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自分の話:過去世編:アイスランドの記憶⑦

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神戸の友人の家で起こったことは、当初考えていたような何かを浄化したというものではなかったと思う。
(ただこの考えはあくまでも「私」という人間が主人公である「私の現実」でのこと。だから別の角度から見ればこれは浄化ともいえるのかもしれない。この世はパラレルだから。)

あの時何が起こったのか。
私は「パンドラの箱を開けた」のだと思っている。
中に入っていたのは長い間私の記憶の奥深くに封印されていた「オリオン」のエネルギーの影響を受けた記憶だ。

旅行でアイスランドの地に入った時、私は自分が置き去りにした魂たちを引き受けた。
「どこで?」と聞かれたら、思いつくところは一つしかない。私の勘違いで友人二人を全く目的地ではない小さな町に連れて行ってしまったことがあった。
本当になんであんな何にもない所に、友人二人に恐怖のS字カーブを通らせてまで行っちゃったのか、謎だったけど、私たちが町の中心に出たとき、目の前にあった教会の鐘が物凄いタイミングで高々と「カーン・カーン・カーン」となった時に私は「あ~これは偶然じゃない」と思った。三次元の私にはよくわからんけど、今日はここに来る必要があったんだって。
まさか自分のこんな個人的記憶のためだったなんて。でもここでも神戸の友人とは別の二人にサポートされてたんだな。。

そして神戸の日の前日に「氷の洞窟の動画」というアクセスキーによって記憶の封印を解き、次の日、エネルギー上では大天使のサポートを受けつつ現実では二人のヒーラーの友人に両側で支えられ、私はついに箱を開け、出てきたかつての記憶と対峙することになった。

「自分が閉じ込めた魂たちの解放」
かつて同じことを私はアイスランドの未熟ではあるが純粋なシャーマン見習いとしてやろうとしたが、彼女にはできなかった。
なぜなら、彼女には「魂の解放」の本当のところが理解できていなかったから。「魂の解放」とは、決して呪術的なことのみで行えるようなことではなかった。
その魂たちの思いに寄り添うこと。その思いを自分の中にも「知っている」と持てた時、初めて魂に寄り添うことができ、魂は癒されていく。
そしてその癒しは決して一方的なことではなく、相手が癒されるのと同時に自分の中の同じものが癒される。お互いに「わかるよ、その気持ち」となった時初めて起こること、それが「魂の解放」というものだったのだ。

アイスランドの地に置き去りにされた魂は、私が成長するのをその地で待っていた。
私が彼らの気持ちに寄り添えるようになるまでずっと。

私が自分の部屋で、全てを思い出した時、初めてあの後ろ向きに立っていた赤毛の女性が体ごと振り返った。
振り返った彼女は笑顔だった。そして、彼女の分厚いスカートの陰には、双子の男の子達がいて、年齢の割に背の高いその子たちが嬉しそうに走り出てきた。
彼女の後ろには形にならない魂の美しい光がいくつも見えた。

「わかって欲しかった。
私たちの中には納得したものもいたし、そうでなかったものもいた。
私たちはただ、大切なものとの時間を慈しみながら生きたかった。
人として幸せに暮らしたかった。
それをあなたに知って欲しかった。」

彼女からそんなメッセージが届いた。

私はいつの間にかこう答えていた。
「やっと、人になれたんです。」

私にずっと何かを訴えかけていた彼女の目はとても優しくなっていた。穏やかで何かを納得して見届けたような、そんな表情にも見てとれた。
彼女の向こう側に広がる分厚い氷の壁が、いつの間にか分厚く巨大いな灰色の雲の塊になっていて、その真ん中は縦にぱっくりと割れ、向こう側から光が漏れていて、雲の割れ目を優しく照らしていた。「天国の光だ」と思った。
天界への道が開かれた。

「今晩、私たちはあなたから離れる」そういって、その夜、彼女たちは離れていった。外では浄化の雨が降っていた。
その夜、横になると、熱を出し始めてからずっと頭の中で鳴っていた、あの「ノンノンノーンノ」というフレーズが鳴りやんだ。そして初めてあのアイスランドのアパートで聞いていた別の曲に切り替わった。
私は笑ってしまった。
だっていつも答えは頭の中で鳴っていたのに気づかないなんて。
「ノンノンノーンノ」って「ちがうちがうちがうーよ」みたいなかんじやんか。

