アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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9月9日からのエネルギー

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昨日からまた大きなエネルギーの流入が始まっているようです。
この写真は昨日の空。エネルギーが高い時に見られる神秘を感じる空^^
情報はこちらから↓
https://lightworker-japan.net/2016/08/26/third-wave-energy-coming-in-september/

友人から教えてもらったこちらのサイトにも載っていました↓
http://sonia.thd-web.jp/e23353.html


個人的な話になりますが、ライオンズゲートを終えた後、まず一つ不思議なことがあって、その後、ものすごい内的変化を今迎えています。
表面上は何一つ変わらない日常ですが、先月末から始まったこの変化は、通常はたぶん知らされることなく、どの人の中でも起こることのような気もするのですが、何故か今回私はガッツリこれから起こることを知らされることになり、今その変化中です。
「知る」ことが、私の認知できない領域で重要なことなので知らされたのでしょうが、知った方としては「へえぇぇ…。。」って感じで^^;
何が起こっているのかをここで書いてもいいのかもしれませんが、ちょっとまだ書けずにいます。
でもこれが起こることで何が変わるのかはわかっていて、今その変化を自分でも感じつつあります。

それは「感じ方が変わる」ということです。
この変化によって私の中の経験値が飛躍的に増大することになっています。
それは例えば私が親しい存在である「弟」の死を体験したことで、それによって様々な感情や思いや空気の変化を知ったように、本来ならば「経験」することでしか、広げることはできない領域です。
ここが拡大しているのです。
具体的に「知識量が上がる」とか、「経験したことのない技術的なことがいきなりできるようになった」ということではありません。
だから説明が本当に難しいのですが、しいて言うなら、とても「落ち着いた」状態になるということでしょうか。
このことが始まってから、すごい勢いで自分の中でいろいろな気付きが起こり、それに気づいてしまうとなんだかもう「なんでもいいや」ってうい気持ちになってしまうんです。
いろんなことに頭をひねり、あーでもないこーでもないと考えていた自分が嘘のように静かになっていて、そして「自分の全てを受け入れる」状態に近くなっています。
気になることというのは知らないうちは「気になる気になる」となり、関連する情報を集めたりするものですが、いったん知ってしまうと、それまでのうずうずが嘘のように収まるのがほとんどですが、経験値が上がるというのはそんな状態に近い気がしています。
一時的なものかもしれないし、何とも言えないんですが。
これが私のライオンズゲートを越え、秋のエネルギーを受けてのバシャールのいう大変革なのでしょうか。
そうなのかもとも思います。たぶん振り返って初めてわかることのような気もします。

スピリチュアルに目覚める人のほとんどが追い求めるものの中に「自分の価値」と言うものがあると思います。
なぜ自分は生きているのか。何のために生かされているのか。
人の役に立つことこそが自分の価値であると思い、その探求が宇宙と自分を繋いでいきます。
私も自分が前世から持ち越した「思い」があると知った時、それこそが今世でやるべきことだと思い、自分が生きていることが初めて価値あるもののように思えました。そしてそのために何ができるのかを模索する道がスタートし、またその道で悶々とするのです。

けれど今、私が悶々としようとすると「ねーねー、そんな難しいこと考えずにさ、もっと楽しいことしていこうよ、せっかく生きてるんだからさ~。あ、そういえばこういうことしたいって思ってたじゃない?できる範囲でちょっとずつやっていこうよ。楽しそうだよ♪」という、とっても明るく軽やかな自分がそれを遮ります。

先日、大天使ミカエルさんにこんなことを言われました。

人助けをする道はあなたの霊性を高める道ではありますが、あなたの楽しみではありません。
自分自身の楽しみをおろそかにしていませんか?思いっきり人生を楽しんでいますか?
もう一度考えてみてください。

この言葉の意味を私は今、心で感じることができるようになってきました。
ミカエルの言う「楽しみ」とは「生きる」という言葉に置き換えることができると感じます。

「人助けをする道はあなたの霊性を高める道ですが、あなたの“生きる”ではありません。自分自身の“生きる”をおろそかにしていませんか?思いっきり人生を生きていますか?もう一度考えてみて下さい。」

「生きる」いうことは「喜怒哀楽を含めた全てを楽しむこと」。
自分が生きている意味を役に立つか立たないかで決めようとすることは、本来不可能なことなのだと思います。
自分自身が思いっきり楽しむ先にある人助けが、持続可能で本来宇宙が求めるものなのだと感じます。
「自分が何をしたらいいのかわからない」、そう悶々とする時こそ、自分の為に時間を作ってみてはどうでしょうか。
そして悶々とする時間さえも楽しんでいる自分をそこに感じられないものでしょうか?
そういう時間の先に、案外、自分が役に立てる可能性を見つけられるかもしれません。

それぞれの方が、それぞれの方法・ベストな形でこの宇宙からのエネルギーを受け取っていくのだと感じています。

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by atelierkei-0520 | 2016-09-10 08:58 | スピリチュアルといわれる世界