じぶんを知ろう♪アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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2018年節目の時期に思う事

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明日は新月、そしてもうすぐ夏至がやってきます。
一年の丁度折り返し地点だと考えると、それだけでちょっと特別ですが、
今回の2018年のこの時期は、またいつにもまして特別な感じがしています。
先週、6月8日に投稿した「自分の話:過去世編:アイスランドの記憶⑤」は読者さんからするとちょっとまだ中途半端感があると思いますので、これから総括を書いていきたいと思っているのですが、私の中ではある意味一つの区切りでした。
こちら↓

そんな区切りを終えた私に、次の日、思わぬところで思わぬメッセージをもらうこととなりました。
それは過去、何世代にも及んで、辛く、厳しく、悲しく、時には残虐に、冷酷に、私に「生きる」ということを問い続けた私の中の「オリオン」のエネルギーの終了を告げるものでした。
このエネルギーの下、私は時に被害者として、時に加害者として、また両方の立場でその時その時の人生を生き、そのおかげで、今があります。私の中のオリオンのエネルギーは全てを一緒に体験し、全てを見届けたと言って消えていきました。
とても不思議な感覚でした。
過去世も含めた私の心は、心の底からこのエネルギーからの解放を願っていたと思います。
でも終わったと言われた時に感じたのは「解放される」とか「清々しい感覚」とか、そういったものではありませんでした。ただただ「静か」でした。去っていくオリオンのエネルギーも、私自身も。

スピリチュアルの道を探求し始めた3年前に期待した、スピを極めることで得られるかもしれない「華々しい成果」というものを、私は未だ持ってはいません。
だから外側から見れば、私は3年前とさほど変わっていないか、せいぜい3年分年を取ったくらいの感じでしょう。
でも自分の中が3年前、いえ、つい1年前を振り返っても、同じ自分だとは思えないくらいの差を感じます。

どう違うのかと聞かれると、とにかく「静か」なのです。そして限りなく「今」に近い所に自分がいます。
もちろん、「いつも」というわけにはいきませんが、段々とこの状態の自分の方が確実に長くなっています。
初めて「自分が行く先」がこの「静けさ」の中だということに気が付いたとき、正直ものすごく「期待外れ」でがっかりしました。でも、そういう感覚が実際に自分の中に現れ始めると、その感覚にとにかく驚かされます。
自分の中に「核」があるとはこういう感覚なのかなとも思います。

2015年の5月に私は見えない世界に開眼しました。
振り返るとこの3年間に私がしたことは、ただただ「内観」と言われる自分との対話であったと思います。
もちろん、私はこの年に、自分の人生の中で「見えない世界に意識を向ける」「スピリチュアルに目覚める」という道を選びましたから、それによってこのブログで記録しているような様々な「不思議」を体験しています。でもそれらの不思議体験も結局は全て「内観」なのです。
ですから私はスピリチュアルというものは「内観」するための一つのツールであるとも思っています。
そしてそれは「それを体験したい」と思う人にはいつでも開かれている道でもあると思っていますし、こういった不思議を体験する道を選ばなくても、今の人生の日常の些細なことや人生の重要なポイントを通して「内観」を続けることで自分自身の中に「静けさ」を持つことは可能です。
すべては「好み」何だと思います。どんな体験を人生の中でしたいのか、それだけだと思います。
やることは常に一つ、「自分は今何を感じているのか」そこに耳を澄ますだけ。

「内観」を繰り返していくとその過程でどうなっていくのか。
これはあくまでも私の体験ですが、どうも、「左脳的思考」から徐々に「右脳的思考」に移ってくるように感じています。
自分のブログを振り返ると、初期のころはとても「左脳的」にブログを書いているように感じています。だから、この時大切だったのは、あくまで「自分の体験で得れたものの中で」ではあるのですが、「正しいことか」でした。
でも最近はなんだかとても感覚的で、その感覚を何とか伝わるようにと左脳を使っています。
そうなってくると、「正しい」とか「正しくない」とかではなく、ただ自分がそう感じたんだってだけの話になります。
なので、最近のブログでは、勢いで書いてしまっているよくわからないのもあるのかな~なんて思ったりします。
基本はそれでもいいかなと思っていますが、先日ちょっと申し訳なかったなと思ったことがありました。
あるご質問に対して、自分でも気が付かないくらい「感覚的」にお応えしてしまい、ちょっと相手の方を戸惑わせてしまったという経験でした。
その時、改めて「自分」というところから出て自分が書いた文章を読み、「あ!こりゃいかんかった^^;」と反省しました。そして改めて久々に「左脳的」に書こうと思ったら、これが難しくって!
でも、時々こういう客観視は大切かもなとも思い、その方に感謝することになりました。

