前回のつづき。
今思い出しても、あの時の感覚は忘れられない。はっきり言って「感動」ものだった。
夢の映像があんなに現実のようにクリアになるなんて、今でもそんなことはない。
ただ、冷静になった今、あの映像を脳で再生してみると、不思議なんだが、全く「感動」ものではなかったことに気が付く。
あんなにリアルでクリアで美しく感じた映像は記憶を再生すると、なんと2次元のものに近いのだ。
例えると、それは巨大な超高性能の印刷機で、これまた考えられないくらいの画素数の写真を印刷し、パネルにでも張って、私の目の前で展開された、そんな感じなのだ。
では何がそんなに私にとって「感動」ものに仕立てたのだろうと考えると、それがひとえに私が持っていた「欲」ってやつだった。
この「欲」がその2次元のパネルを立体映像に錯覚させる「3Dメガネ」の役割を果たしたのだと思う。
数日後「もっと見たい」という私の願望は叶えられることになる。
その間も、私は相変わらず、「速く上達したい」「速く分かるようになりたい」と自己流瞑想やワークをやっていた。
それらは弱い自分を強くしてくれるようで、もう自分から引き離せなくなっていた。
それをやめてしまったら、せっかく獲得しつつある様々な感覚がまた自分から去って行ってしまいそうで、「止める」ということはできなかった。
ある夜、また夢を見ていると、その時はやってきた。
私はいつの間にか子供のころ住んでいたマンションの階段の踊り場にいた。
踊り場で突然意識が明確になって、自分はなぜ今このマンションの踊り場なんかにいるのだろうと思った。
そしてそう思ったとたん、また来たのだ!あの瞬間が!突然、周りの風景が「ブワーーーー」とクリアになった。
私の心は飛び上がり、「来た!!」と思った。
私は踊り場の上に上がる階段と下に下がる階段の境目の内側コーナーの壁に手を置いていて、
その手と壁の映像が信じられないくらいリアルになっているのを目をキラキラさせて見つめた。
「すごい…」そう思ったのだが、ふと、踊り場の風景がそれまでと違っていることに気が付いた。マンションの階段と踊り場の茶色のコンクリートの壁が何故か、赤茶色のごつごつヌメヌメした岩肌に変っているのだ。
シュッシュッとした直線で構成される風景から、緩い線で構成される世界に変っていて、しかも上に上がる階段の方は閉じられていて、上には行けないようになっていた。
下に伸びる階段だけが残され、しかもそれは経の小さな螺旋階段状になっていて、下の風景がそこからは全く見えない。
「今日こそは下に行ってみよう…」私はそう思った。その先に何があるのか見てみたかった。
夢とはいつも流れるように勝手に展開されるのに、こんな感じで意思決定できるのも新鮮で不思議だった。CGアニメーションの中に本物の肉体で入ってしまったかのようだった。
私はゆっくりと階段を下りた。ゆっくりゆっくり。
そして螺旋階段を曲がったその瞬間に、なんと、目が覚めちゃったのです。。。
「なに===!!!!」「なんで目が覚めるかな===????!!!!」
その時の落胆ぶりは表現できない。ホントに枕に顔をうずめて布団をこぶしで叩く勢いだった。
私は「見たい」という気持ちをどう処理していいかわからず、そのまま仕方なくまた眠りについた。
でもその日はこのまま終わらなかった。私の希望は叶えられたのです。
つづく