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じぶんを知ろう♪アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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悲しみのかたち

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身近な人の「死」を体験して思うこと

大切な人の「死」からくる「悲しみ」とは、決して他の人とは共有できないものなのだと、しみじみと思う。
例えば去年の暮れに「父親」を亡くした従妹と、今年の5月に「弟」を亡くした私が経験している「悲しみ」は同じじゃない。
身近な人を亡くしたっていう事実は同じなのに、私は従妹の悲しみを「実感」出来ないし、従妹も私の悲しみは「実感」できない。
それぞれの人が持つ「悲しみ」というものは、亡くした人と紡いだ思い出を根っこに伸びてきて、私たちを包んでいる。
例え家族であっても、亡くした人との思い出はそれぞれで、根っこが違う。
だから、「悲しみ」の形もそれぞれの「形」
「悲しみ」の形がこんなに独創的だとは思わなかった。
「悲しみ」は忘れられないね。「悲しみ」に戻ると、その人との大切な思い出の時に戻ることができるから。
「悲しみ」を忘れてしまったら、その思い出に戻ることができなくなってしまうのではと感じた。
だからみんな、なかなか「悲しみ」を手放せないんだ。

「悲しみ」は私の大切な宝物だと思う。他の誰も持っていない、宇宙にさえ無い、「私」という存在が持つ唯一無二の宝物。
だから「悲しみ」は、誰かに理解してもらったり、共有してもらったり、そんな必要はないのかもしれない。
ひっそりとした「私」という人生に残る確かな記憶。
その記憶がなければ、きっと「私」ではない。

私たちは、たくさんの記憶の集合体だから。
ひとつひとつの唯一無二の記憶が、私たちを創っていくのだ。
だから、どんな人もユニークで「唯一無二」な存在なのだと思う。






by atelierkei-0520 | 2016-08-18 13:46 | つぶやき