人気ブログランキング | 話題のタグを見る

じぶんを知ろう♪アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

keiatelier.exblog.jp
ブログトップ

高熱体験で得たもの①食の感覚

高熱体験で得たもの①食の感覚_f0362457_18080130.jpg
やっと平熱に戻りました^^
昨日までは熱っぽさが無くならず、どこか幽霊みたいでしたが、今日は動きには違和感が無くなりました。

前回の投稿で書いた通り、今回の旅行とこの高熱体験は深いつながりがあって、スピリチュアルなその話はまたおいおい書いていくとして、今日はこの間体験した「感覚」について書いてみたいと思います。

今回の高熱体験は、過去には全く気が付かなかったいろんな気づきを私に与えてくれました。
ちょっと前にも書きましたが、最近の自分のテーマに「体と向き合う」ということがあり、自分の冷える体をどうにかしなくてはと思っていました。
で、もちろん世の中には健康に関する専門家が山といて、その辺りに対して意見するとかそういう事ではなく、この高熱体験の中で私が図らずも体験し「え!」とか「へー」とかそういう風に感じた体験談ををちょっとランダムにここに記録しておこうと思いました。
私は今回初めて自分の体と真剣にコミュニケーションをとった気がしています。
というかやっと「体」の声をきけるようになってきたのかもしれないというか。
今後の自分の体との向き合い方のヒントになるかもしれないと思っています。
まとめる書き方にはなりませんが、ランダムに紹介したいと思います。

まず、「食べ物のもつエネルギー」についての気づき。

よく美味しいものを食べに行ったときの感想として「体が喜んでるね♪」という表現があります。
それから最近いろいろ出てくる「エネルギーの高い食べ物」とか「エネルギーの低い食べ物」という表現。
でも、正直この「体が喜ぶ」や「食べ物のエネルギーの高い低い」ってことが実際どんな感覚なのか、私は深く考えたことがありませんでした。
「体が喜ぶ」という表現については、ただ「美味しかった」という表現のちょっとさらに上の表現のような「good」が「very good」に格上げされたくらいの感じでしかとらえていませんでした。
「食べ物のエネルギーの高い低い」に関しても、「要するに美味しいか美味しくないか」でしょ?くらいの感じです。
ところが、今回はまさにその「体が喜ぶ」ということや「食べ物のエネルギー」を感じるとかそういったことが肌で感じることが出来て、自分なりの「体が喜ぶ」とは結局どういうこと?という基準みたいなものが出来た気がしています。

高熱が出ると、皆さんも経験があると思いますが、ものの味が全くしなくなります。私ももちろん今回もそうでした。
ところが、この間口にしたものの中からいくつかには、ものすごく心の底から「美味しい」と感じその後「あ~、、ありがたい、、」となったものがあります。
それが「重湯」と「出汁」とその出汁で煮た「根菜類」でした。「水」もそうですね。
あ、それから忘れてはいけないのが「良いお塩」です。
これらを食べた時だけ、お腹の下の丹田がホカホカしてきて、体が心から喜んでくれたのを感じました。
そしてその体の喜びが脳で感じられた時に出る言葉、それが「ありがたい」という表現になるのではと思ったのです。
つまり「美味しい」の後に心から「あ~~~、、ありがたい、、、」となった時「体が喜んでいる」!と私は思いました。

私たちが普段食べて何気なく感じているものは「美味しい」という部分だと思います。
「美味しい」という部分は「ありがたい」の上に乗っていて、ものによっては「美味しい」の下に「ありがたい」がないものもあります。
この「ありがたい」と体が感じる食べ物が「高いエネルギー」を持った食べ物だと感じました。
今回口にしたものの中には
①「美味しい」「ありがたい」両方あるもの。
②「美味しい」だけはなんとなくあるもの。
③「完全に体が拒否するもの・そこまではいかないけどおいしいもありがたいもないもの」
の3つに分けられました。
この分け方は、口にするものはいろんな要素の複合体なので、どこをどう組み合わせるかによっても大きく変わるものです。また体調によって感じ方も変わります。
だから、この素材が良くてこれはダメとかそういう事ではなく、口にしたものから自分の体がどんなエネルギーを受け取っているのかということが、なんとなくイメージできるようになったということです。

ちょっと上の分け方で今回私が口にしたものを書いてみます。
例えば、①だと、先ほども書きましたがおかゆを作ってできた「重湯」です。お米の方ではなく、この重湯の方に本当にしみじみと「ありがたい」を感じました。
この重湯には「良いお塩」を入れていました。また今の私には水分が必要で、お湯に溶けだしたお米のエネルギーが必要だったのだと思います。米粒の方にはそれほど「ありがたい」を感じませんでした。抜け殻のような感じですかすかした感じがしました。お腹に何か入れておくためには必要でしたが。
それから、母が私を気遣って作ってくれたおでんの「大根」と「ごぼう」とその「お出汁」。
このお出汁と特に大根が今回の「THE BEST!!」の「美味しい」と「ありがたい」となりました。
不思議なんですが同じ出汁の中で煮込んであるのに、人参とゆで卵も食べましたが、これはそこそこ②どまり。
「お出汁」にはちゃんとコブが使われていました。またその他食べなかった練り物や油揚げなんかの素材や調味料のエネルギーも溶けだしていたのと、母の私への「思い」のエネルギーも大きかったように感じます。
あまりのおいしさに、二日後、自分でコブを浸したお水でただ大根と人参を煮て少しお醤油を足したものを食べてみました。普段だったらとても足りない味だとは思うのですが、
おでんの時ほどの「美味しい」はないものの、この時も「あ~~、、ありがたい、、」そしてそれを感じたのはやはり大根とお出汁で、にんじんはイマイチでした。
また、イモ類、ジャガイモ、さつまいもなんかは、体が拒否とまではいきませんが、まったく美味しく感じないのが不思議でした。
後日似たような感じでお味噌汁を飲みましたが、「ありがたい」は感じませんでした。出汁には簡単な粉末出汁が使われていました。

