アトリエkeiのスピリチュアルなシェアノート

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夏休み中のつぶやき:マスターすること

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ただ今、自分をマスターする訓練中です。私的にはスピに目覚めたころに比べると、かなり目が覚めてきたなと思っているのですが、新しい波動領域で安定して存在するための訓練として、ハイヤーセルフからの課題と向き合っています。
それは「自分であること」「自分自身であること」
自然体で軽やかで、それでい外が揺れても内は揺らがず、何が起こっても起こっていることは問題ではなく、自分自身を信じて今ここにいること。
これからの立ち位置の基本になるものです。
こういうことは、何度も何度も同じ課題がやってきて、その都度、今の自分の波動状態、立ち位置から、その課題にどうアプローチしていくかがクリアのための鍵となります。

久々にスマホのブックマークを整理していたら、こんな記事を見つけました↓
そう、これです。私は今これを自分の芯の部分で実感しようとしています。
人は何事も経験しないと左脳が納得しません。
でも、一度実感することができたら、左脳が強力な見方となり、力強く前に進みます。
何事も一足飛びはなく、地味に確実に一歩一歩。例えそれがスピリチュアルであっても、一歩一歩なのだと思っています。

夏休みもあと少しです。っていうか、もう夏じゃないけど。
終わったらまたいろいろ報告できたらと思います。

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# by atelierkei-0520 | 2018-09-17 15:40 | つぶやき

夏休み中のつぶやき:備えの大切さ

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先日の台風はすごかったです。
台風の進路の真下だった我が家の周りは、おかげさまで停電にもならず、無事にやり過ごすことができました。
ご心配の声を頂いたりしたので「大丈夫でした!」とブログにあげようと思ったら、北海道での地震。。
毎回ですが、大変な思いをされた全ての方々が少しでも日常を取り戻すことができますようにとお祈りしています。

今、地球も次元を急激に上がっています。私たち自身もそうですが、上がる時は揺れるのだと思います。強い変化の時期は電気系統がやられると言われていますが、今回の台風も地震も大規模な停電が起こっていて、次元の変化を感じざるを得ません。

高次元の存在とコンタクトを取ると、「3日分ほどの食料を備蓄すること」と言われました。同時にこのことが意味することが伝わってきました。
それは「落ち着くこと」でした。

「3日分ほどの食料を備蓄すること」と言われると、「え!!やっぱ近々すごいこと起こるから??」と慌てましたが、彼らが言いたいことはそうではありませんでした。
「起こるか起こらないか」ということではなく、「準備や備えをすること」でとりあえずは「落ち着く」ということが、ものすごくものすごく大切だということでした。

私たちがもつ思考、感情のエネルギーが自然の動きに与える影響は決して小さくありません。
備えをすることで、将来への恐怖を育てるのではなく、「落ち着く」ために行動する。
テレビやネットの情報で恐怖心を煽られるのではなく「安心」「安全」のために役立てる。
それが未来のためにとても大切だということでした。

今の自分の心の状態が数ある未来の中のどの未来と繋がるのかを決めていきます。
今できる備えをすることでしっかりと落ち着いていたいと思います。



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# by atelierkei-0520 | 2018-09-08 10:33 | 日々の気づき

夏休み中のつぶやき:大地と繋がること

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今見えないところで大きな大きな変化が起きていて、少しづつそれが現実に現れ始めている。
自分にも、社会にも、地球にも。
エネルギーがシフトする時には必ず「揺れ」が起こって不安定になる。
そんな時期に大切なこととして、最近つくづく思いを馳せることがある。

それが「大地と繋がること」
これは、「大地のエネルギーを感じてみましょう」とか「森の中に入って自然を感じてみましょう」とか、そういったスピリチュアルでよく言われることではない。
そうではなくてね、
実際に「触る」こと。
大地を触ること。
ものすごく原始的で3次元的なこと。
そして、3次元的に今自分がここにいて、手で触る大地が目の前にあるってことを確認すること。
それが、めちゃめちゃ人にとって大切なことなんではないだろうかと、気づき始めたのでした。

以前ひょんなことから、庭で裸足になってただ立つというのをやることになった時、不思議な感覚になったことがあった。
ひんやりとした硬い地面の上に乗せた足の裏からふくらはぎにかけて、ぶわ~と何かエネルギーのようなものを感じて、「あ~、これがグラウンディングってやつか?これが繋がるってことか?」と思った。
この時はこれだけで終わったんだけど、最近またひょんなことから「大地と繋がる」を思い出して、ワンコの散歩前の朝の4時半頃、庭でこっそり裸足になって立ってみた。
新聞配達の人に見られて変な人だと思われたくないから、立った時間は30秒くらい。
そそくさとすぐに靴をはいたんだけど、また不思議な感覚になった。
すごくすごく気分がよくて、また裸足になって大地に立つことをイメージすると、心の奥から嬉しさやワクワクが沸き上がってくる。
そしてふと、こう思った。
「あたりまえじゃん、だってここにはそれをしに来ているんだから」って。