「私は閉じ込められたのか?」「ちがうちがうちがうーよ」
「赤毛の人は私の前世?」「ちがうちがうちがうーよ」
ずっと「ちがうよ」って頭の中でなっていたんだ。

「赤毛の女性」
この人は私にとって特別な存在だったのだと今は感じている。
なんというか、「他人」という感じではないのだ。それはもう一人の「自分」のような感じだ。
でも前世でもないし、いわゆるそっくりさん的な感じでは全くなく、その正反対。
私の持っていないものを全て持っている私とは真反対のもう一人の「私」。
魂が丸い球体で、その中にたくさんのあらゆる美しい要素が入っているとして、その要素たちは一つとして同じものはないとする。
彼女と私は、その魂という球体からそれぞれ要素を選び、こちらに出てきてそれぞれ別の「人」になった。
だから彼女は私が持っていない要素を全て持っている私にとって特別な存在。私が追い求めるものを全て持っている人。

だから私は子供のころから彼女のようなイメージを持つ人を、あこがれの人のように感じてしまうところがあったのかもしれない。
アイスランドに行く前に見た映画「ホビット」で最も印象に残った登場人物も「赤毛のエルフの女性」だった。
背が高くて背筋をピンとした姿は凛としていて強くて美しかった。顔は「美人」ではないのかもしれないけど、生きるエネルギーと真っすぐな思考が目をキラキラさせていた。
今思うとあのキャラクターのイメージは彼女によく似ている。
自分の考えをしっかり持っている女性。そのしっかりした考えや自信が現れている外見の美しさ。
圧倒的な「陽」の力。どんな人にも愛される「陽」の魅力。
そういう人を見るといつも「こんなふうだったらよかったのに」と思った。何度も何度もそういう人を見るたびにそう思った。そしてふと自分を見ると自分はどうしても地味でジメジメした感じに思えた。とても弱く頼りなく思えた。だから強くなりたかった。憧れる彼女達みたいに。

でも結局は「陰」と「陽」は同じことだったのだ。それは同じものの違う側面だっただけ。
目の前のあこがれを見るのではなく、自分の中を見ればそのことはちゃんと分かったのに。
今やっとそこに気が付けるようになった。自分のことをちゃんと正面から見れるようになったのだ。

私は自分の半身である彼女を洞窟に隠して、隠したものが何なのかを探す旅に出た。そして彼女はその私の旅を隠されることで支えた。
このやり取りは「自分同士」だったからこそできた。そんな気がするのです。

私はアイスランドに旅行に行く前、映画「ホビット」を見た後、この旅行は「オリオンの解放」に関わるものなのかもしれないと思った。
映画に夢中になり、原作者を調べていたりしていた時、たまたまテレビ画面にプラネタリウムの天井が映ったことがあった。
空にきらめく星々に、そのままではどれが何の星座かわからないからと星の上に星座の絵が重ねられた。オリオン座にも絵が重ねられたのだが、その絵は映画ホビットで私が感情移入した、まさに「ドワーフ」そっくりだった。
「オリオン」と「ドワーフ」そして「アイスランド」
不思議なシンクロだった。
私のアイスランドでのこととオリオンを関係づけることは、さすがにこじつけかなと思ってこの話のスタート(こちら)ではここは書かなかったのに、節目の「」を投稿した次の日に、オリオンが去っていくことになるなんて夢にも思わなかった。

映画「ホビット」の3部作で、号泣してしまったところがある。胸の奥を掴まれえぐられるようで、涙が止まらなかった。
それは「第2部」のエンディングの曲だった。エンディングが流れ出すと目が離せなくなり、歌詞にくぎ付けになった。
歌詞がとても悲しかった。音も、とてもとても切なかった。



この歌は、歌詞の「炎」の部分を「雪」や「氷」に変えると、そのまま私と私が閉じ込めたアイスランドの地の魂の歌になるような気がするし、「炎」のままだと、全ての人間の負の歴史を歌っているようにも感じる。

「どうか私のことを覚えていてほしい」
どんな命もいつかは終わりを迎え忘れられていく。でも確かにそこにいたんだという記憶のバトンをどんな形であれ誰かに渡すことができた時、魂は安らぐように感じている。

「幸せとは何?」「愛とは何?」
それを知るために「オリオン」のエネルギーは様々なものをもたらした。
「オリオン」のエネルギーの元、散っていった魂たちも、今度こそ安らぐ時が来ていると思っている。みんなの記憶にちゃんとその足跡を残して。
たくさんの記憶に感謝して、この思いを終わりにしたいと思う。

おわり。


追記:
長い間お付き合いありがとうございました。
私の中で、これを書くことがとても重要でした。夏至の前に終えることができて、良かったです。

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by atelierkei-0520 | 2018-06-19 23:33 | 自分の話