それは「心の葛藤」から抜け出すためには「内観」が大切だということを説明しようとしたものですが、こういう書き方って、本当に久々だ。。と思って、ちょっとブログにも載せてみることにしました。
こちら↓

「願いがどうしても叶わない」とか「幸せになりたいのになれない」という現象は、顕在意識と潜在意識のずれから生じます。
自分の深い所で感じている感情や感覚、やりたいこと、体験したいこと、そういったことと表面の感情である顕在意識の感情や感覚、やりたいこと、体験したいことがずれている時、人は葛藤します。とても苦しくなります。
ですから、まずはこのずれを少しずつ小さくしていくことが求められるのです。
ズレを小さくするためにやることは大きく2つあります。
まずは「内観」といわれる自分自身との対話です。
自分自身と徹底的に会話してみることです。自分が感じている深い所の声を拾いそこを認識することです。
例えば鏡を用意してそこに映る自分自身に質問を繰り返していくというのも一つです。
自分の目を見ながら、思いつく様々な質問をします。そして自分の中から上がってくる声に耳を澄ますのです。
慣れてきたら、鏡なんか使わずに、普段何かを強く感じた時に「どうしてそんなに悲しいの?」とか「なんでそんなに怒るの?」とか、ちょっと自分に聞いてみることもできると思います。
そうやって自分の心の声を認識できてくると、段々とズレが小さくなっていきます。
もう一つは、湧き上がってくる感情をすべて出すことです。「毒出し」という表現もできます。
私たちは、大人として、常識ある人間として、いつも何かしら我慢しています。
でもこの押し込めた感情が、自分の潜在意識の声の上に乗っかってしまい、その声を聞こえにくくすることがあります。
ですから、感情は出し切る必要があるのです。
例えば誰にも邪魔されない時間を一日の中に少しでも作り、その時に今日一日感じた感情を思いっきり出して感じてみるというやり方もあります。
誰もいない部屋で、思いっきり泣いてみるとか腹が立っていたのなら思いっきりその怒りを表現してみるなどです。そしてその時大切なのはそうやって感情を出そうとする自分をちゃんと受け止めてあげる、認めてあげることになります。
この二つが潜在意識と折り合っていく、仲良くなるために必要なことで、これができるようになると、潜在意識は龍のように人を望むところに運んでくれるようになります。
潜在意識の中に含まれる顕在意識が認識できないものは「考え方」であったり「提案」であったり「感情」であったりいろいろです。潜在意識が提示するものはその人にとってかけがえのないものであり、決して無視できないものです。
そして大切なことがもう一つあります。
それが、「時々やすむこと」です。
その間だけは「悩みを一旦保留にする」のです。
その時はちょっと悩みは置いておいて、自分の為に自分の時間を使ったり、好きなことを思いっきりやったり、スポーツで汗を流して頭を空っぽにしたりします。
ようは顕在意識“脳”のほうを少し休ませるのです。
「内観」すること(潜在意識の思いを聞く)
「毒出し」すること(潜在意識にため込んだ感情を吐き出す)
そして「時々やすむこと」(顕在意識“脳”を休ませる)
この3つをサイクルとして何度も繰り返す、これが顕在意識と潜在意識のズレを小さくしていく効果的な方法です。

「え!?これの程度で左脳をフル活用したの??」と突っ込まれそうですが、、そこはご容赦ください。。
まあ、こういったものは、もっといい本が山ほど巷に出ているんですが、あくまでも私の経験からはもうこれしかない!と思っています。
潜在意識と顕在意識の「ズレ」を感じている人は夏至までの準備に使って頂いてもいいかなとも思いました。
もちろん、良かったら、です^^
今日も若干?右脳よりのブログです。
長くなりました、読んでくださってありがとうございます☆



by atelierkei-0520 | 2018-06-13 21:36 | ◇つぶやき