私たちが生きている「今ここ」のこの場所は、宇宙で唯一五感でエネルギーを感知できる場所。
あっちの世界でも「大地のエネルギー」はあるだろう。
でも手や足で「大地」を触れるのは「ここ」だけ。
「エネルギー」というものの別の形を体験しに私たちは「今ここ」にいる。
その素晴らしさ、その奇跡、
それを、もっともっと感じられたらいいのにと思う。

心が孤独になったり、不安になったり、そういう時は、人はこのことを忘れている。
だから、そんな時は、もう一度足元の「大地」を触ってみるといいと思うのでした。
そうすると、自分がなぜここにいるのかを思い出せる気がします。

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# by atelierkei-0520 | 2018-09-01 22:29 | つぶやき

夏休み中のつぶやき:我が家の漏電ブレーカ―がぶっ壊れた日

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いやー、びっくりです。
今日は突然、我が家の電気系統が全てシャットダウンしてしまいました。
災害でも何でもないのに、なんでかこの暑い日に我が家だけ停電状態。。
原因はどうやら30年間使っていた漏電ブレーカー(主幹)がぶっつぶれたためだったようです。
急遽、無理を言って電気屋さんに来てもらい、ブレーカーを交換してもらい、今はこうして電気が付く中、扇風機が回る中、ブログをかけています。
いやはや、改めて自分たちの生活が電気無しでは成り立たないことを痛感しました。。

実は前回の投稿で書いた、大きな気付き(浄化)によって、私は静かに新たな段階に入ったと思っています。エネルギー的に次の次元に移ったというか。ここはまた詳しく後で書くとして、とにかく、あの投稿以後仕上げのような感じで地味にいろいろとエネルギー調整が行われていたのですが、昨日「8月19日」、私にとってこの「819」の数字の並びは特別な意味があるんですけど、この日にまたすごく特別なことがありました。3次元的に見ると例によって地味な特に特別なことではなかったんですけど、エネルギー的にはすごく大きな動きがあった気がしています。
うまく言葉にはできないのですが、とにかく、特別な日だったことは間違いないと思っています。

エネルギー的に大きく動くと、周りの電気系統がトラブルと聞いたことがあります。
そういった視点でエネルギーの高い日を見ていると、確かによく電車にトラブルがあるし、ちょっと前のそういう時期には愛用のタブレットに不具合が出て困ったし(この時期私の師匠もタブレットがぶっ壊れたそうです)、ちょこちょこ実感はしていました。

でもまさか、家の電気系統の主幹がぶっ壊れるという珍事件が起こるとは思わなかった。。
まあ、ぎりぎり暗くなる前に何とか復旧したんですけど、びっくりでした。
私たちは「電気的」な存在であるってことを、なんとなく改めて感じた日となりました。

いろいろと変化をむかえていてとても面白い毎日です。
またシェアできたらと思っています。


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# by atelierkei-0520 | 2018-08-20 21:26 | つぶやき

夏休み中のつぶやき:静かな、でも決定的な個人的エネルギーの変化を向かえて

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先週7月20日から3日ほどとてもエネルギーの高い日を感じて過ごしていました。
こういう時期のいろんな兆候を感じながら、なんとなく過ごしていたら、なんと今週の月曜に「どかーーーん」とエネルギーの変化を向かえてしまいました。
私的には「どかーーーん」なんですが、実際はとても静かで、人に話せば「へ~」くらいで終わる表面的にはたわいのないことでもあります。
でも、当の私のエネルギーは前と後では大違いという、大変な変化となりました。

どんな人にも、他人からすると大したことなくても、また、自分でも理性は「大したことない」とか「その時はそれで精いっぱいだったからしょうがない」と処理しているようなたわいもない「トラウマ」といってしまうのも大げさかなと思う「思い出」のようなものがあるかと思います。
でも実際はそういう些細なものは「大したことない」どころか、本来受け取る予定のエネルギーを生涯にわたって受け取らせないようにするような、また本来流れるべきエネルギーをブロックしてしまう強烈な「栓」のような存在である場合も多々あります。
月曜の夜に経験した「気づき」は私が「あ~、これだけはたぶん今世では浄化できないかもね。それでいい。その方がいい。」と無意識で思っていた心の深い深い所に埋まっていた「栓」が「すぽーーーん!!」と抜けちゃった経験となりました。
そして抜けて初めて、その「栓」が自分にとってどれだけ影響があったのかをしみじみと感じることになりました。

