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じぶんを知ろう♪アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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私たちと「現実」③

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「シアター自分」で繰り広げられるドラマに登場する出演者たちは、事前に脚本を書く段階で「出演交渉」をして了解してもらった他の魂さんたち。
同時に私たちも彼らの「登場人物」として彼らのシアターに出演することを了解している。
舞台の上で登場する人物たちは、「ホログラム」という形をとって登場する。なぜならそれぞれの人もそれぞれの「シアター自分」の中にいるし、同時に何人もの人の登場人物として出演しなければいけないので、他の人の舞台には「ホログラム」として、相手が望む役柄を演じている。
もちろん相手のための演技を通してその人たちも様々な体験をし、自分の学びにする。
だから、よく人が自分のことを自分が思っているようには見てくれていなかったり、一人の人に対して、人によって評価が違うのは、それぞれの脚本を通した人物をそれぞれが体験しているからともいえる。

「相手に対して見方を変える」と、それをするだけで、今まで見ていた人の「キャラ」が変化することになる。
これは複数持っている脚本の中から、その時採用していた脚本から別の脚本に変えること。

例えば「最悪に嫌な人」と思ってた人が、実はすごい苦労している人だとわかると「嫌な人だけどそこまで悪じゃない」って思えるようになって、その視点を持ってその人と接すると、なんか前みたいに嫌じゃなくなるとか。
これは、「最悪に嫌な人」がいる脚本1を演じながら、「実は苦労している」その人がいる脚本2の存在を見つけ、「嫌な人だけどそこまで悪じゃない」と認識することで脚本2に移行し、今度は「前みたいに嫌じゃないその人」がいる脚本2を体験して行くことになる。
脚本1と脚本2の差はほんの少し。でももし脚本が11まであるとしたら、脚本1で見える世界と、脚本11で見える世界は結構な差があるんじゃないかと思う。
高次元の存在がよく言う「自分の最も高い可能性」とはこの脚本11のことだと思っている。
大切なのは、目の前の現象のどこかに「別の視点はないか」と探すことだと思っている。
それは、自分の中の別の可能性を探すこと、つまり別の脚本の存在を探すこと。
これを繰り返し、少しずつ私たちは成長していく。そして自分が決めた「高い可能性」に移行していく。
自分が脚本を変えると、目の前で「嫌な人」を演じていたその人も、もう「嫌な人」を演じる必要がなくなる。だから、目の前の人も少しづつ開放されていく。

ただし、自由意思のルールのもと、演じている人にも選ぶ権利がある。
その人が「自分はもう少しこのままで学びたい。だからあなたの脚本8以降には出演できないよ」っていう場合もあって、その場合は、私たちが脚本8に移行する時に、その人は自分の人生から自然な形で(例えば引っ越しとか転勤とか)退場していくことになる。
また、私たちが気付くべき新しい視点の存在を探さず、今持っている視点に固執すればするほど、彼らは「まだ気が付かないの!」と「悪役」の人はますます「悪役」度合がひどくなったり、「いい人役」の人は「いいかげんこの脚本に私は出演し続けることはできないよ」と脚本からいなくなってしまったりする。
自分の目の前の登場人物たちの目的は少しでも私たちを「高い可能性」に導くことなのだ。

自分と他の人々はこうやって自分の人生の「登場人物」として関わっていく。
私たちは「リアリティー」を追求するあまり、こういった現実を構成している様々な仕組みを忘れてしまっていた。
けれどその仕組みを知ると、その根っこ部分には、びっくりするぐらいのポジティブなエネルギーしかない。
それを知ると、どんな場合にも「感謝」しかないのかもしれないと思う。
「他者を思いやる心」
私は、人が持つ魂の奥の奥にも、そして、その他のどんな存在にも、このエネルギーが必ず存在していると信じている。
もちろん、たぶんこの視点は脚本11の視点に立った場合だと思うし、まだまだ脚本11は遠い感じもする。
でもその脚本の存在を知ったってことだけでもいいんじゃないかと思っている。

次は「シアター自分」に招かれざるエネルギー「幽霊さん」なんかも含め、「シアター自分」自身について書いてみたいと思う。


by atelierkei-0520 | 2016-08-24 09:51 | ◇スピリチュアルといわれる世界