがキーだと書きましたが、「ホ・オポノポノ」も目指すところは「元に戻す」ことなのです。それが「0」。

「100%自分の責任」を受け入れて祈ると、顔面神経痛でご飯がスムーズに食べれなかった父が、ご飯を食べれるようになりました。
そして、「左ひじが痛い」という母のひじも、自分の中の記憶をクリアにしてから、見るとどこが原因かわかってしまい、そこを揉んだら改善してしまいました。
そしてまた今日、母が腰が痛いと言うので、「シータ波」のヒーリングと「ホ・ポノポノ」を織り交ぜたヒーリングをすると、やっぱり改善してしまいました。
体の反応は、早いです。

自分の現実の問題に関しては、もう根っこがものすごく深いようで、どんどん出てきて現在クリーニング真っ最中^^;
こちらはちょっとまだ報告できることはありませんが、とにかくもっとやってみたいと思っています。

大分前に見たエドガー・ケイシーの映画の中で衝撃を受けた言葉のことを書いたことがあります。

人が更なる進化を遂げるために必要なことが2つある。
一つは、これははじめはとても恐いことだと思うけど、自分の様々なことを信じて「流れ」にゆだねられるかどうか。
そうして、もう一つは、これは一つ目が出来なければ絶対に出来ないことだけど、「神を○○できるかどうか」。

ってやつですが、この「流れにゆだねることができる」状態が「0」なんですね。
確かに、自分の顕在意識だけでそこを「ゆだねる」と決意して実際にゆだねるのは「怖いな」って思ったけど、「ホ・ポノポノ」をやることは普通にそこに戻っていく流れになるので、「怖い」って感覚もなく、それができそうです。

どんな風に転がるのかわかんないけど、やっていこうと思います。

上の写真は、金鳥山の絶壁ゼロ磁場で叫ぶ私です。
かなりへっぴり腰。。ガイドさんはさらに2段上の、「絶対無理!!」ってとこに立って「愛」と「感謝」を叫んでた。
私もここまで着たからには、「やらん」選択肢はないと思い、「はずかしい」の先に行くために、ちょっとだけ安全も確保しつつ、叫びました。「愛」と「感謝」。

このときから、この「ホ・オポノポノ」の流れは始まっていたのかもしれません。。

by atelierkei-0520 | 2019-08-13 22:39 | ◇つぶやき