きっかけは「インナーチャイルド」に思いを馳せることになったことでした。
なんとなく、インナーチャイルドについて考えていると、過去の自分のちょっとした「思い出」がいくつか湧き上がってきました。それは「やってみたらいいのに結局できなかった」思い出とか「自分がふがいないばっかりに赤っ恥をかいた」なんていう屈辱的な思い出などで、思い出しながらいつものように「あ~、しょうがないね、勇気がなかったね」と思う反面、「自分がもう少しこうだったらできただろうに」という当時の自分を採点する自分も同時にいて、またいつものようにそのままの状態で思い出は心の奥に沈んでいこうとしたのですが、この日は突然「どかーーーん」と気づきがやって来たのです。
それは「え、ちょっと待って!!ちがう!そうじゃない…そうじゃなくて、ただ、、ただ、、私は、守られていたんだ!!」ってことでした。
「出来なかった」のは「出来ない自分だったから」ではなく、私を大切に思う大きな大きな存在たちが「させなかったんだ」ってことに初めて気が付いたのです。
なぜさせなかったのか。それはもう「守る」ためだったのだと気が付きました。
私が、私として必要な経験をして、今ここにいるために、私を大切に思ってくれている存在たちが、まるで宝物を扱うかのように、時には身を挺して、そっとそっと、ここまで運んできてくれていた。
「必要な傷以外は一切私に傷をつけない」その存在たちの意思は絶大で、全ての場面で私は強力に守られていました。
そのことに気づいてしまいました。

これらの思い出は常に私に「ちゃんとできたらよかったのに」という後悔のようなものを感じ思いださせるものでした。
でも今まで私の思考はそこ止まりで、仮にそれが「できちゃった」場合のその後について考えたことはなかったんですが、月曜の夜はふと「できちゃった」場合、それによって起こる様々なことが冷静にリアルに見えた時、それはかつての私が思っていたような明るいものばかりではなく、むしろそれこそトラウマになってしまうくらい「傷つく」という形でその経験を完了することになったのかもしれないと気がついてしまったのです。
そして、そんなイメージの経験は私の中では「もういい」となっている経験で、そこに行く前にちゃんと止められていたと気がついたのでした。
過去の「出来なかった」とか「穴があったら入りたい」とかそういった大げさに言うと「屈辱」とも言える記憶が、一気に「ただ愛されていた」という記憶に置き換わってしまいました。
そのとたん、私の全身の力が抜けて、私に注がれるエネルギーがどわーーーとなんの滞りもなく私の中を流れていくのがわかって、その感じがものすごくものすごく穏やかで幸せでした。

アイスランドから帰ってきて、自分の体と向き合って、食べ物を変えたり、自分に向いている運動を探したり。
体については「やっぱ難しいな」とへこむこともありました。でも、「私はもう一度自分の体とちゃんと付き合いたい。この体でいろんなことがしたい!」と体に話しかけていたら、自分の体の「キー」となる部分を見つけることができ、それに導かれると、めきめき体が元気になってきています。
ジュエリーの制作で「ワクワク」を取り戻しつつあった時、腱鞘炎になってしまい、ここでも体でへこみかけましたが、ヒーリングで持ちこたえ、諦めず腕の使い方を再検証してアプローチしていたら、なんと今まで絶対に付かなかったところ、またそこは腱鞘炎で激痛を起こした腕の部分でもあるのですが、そこに「筋肉」が付きだしました。そして、今腱鞘炎は治っています。平ぺったかった私の頼りない腕が丸く立体的になって来ていて、見た目も健康そうになってきました(自分だけがわかる些細な変化かもしれませんがね^^;)。
足にも久々に筋肉が少しだけ戻ってきました。今背中にその流れが来ています。
そんな中、大きなエネルギーの変化を向かえ、今日、何気なく立ち寄った本屋さんで読んだ本に「運気は背中からやってくる」とあり「おお~!なんかバッチリやな、私!」とご機嫌になりました。

体が元気になると、心が変わりますね。
心が元気になると、体も整う方向に動き出します。
どちらが先とかいうものではなく、どちらが先でもよくて、でも同時に起こるものでもあって。
「私は愛されていた。どんな場面でも、どんな時でも。今愛されているだけではなく、過去でもいつもいつも愛されていた」
両親以外でそこまで自分を愛してくれている存在がいるんだってこと。
自分は無条件に愛されるに値する存在だったってこと。
それに気が付いた私は、どこまでも幸せでした。
そしてそれに気が付くことができて、本当に幸せです。

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# by atelierkei-0520 | 2018-07-25 22:21 | つぶやき