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じぶんを知ろう♪アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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「内観」のススメ

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先日はズルして「内観」と言いながらハイヤーセルフさんに会いに行ったのだけど、昨日はちゃんと夜「内観」してみた。
これ、やっぱり「いいな」と感じたので、ここでちょっと簡単なやり方を紹介しようと思う。

例によって、やり方はものすごく簡単。
ガイドさんのお話にもあったけど、ただ自分自身に質問を投げかけてみるだけ。
ただ、やっぱりここも簡単なだけにちょっとしたコツがあるので、そこを書いてみたいと思う。

まずは、左脳・顕在意識の投げかける質問に対して、潜在意識が答えてくるってイメージを持ってほしい。

自分の小さな声をなかなか拾えない原因の一つに、「左脳がやる気満々!」って言うのがある。
左脳は理性の声だから、前後関係、整合性を求めたりするので、つい、「そうか内観か!」と意気込んで「さあ、聞くぞ!!こういう質問だ!どうだ!答えはなんだ?!」となってしまうが、こうやって左脳がうるさいと、小さな声は拾えない。

だからとりあえず、まずはリラックス。
私は視覚があると左脳が元気すぎるので、こういう時は目を閉じて、ただ床に寝転んだり、ソファーに突っ伏したりする。
それで、とりあえず質問する。
で、質問も、相手が分かりやすいようにっていう配慮はいらないよ。だって、相手は自分だから^^
それから、質問も1個でももちろんいいし、立て続けに思いついたのなら2個でも3個でもしてみるといい。
ここで、「いや、ちゃんと1個づつ聞いて、答えもらってから、次の質問にいって~」なんていってると、また左脳さんが元気になってくるので、とにかく「ただ聞いてみる」って言うのを大切にしてほしい。

そして、静かに心の耳を澄ます。
でね、感じる部分は自分のハートチャクラがあるところ。そこから上がってくる声を感じてほしい。脳とか耳の辺りとかから聞こえる声は関係ないので無視してね。
深い所から上がってくる感覚。それが大事。

ところが、ここから上がってくる声は、とんでもなく自己中なので、「顕在意識の質問内容」はお構いなしに、好きなことをストレートにぽそっと言ったり、ぎゃっと叫んだりする。
ここで左脳は「っていうか、おい!それ、どういうことじゃ!!全然答えになってないし!」と詰め寄りたくなるんだけど、ここも、ちょっと我慢してほしい。
ただ、「そうか」と受け取って、ただ記憶してほしい。
で、また質問してみる。
これを繰り返すだけ。

でね、この時上がってきた答えが「そうか!わかった!」となるのは、少しあと、忘れた頃だと思ってほしい。
頑張って理解しようと左脳が一生懸命何かをこじつけて「納得」してみたりするけど、結局この時は「はあ、なんか、よくわからないけど、、」という感じになるのがほとんど。

ところがね、ある時、ズドンと自分の中でわかる時が来る。
それは大抵が何気ない日常の何かをしていて、ぼんやり「内観」とかとは全く関係ない何かを考えたりしている時。
それが、来たときは、「はあああ、、、、そういうことか、、そうか、そんな事だったのか、、」と膝が崩れ落ちる感覚とか、頭のどこかがパッカーンと開いて光が入ってくる感じとか、そういった何とも言えない感覚になる。
この時、自分の中の小さな声がちゃんと自分の物になる。自分の一部として、自分の人生として。
そして、なーんだ、そうなんだねと顕在意識が納得して、なぜか「大丈夫だよ」と自分に声をかけたくなったりする。
そうすると、あれだけ悶々としていたことが不思議とスッキリするんです。そして、もうあんまりそのことは考えなくなる。


私が昨日拾った声は「自由になりたい」だった。
この声は、長年の自分の願望だった。私はいつも家族や環境から自由になりたくて、「束縛」や「管理されること」を病的に嫌っていた。
だから、この声もちゃんと知っていた。「あー、質問と全く関係ないのにまた出てきた。。自由に本当になりたいんだったら、もうとっくになってるよ…未だにそうならないのは、本当に望んでるのは自由なんかじゃないんじゃないのか?」って思ったけど今回はそれ以外の答えは上がってこなかった。

ところが、今朝、歯磨きをしている時、突然わかっちゃったんだ。いくつかの思い出のシーンと共に。
歯磨きしながら「あ」となった。
私はずっと、「私」という人間が自由にのびのびと好きなことをやるってことが、この小さな声が訴えてくる「自由になりたい」ってことだと思ってた。
でも、違ったんです。そうじゃなかった。

思い出のシーンとは私がある特定の「思い」をリアルに持って見ていたこの人生の中のいくつもの瞬間だった。
そして、わかったんです。あれもあれもあれも、全部、これを手放すために見ていたんだってことに。
私を束縛していたのは、家族でも環境でもなかった。
私は、ずっとずっと癖になっていた自分がいつのころからか持っていた自分のある「思い癖」から自由になりたかったのだ。
この思い癖こそが、私をがんじがらめにして、いつも心に悲しみとやるせなさと自己否定を体験させていたのだ。
点が線になった瞬間。

個人のこういった話は他人には取るにたらないこと。でも、本人にとっては大きな大きな解放になる。
「内観」よかったら、やってみて下さい^^

by atelierkei-0520 | 2017-04-05 23:25 | 日々の気づき