②のタイプにはフルーツが挙げられました。
家でよく食べるオーストラリア産の「シードレス」という皮ごと食べれるブドウと八朔・夏ミカンなどの柑橘系。
「シードレス」は前回高熱騒ぎを起こした(2014年5月)では私の命を繋いでくれたんじゃないかってくらいお世話になっていたので(この時は今回の比じゃないくらいひどくこのブドウとおかゆでなんとかしのぎました。)今回再びを期待して「買ってきてTT」と通常よりも多めに買ってきてもらったもので、食べる前まで「あ~~早くブドウが食べたい食べたい」と思って飛びついた割には「あれ?」という感じでそこに「ありがたい」はありませんでした。
柑橘系も悪くないけどくらいの感じ。バナナはダメでした。
バナナも芋類も水分量が少なかったからかもしれません。
この辺りの素材の違いは全て普通にスーパーで売っているものの中での話なので、もしかしたら生産者さんが違えば格段と違ってくるのかもしれません。

で、③ですがこれは「油」でした。
パンが大好きな家なので「トーストにバターを薄く塗ったのなら食べれる?」と試してみましたが、これがもう全くダメでした。
パンは「天然酵母」をうたい文句にしたパン屋さんのもので決して大量生産のものではありません。いつもならバターをたっぷり塗ってわしわし食べるものです。バターは大量生産のもの。
まず食べる前から「口」が拒否しました。端っこを前歯ですこーしかじってみたのですが、それ以降は全く口に入れることをしようとしません。パンのカサカサも気になったのですが、それ以上に感じたのは「油」でした。
バターにはお塩も使われているはずなのに、まったく塩、その他の味はせず、ただただ油が「のぺーーーー」とやな感じで舌に広がっていくのです。
この「のぺーーーー」の感覚を感じた瞬間がもう一つあります。
それが「二日目のおでん」でした。
前日あんなに感動したおでんが二日目にはお出汁も「美味しい」はあるのですが、「ありがたい」がありません。それよりも具材から出た「油」の方が気になりそれを体が嫌がっているのがわかりました。
これについては「油」というより「酸化した油」を拒否しているのかもしれないと思いました。
お塩についてですが、なぜか「良いお塩」はちゃんと味を感じることができるのに、普通の大量生産のお塩には「味」を感じないのに気が付きました。
良いお塩には「ありがたい」があるのに普通のお塩には「美味しい」も「ありがたい」もないのです。
今朝は熱が平熱に戻ったこともあり、急に卵サラダサンドを食べたくなり薄いトーストにゆで卵を潰してマヨネーズを入れ、コショウと普通のお塩を振りかけて、薄切りキュウリを挟んだシンプルなサンドを作って食べてみました。
記憶の味とは違い、若干の卵の味以外は全部味がしません。そしてやっぱりマヨネーズの「のぺーーーー」とした油が舌に残りました。母がその卵サラダを味見して「あんた!!こんな辛いの食べたの??」とびっくりしてました。

もう一つ印象的だったことがあります。それが「水」。
家には何かの時にとケースで売られている水もあって、あれも早めに飲んだ方がいいということもあり、ケースを空けてもらいその水に変えたもらった時の話です。
熱が出ると常に水が必需品で、うなされながら目が覚めて飲む水はものすごーく「ありがたい」と感じます。今回ももちろんそうでした。
水は普通の水道水なのに、ごくごく飲んでしまいます。ただいろんな発見からやはり水も「良い水」の方がいいのでは?と考えて水を変えてもらったのですが、ちょっと不思議な感覚がしました。
水道水は「ジャブジャブ」と口から広がるように入っていきながら「ありがたい」を感じさせてくれるのに、ケースの水は「すーーー」と流れるように体に入っていくのですがさほど「ありがたい」を感じないのです。
「ふーーん…」と若干不満でしたが、そのままにしました。
そしてその夜でした。また熱が上がってきて必死に水を掴んでケースの水を流し込んだ後、びっくりしたのです。
水が胃の中で全く形を変えず、まるで氷の泉か何かのようにつーんとそこで溜まったのです。お腹が冷えてきて、苦しくなり、物凄く慌てました。なんか体が吸収しないのです。
水道水の方は粒子も荒くジャブジャブしながら口、食道、胃と伝わっていく間にも体にしみわたっていくのを感じました。でもケースの水は兵隊か何かのように粒子が整列しているかのようで絹のような感じで入っていくのですが、それでいて体が吸収してくれる感じがしないのです。
「なんで天然水の方がいいんじゃないの??」と思いびっくりしていましたが、数日たって今日パッケージをよく見ると「大自然が生んだ天然水をアルカリイオン化しました」とありました。。
「天然水」じゃなかった(^^;;
とても人工的だったのです。
そして、今日は熱は引いたのでと改めてその水をコップ半分くらい一気に飲んでみました。びっくり、、やっぱり急激に体が冷えるのです。

とこんな感じで、初めての感覚が沢山ありました。
体ってほんとうに不思議です。このほかにも食以外で感じたことをまた勢いで書いていきたいと思います^^;
食べ物について書いていたらこんなに長くなってしまいました^^;
読んでくださってありがとうございました。

レッスンをお待ちの皆様、味覚が戻ったら連絡します!
個別にお問合せ頂いている方には今日中にご連絡いたします。今しばらくお待ちください^^


by atelierkei-0520 | 2018-05-09 18:50 | 日々の気づき